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#4 BaseBallBear / 新呼吸 (2011)──今を見つめた先にあったもの

【best album of my life】
これまでの人生、様々なタイミングで出会ってきた数々の名盤を振り返っていこうという企画。今聴いたら少し恥ずかしいものから、当時は激ハマりしていたもの、変わらずずっと大切な名盤まで紹介してきます。
今回はその4回目、BaseBallBearの『新呼吸』です!

BaseBallBear / 新呼吸

BaseBallBear / 新呼吸

2011年11月9日にリリースされたBaseBallBearのメジャー4枚目の作品。
シングルとしてリリースされた"yoakemae""Tabibito In The Dark""short hair"を収録した全12曲のコンセプトアルバム。

バンド結成10周年となった2011年は精力的に活動をし、3枚のシングルのリリースや10周年を記念した2つのツアー
『SAYONARA-NOSTALGIA TOUR』『Tabibito In The Dark Tour』 を周り、2012年1月3日に行われた武道館での単独公演『10th Anniversary tour (This Is The)Base Ball Bear part.2 「Live 新呼吸」』
を開催するなど、盛りだくさんの1年をアルバム『新呼吸』が包括した。

このアルバムがリリースされた2011年といえば、今から丁度10年前。東日本大震災が起きた年。日本中を悲しみと不安に包み込んだあの出来事は多くのミュージシャンや表現者にも無力感を与えた。
実際にBaseBallBearのボーカルギター小出祐介も当時そんな迷いや不安を常に発信し続けていた。

このアルバムに収録されている3枚のシングルには特典としてそれぞれ小出祐介が全編撮影したバンドのツアードキュメンタリー『僕の目(仮)』が収録されている。
映像は震災を受けて2011年3月17日から開催する予定のツアーを開催するか否かの会議から始まる。音楽の力で元気を与えるためにやるのか、今必要なことをやるべきか、そんな表現者のリアルな悩みをドキュメンタリーとして映し、ツアーを回る中で自分たちが音楽を生業として生きていく人生とは何なのか、衝突や喜び、葛藤を引き連れて自問していく。
ここまで本人が撮影してリアルに映した映像作品は、近年の他の日本のミュージシャンで観たことがないので多くの人に観てもらいたい。
そんな彼らがツアーを周り、多くのことに気付き辿り着いた場所こそがこのアルバム『新呼吸』。

この作品は冒頭でも書いた通りコンセプトアルバムになっている。
1曲目の"深朝"から始まり、12曲目の"新呼吸"まで1日という時間の流れになっていて、それぞれの楽曲には時刻があてられている。
例えば1曲目の"深朝"は朝の4時、2曲目の"ダビングデイズ"は7時と、歌詞カードの下には目次のように該当する時刻の数字が書かれている。まだ2011年はCDというフォーマットで手に取ってもらおうと試行錯誤していた時代だった。

そんな時刻で言うと朝から夕方の時間帯"short hair"までの楽曲は主に現在と過去を行ったり来たりしながら、"君と僕だけの世界"を見つめ直すような楽曲が続く。そして"Tabibito In The Dark"から夜が始まり、徐々に自分自身と対峙していき、曲が内側へと向いていく。その展開はBaseBallBearというバンドにとって、ある種の転換点を自分たちで構築したのではないかと思う。
特に"邦楽ロック"と括られる2000年代のバンドが歌ってきた"君と僕だけの世界"からこのアルバムで脱出しようと世界を押し広げるべく自分自身の内側と向き合うことで新しい扉を叩いているのではないかと感じた。

またサウンド面に関しては、BaseBallBearのアイデンティティでもある四つ打ちダンスポップを基盤としながら同期を使わないギター2本、ベース、ドラムの4つの楽器のみでどれだけ面白いサウンド作りができるかという実験的な面も感じられる。
"深朝"では立ち上がってくる朝靄の表現やシューゲイザー的なアプローチのサウンドが革新的、"kodoku no synthesizer"のディレイでの夜の孤独感の表現も新しい。
BaseBallBearというバンド自体がこの先大きなステージでやっていくスタジアム的なサウンドを目指すのか、フィジカル的にお客さんのボルテージを上げるような楽曲を作り続けるのかの迷いも感じ取れる。彼らの現在地点がハッキリと浮き彫りになっている作品。

2011年から10年が経ち、世界はコロナ禍という過酷な状況に立たされている。そんな状況の中、改めてアルバムを聴き直すことで当時と同じような不安や感情を立体的に感じることができた。
このアルバムの楽曲は未来や明日への希望を歌うことは少なく、過去の精算と現在地への迷いが歌われ続けている。
それでもアルバムは朝から夜へと向かっていき、次の朝を目掛けて1日は進んでいく。
人生や毎日の生活は何かあっても何もなくても無情なほどにただ淡々と、時間が過ぎれば1日1日が通り過ぎていく。
時間というのは誰にとっても平等で、このスピードは誰にも変えることができない。特別な日も特別じゃない日も始まれば終わる。生きることは朝と夜を繰り返していくことなのだ。

そんな10年後も100年後も100年前も絶対的に変わらないことを、未来が見えない悲しみの日々中で唯一見つけた希望の光のように表現したのではないかと改めて聴き直すことで感じた。

個人的なことにはなるが、このアルバムがリリースされた2011年は僕は17歳で、今年27歳になる自分はこのアルバムをリリースした小出祐介と同じ年齢になる。
なんとなく遠く感じてた27歳という年齢もただ淡々と日々を重ねるだけで普通に辿り着いてしまった。だからこそ改めて聴き直すことで、この当時の27歳の小出祐介の心情や迷いを余計にリアルに感じることができた。

Base Ball Bearは常にどこか自己否定的な着地をすることが多く、3rdアルバム『(WHAT IS THE)LOVE & POP?』では常に現状から脱したい、変わりたいという願望が歌われていて"changes"では失ってでも自分さえ変われば全てが変わっていくと歌い、最後に収録されている楽曲"ラブ&ポップ"では自分を認めることは自分にしかできないと歌い、「そしていつか曝してみたい自分自身」という前向きな歌詞で終わる。
しかし、その後に収録されているシークレットトラック"明日は明日の雨が降る"(ストリーミングでは未収録)で、タイトルでも分かる通り全てを否定するように悲観的に終わりのない拭えない虚しさを歌いながら「明日になれば泣けるのかな」とアルバム全てを否定して沈み込むように終わっていく。

対して『新呼吸』の最後の楽曲"新呼吸"では、「あたらしい朝が来れば僕は変われるのかなぁ」と、自分を疑いながらもこれまで自己否定的だった自分自身を否定して新しくなろうとする、"明日は明日の雨が降る"で歌っていたことの逆、まさに新しい呼吸をしようというATフィールドを突き破って、"青春"を脱ぎ捨てた小出祐介の決意を感じる。
実際に裏話ではあるが、"新呼吸"の次の曲として"changes"を再録して収録しようというアイデアもあったほど(武道館公演ではこの流れで演奏していた)、変わっていくことに対しての強い決意があったこともここから伺える。
そんな時代と共に変わらない"変わりたい"という意思と共にある作品だと感じた。

『新呼吸』リリースから10年が経ち、今年リリースされた楽曲"ドライブ"は『新呼吸』の地続きにもある、日々を生きていくことの意味を感じられる楽曲で、そのスタンスの変わらなさと常に今を生きていこうとする姿勢が、このバンドの様々な困難と葛藤を生きてきた証なのだと感じられる。
やっぱりBaseBallBearは最高のバンドだと改めて感じたし、『新呼吸』は日本の音楽シーンに刻まれるべき過小評価され過ぎた名盤だと思っている。
10周年記念の『新呼吸』再現ライブ、待ってますよ。

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