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アラサーもやもや女子が自分の人生を生きるまで vol.2

 昨日は、なぜコンサルティングファームに入ったか、社会人になってどういう働き方をしていたか、何を感じていたか、プロジェクトの合間に1ヶ月の休みを取ってヨガ留学に行きたいと思っていたこと、でもタイミングがなかったことを書きました。

今日は続きです〜👇

思わぬスケジュール変更と夫の言葉

次の目標も見つからぬまま、日々目の前のことを淡々とこなしていたある時、あと少しで終わると思っていたプロジェクトのスケジュールが大きく延び、仕事の大きい山場 (連日2時とか3時、土日も仕事になることが予想される・・・がおそらく2ヶ月ほど続く・・) が自分の結婚式の準備時期と重なることになりました。
いよいよプロジェクトAに所属し続けることが難しいのでは、と思い始めます。
でも当時は一応 (とても小さな) チームのリーダーをしており、後輩くんもいたし、お客さんとも信頼関係を築けていて、これ以上ないくらいとても良くしてもらっていたし、プロジェクトを抜けたいなんてとても言えない・・。
私がその山場までプロジェクトに残ることは必然に思えました。
目の下にクマを作って、ボロボロになりながら結婚式を迎えるのかな〜なんて。笑
それが2018年12月頃の話です。

なんとなくヨガ留学のことが気になって調べたら、”2019年 3月出発ハワイ カウアイ島28日間"が掲載されていました。
「いいなぁ行きたいなぁ」って軽く言っていたら、夫に

「行ってくれば?こんなチャンスないし。これに行きたいから、それまでにプロジェクト抜けたいって言えばいいじゃん。」

と言われました。(夫も同じ会社の同じプロジェクト、元上司 (笑)で管理職なので、会社としての意見もあったと思いますが、この時は私がもう限界だとわかっていて、背中を押してくれたのだと思います。)
"え?そんなこと言っていいの?できるの・・・?"と、自分では絶対に思いつかなかった選択肢を言われて大混乱。
でも確かに結婚式があるから、現実的にもこのままプロジェクトに居続けることはできないし・・・どこかで抜けないと。
"ハワイ カウアイ島開催は今回が最後"とも書いてあるし・・・ドウシヨウ!!
でもとりあえず上司に伝えてみることにしました。

「プロジェクト抜けたいです・・!」

勇気を振り絞って勢いで伝えてみたら、なんと「それは、行っていいから(= 1ヶ月休んでいいから)、その後大変な時期である2ヶ月は戻ってきてほしい」と言われました。ただ、「戻ってきてくれるかどうか、年末年始でゆっくり考えてみて」と、決断はあくまで私に任せてくれました。
思い切って打ち明けてみたものの、ただでさえ忙しい中、色々と申し訳なくなってきて、いたたまれなくて、頭痛に加えてお腹の調子が悪くなりました。
全然消化ができなくて、お腹はすくのに、食べると気持ち悪い。
満足に食事ができない状態が2週間以上続き、痩せてしまいました・・。
(そんな中でタイミング悪く両家顔合わせが・・美味しいご飯全く食べれず・・少し苦しい思い出になっています。)

心と身体は繋がっているので、こんな状況では消化力が落ちること、アーユルヴェーダを学んでいる今ならよくわかります。

初めて、腹痛で午前休を取ったりしたので、私の状況を見かねた上司に呼ばれて 、話をするタイミングがありました。
そこで

「プロジェクトを抜けたい、と一度は決めたけど、色んな人に迷惑をかけてまで今抜けないといけないのか・・それが自分がしたいことなのか、わからない。自分の選択により周りの人に多大なる迷惑をかけることをわかっていながら、その選択肢をとる、とすっぱり決めることができない。」

ということを伝えました。

これは後からわかることですが、あまりに自分の心の声や身体の声を無視する生き方をしてきたせいで、この時は完全に心と身体が分離していて、自分がどうしたいのか、考えても考えても全くわからない状態でした。

上司の言葉

「AIRIさんは(実際は名字で呼ばれた)、俺と似ていると思う。俺は親が医者で、医者の道に進むことを期待されて生きてきて。大学まで進学したところで、一度休学して、時間をとって自分の将来のことを考えた。そこで、”医者の道には進まない”ときっぱり決めて、親にもきちんと話をした。それまでは頭痛もひどかったけど、そこから一気に良くなった。」と言われました。
"え?どこが?似てる?"と思いながら聞いていたら、

「俺もそうだったけど、親の期待を背負って、親に敷かれたレールの上を歩んできたんじゃないかな。だから決められない。別に、プロジェクトを抜けるなら抜けるで、AIRIさんがやってきたところは俺がやるし、それはどっちでも良い。でもこれはAIRIさんの人生だから、自分で決めないといけないよ。」

と。
この言葉の意味はすぐにはわかりませんでした。

親に敷かれたレールの上を歩いてきたつもりは全くなかったし、中学受験も、大学受験も、習い事も何もかも、最終的には自分で”やる”と決めてきました。
・・・決めてきたつもりでした。

でも後からよく考えたら、”ああ、そうだったのかもなぁ”と一気に納得できた瞬間がありました。

親から「あなたは○○しなさい」と言われたことはなかったけど、

なんとなく、良い大学に行って、良い会社に入らないと、という親の価値観を察して、その通りの人生を歩んできたなぁと。

いわゆる"普通"の道から外れる選択をしたこともないし、超優等生的に生きてきました。自分で決めてきたと思っていたけど、実はそうではなくて、親の期待に添う選択をしてきただけだったんだ。

一体誰のための人生を生きてきたんだろう。


この気づきが、ターニングポイントの始まりです。

結局、ハワイにヨガ留学に行くことは決定事項で、その後にプロジェクトに戻るかどうかは、「ハワイから帰ってきてから決めても良いよ。今決められないものを悩んでも仕方ないから」と言ってくれました。

神。。。

その言葉で一気に楽になって、「自分はこの先ここに戻ってくるのだろうか?」全然わからないまま、一応引き継ぎをして、お客さんにも、もう戻ってこないテイでご挨拶して、2019年3月頭にプロジェクトを卒業。

4日後にハワイ カウアイ島に出発しました。✈️

とても大変な状況の中で、私がプロジェクトを抜けることでチームのバランスも崩れるし、シワ寄せがすごかったはずなのに、そんなこと全て受け入れて、その上で「AIRIさんがやっていたところは俺がやるから良い。」と言ってくれたこの言葉がなかったら、私は今こうしてここにいなかった。この上司には感謝してもしきれません。



明日に続きます✍️ (明日で終わるかな・・笑)
ようやく、私の人生を変えたヨガ留学の話に突入✨
今日も読んでいただきありがとうございました🤍

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