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バカみたいに馬鹿なマンガ「カラオケバカ一代(ジョージ朝倉)」を語りたい

 「ダンス・ダンス・ダンスール」を読むまでの長らくの間、私にとってのジョージ朝倉は、「恋文日和」でも「溺れるナイフ」でもなく「カラオケバカ一代」の作者だった。私はこのバカみたいなマンガに救われた人間だ。

もしもあなたが落ち込んだときはカラオケ馬鹿一代を読んでほしい

  この本との出会いは2002年のことだ。当時、私を可愛がってくれていた母の親友と祖母が相次いで亡くなり、父は心筋梗塞で入院してしまい、私が東京で起こした事業を畳んで地元に戻ると、これまた私を可愛がってくれていた叔母からはお祓い代わりにカルトに勧誘されるという、厄年と天中殺を同時に迎えたかのような悪い気の流れの中におり、それでいて相次ぐ不幸に心を痛めることもなく凪のように穏やかな自分に疑問を抱く日々を過ごしていた。

 なんのことはない、次々と訪れるイベントに脳がオーバーフローを起こしてしまい現実から目を逸らしていただけの話である。実のところ私はかなり落ち込んでいた。

 現実逃避にマンガはうってつけだった。本屋に行き平台の上で目にしたゴールドとショッキングピンクで彩られた大判の表紙。ダンスールの若かりし頃のブランコのような半裸の格好した男がマイクを振り回し、目から炎を吹き出しながらシャウトをする姿を見た瞬間に、私は中身を確認することもなく、その本を購入していた。

こんなシーンは作中に一切ない。表紙サギ!

 時代の気分とでもいおうか、当時ざらにいた量産型サブカルシニカルオタク野郎であった私は、モンドとシュールとハイブロウにこそ価値を見出し、自ら購入するギャグマンガはしりあがり寿ととりみきくらいのもので、勢いで突っ走るギャグは稲中卓球部を最後に遠ざかって久しかった。
 それでも、私のギャグマンガのオリジンは、年の離れた従兄の持っていた「マカロニほうれん荘」の単行本であり、トシちゃんやきんどーちゃんのセリフを暗唱する程度には感性ギャグを愛していた原体験があったのだ。

 ……はたして、ジャケ買いをしたカラオケバカ一代に私は腹を抱えて笑った。それこそが自分でも気づかぬうちに荒みかけていた私の心に必要なカンフル剤であったのだ。もう清々しいくらいにバカ。バカバカ。大好き。その後数年、折に触れて読み返しそのたびに元気をもらっていた。

 ジョージ朝倉も私と同世代(現在アラフィフ)のサブカルシニカルオタク野郎なので「巨人の星」や「ガッチャマン」など生まれる前の作品であっても古典の名作として履修済みである。加えて、「天使なんかじゃない」、「ミスター味っ子」、「お父さんは心配症」などを同世代のマンガ読みとして当たり前に読み込んでおり、カラオケバカ一代という作品の持つ90年代の空気感と60~70年代の作品のパロディこそが我々の間の共通言語だ。そうした約束を重ねることでこの物語は展開する。すでに形骸化して久しいネタであるので、上述の作品に触れたことのない人でもお約束として理解できることは保証する。

 家に帰り着きページを開いた瞬間、ジョージ朝倉は(勝手に)私の戦友となった。

ジョージ朝倉近影/
ペンネームはガッチャマンのコンドルのジョーから

なぜ再出版してしまったのか……

 確信に満ちた作者に比べ、このマンガは出版社側が迷走している。

 元々、カラオケバカ一代の初出は、1995年の別冊フレンド(以後、別フレ)だった。実験作のつもりだったのかは知らないが、ひうらさとるや末次由紀のとなりにカラオケバカ一代は、相当に無理がある。
 実際に数字は正直で、販売された講談社版のコミックスは異例の早さで即絶版となってしまった歴史があったのだ。

 それから六年後に、我らがフィールコミックス(祥伝社/フィール・ヤングの単行本)から、新装版として、この即絶版コミックスがなぜか再販されてしまうのである。なぜ?

 なぜ、と問いつつ理由は明白で、フィール・ヤングがジョージ朝倉に連載を依頼したいけれど、講談社の仕事でしばらくは手一杯なので「とりあえずお近づきの印に余ってる原稿を集めて一冊単行本でも出しましょうよ」という会話があったのであろうそうしてあろうことか当時寡作であったジョージ朝倉の身受けできそうな空中に浮いていた原稿が、カラオケバカ一代しかなかったに違いない。

 ほんとなら、フィーヤンの編集部も、もっとリリカルで叙情なジョージ朝倉の作品を出版したかったんだと思うよ。これが男子向けのビッグコミックスから出ていればなー。もう少し売りようがあっただろうにね。連載のためのバーターとはいえ祥伝社の血迷いぶりとコミックの営業担当に私は涙を禁じ得ない。しかしながら、この本が平台に並んでいたからこそ、私はジョージ朝倉とフィール・ヤングに巡り会えたのだから、こちらからすれば感謝しかないのである。

 それでは、作品を紹介していこう。

カラオケバカ一代

 表題作である。完璧超人のタッちんの唯一の弱点は歌で、ライバルのスズキからカラオケ勝負を挑まれ、馬をハーレーダビッドソンと言い張る頭のおかしい女に弟子入りをしてカラオケの特訓を通して人間的に成長をする師弟愛の物語だ。

 ひとことで言えば、ヤマもオチも意味もない。稲中卓球部が卓球をやらないように、南国アイスホッケー部がアイスホッケーをやらないように、もちろんカラオケバカ一代も、カラオケなんかしやしない。

 一話目は巨人の星、二話目は少女マンガシチュエーション、三話目がミスター味っ子のパロディで押し切る。もはや安永航一郎やながいけんのノリである。こんなものを別フレでやるんじゃないよ。

 ……私の好きなページを紹介する。あまり現物をそのまま引用したくはないが、模写が面倒くさいので許してほしい。特に物語上重要でもなんでもないページなのだが、流れるようなセリフとコマ運びが美しく何度でも見てしまう。

 注目したいのは、涙を流すほど爆笑しながらスズキを撃ち落とさんとする主人公と師匠女、サルのように威嚇するスズキの表情だ。実に90年代の空気を感じるシーンといえよう。当時はこの手の表現をよく見かけた。同様に最下段は『コーッ→ゲラゲラ→つるっ→ドグワシャ→ゲホッ』という畳み掛ける擬音でリズムを作っている。このあたりが作者のセンスである。スズキが自爆して、呆れながらも心配される流れまで、1ページできれいに納めてある。

 今回数年ぶりに再読をしたのだが、令和の今でもちゃんと面白くて安心した。大体において古いギャグ作品を読むと、もっさり感というかスピードが不足していて思い出補正との対比でがっかりするのだが、この作品は今でも十分速い。他の人のレビューなどを見ても、講評が極端に少ないので、知られていない上にノリが合わない人も相当数いるのだと想像される。しかし合う人の手にも行き渡っていないことは確かなので、なんとなくおもしろそうだと思った方は、ぜひお手にとっていただきたい。

フトンの詩

 寒い日に布団から出れなくなった主人公の男が会社に布団を着たまま出社したらあれよという間に布団教祖にまつりあげられる話。オチまできちんと作られたショートショート。実質のデビュー作らしいのだが、いきなり男主人公で他にはモブしか出てこないシュールな設定のマンガなんか掲載して、別フレ編集部はジョージ朝倉の活かし方を最初からわかっていたことになる。でも、正しいことが正解かはわからない。それで良かったのか?

猫日和

 一人暮らしの男が、飼ってた猫が人間の姿に化けたと勝手に勘違いして援交女子高生を飼う話。純愛。好き。リリカルなジョージ朝倉。

星の名前

 アパートの隣の子に惚れて喋ったこともないのにラブレターを出す男。手紙を出してから自分に酔って調子こいてたことに気づき一人でもだえる。このひとりで盛り上がって勢いで何かをしてしまうムーブは自分もよくやるので共感しかない。女の子は不倫相手に嫌気がさして、会話したこともない主人公と駆け落ちをする。逃避先の田舎で住み込みのリゾートバイトをはじめた二人は夜空を見上げ、きらめく星々に好き勝手な名前をつけるのである。悪魔の花嫁(あしべゆうほ)。純愛。好き。叙情なジョージ朝倉。

ろくでなしマンガ野郎ジョージ朝倉

 コミック描き下ろし。この人は勢いで突っ走る男をかくのが上手いなあ。ヒーロー=バカなんだろうな。そのバカを上から見下ろすのではなく、すぐ真横で一緒に笑ってみせる感覚が良い。

ジョージ朝倉の言葉を贈る

 巻末の作者の言葉を引用して締めの言葉にかえさせていただく。

突然自分語りですが私めの夢は原田芳雄宅で毎年行われている新春もちつき大会に参加することでございます。
本気です。たわむれではございません。
それは…死を意味するかもしれません。しかし私はこの限りなく長く険しい侠道(まんがみち)を登ってゆこうと思います…!!!

カラオケバカ一代 (FEEL COMICS)


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