産声(3)
2019年9月5日 19:50
最後の曲がり角を通り、SLYがあるテナントに近づくと、そこには既にギターケースを背負ったNさんが立っていた。
「あー淀ちゃんさーん!」
「こんばんわぁ。遠いところありがとうございました。待ちましたか?」
「いえいえ!さっき来たところです。ホテルはこのすぐ近くなので。」
「SLYまだ開いてませんね…少し待ちましょうか。あ、紹介します。娘の理迦です。」
私は理迦の後ろへ下がり、彼女に前へ行くように促した。
「あ、あの、初めまして。理迦です。今日はよろしくお願いします…。」
理迦は緊張気味な笑顔とともに軽く会釈をした。
「あ!どうも初めまして。Nといいます。こちらこそよろしくお願いします。」
程なく店のシャッターが上がり、マスターが現れた。
「はやっ!」
「あ、ごめんなさい。20時集合にしちゃったんで。」
「冗談ですよ。」
マスターはいつもの愛嬌のある笑顔で出迎えてくれた。マスターは理迦の顔をみて、
「娘さん?やべえ、お母さんそっくりじゃないですか…」
「そうそう、私も最近そう思う。気持ち悪いもん(笑)」などと言いながら、店内に入っていった。
ホワイトムスクの香りに包まれた馴染みの空間が広がる。
ただいま。SLY。
「ねえマスター、ビールサーバーはいつ直すの?」
「そんなに通ってないでしょ?修理代くれたらねー。」
マスターは堂々と缶からビールを注ぎながら笑った。
それでいい。ビールの銘柄とか、生でどうのとかが問題ではなく、この店でビールを頼み、このくだらないやり取りをして、室内に流れる香りや音楽と共に、喉へと流し込むビールが好きなのだ。「行きつけ」の楽しみ方の一つだと思っている。
Nさんをマスターと理迦に紹介し、3人でテーブルに着いた。マスターは理迦に味の好みを聞いてて、ノンアルコールでカクテルを作る。グラスに注がれたライチジュースがベースのカクテルは、理迦が着ていたモスグリーンのトップスに映えるライトオレンジ。
「美味しい!!」理迦は嬉しそうに笑った。私も嬉しかった。
アルコールでなくてもいいのだ。こうした店の雰囲気も楽しみながら、「嗜む」ことを知って欲しい。
少々の雑談の後、理迦が口を開いた。
「あの…ギター拝見させていただいて宜しいですか?」
「あ、はい!出しますね!」
Nさんはケースから送られてきた写真と同じデザインのギターを取り出し、理迦に手渡した。
理迦は渡されたギターを抱えながらソファーに腰掛け、錆びついた弦が張られたままのネックを握る。
「わ、テンションが…」
「高いですよね。弾きづらいんですよ。フレットも揃っていなくて。あとはここのピックアップが…」
各部品の名称と専門用語、ギターの現況がNさんから告げられ、理迦は頷きながらギターをチェックしていく。
「練習だと思って、思い切りやってもらっていいですからね!思う存分、自分がいいと思うまでいじってください。なんなら壊しちゃっても大丈夫ですから。」
「いえいえそんな…壊してしまったらリペアにはなりませんから…」
「納期も制限しませんので、じっくりと取り組んでください。ずっと放置していたギターなんで、こんなことでもお役に立てるなら使ってやってください…あ、こんなこと言ったら作った奴に怒られるかな。」
「はは…では、お預かりします。」
静かに笑いながら話すNさんの声に耳を傾けながら、理迦はギターを見つめ、緊張もほぐれたのか、いつも通りの口調ででNさんに返事をした。
「よろしくお願いします。分からない事があったらどんどん聞いてください。あと、リペアする箇所は必ずbeforeを写真に撮っておくといいです。afterとの比較がないと、どうリペアしたのかが分からなくなってしまうので。」
「そうですね…では、リペアするとき理迦に連絡もらって、その場に立ち会いながら、私が撮影します。」
「これを実績として、将来仕事を請ける為のアピールも出来ますから。楽しんでやってください。」
そういってNさんは、理迦の手によってケースにしまわれていくギターに目を落として言った。
砂短が仕事を終え、SLYへとやってきたのと交代で、理迦はギターと共にSLYを後にした。
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2019年9月15日 理迦自宅内にて
「さて…作業台をどうするかな。あ、引っ越しの段ボールでいっか。粉が飛ぶからビニールを敷いて・・・っと。」
「まだ捨ててなかったの?」「ほら、捨てる曜日に限って仕事でさ、いっぺんに運べないし…んでも役に立ったわ。」「たまたまでしょ。」「まあね。」「オカン今度応募する原稿やりたいからさ、なんか撮った方がいいとことかあったら言って。」「うん。自分でも撮るけどね。」
「ここなんだよね…すごい気になって」「なにが?」「フレットが高いんだよ。他のフレット押さえてるのに違う音が出たりする。形状も直す。これだと弦との接触面が広すぎて音がぼやけるからさ。多分これじゃ音も伸びないし。人によるけど、弦とフレットの接触面が出来るだけ小さい方が、シャープで音伸びもいいから、自分のギターはいつも好みの形に削っちゃう。その方が好きなんだ。」
「そういえば…お父さんはネックの方を削ってたよね。」「そうそう。ネック削ったあと、弦張ってーってよく頼まれてた(笑)。」「ああ、やってたやってた(笑)。」
「とりあえず…テンションが高いわ。弦高も。でも…弾いた跡があるね。手垢とすり減り具合で分かるよ。これじゃ弾きづらかっただろうに。」
「フレットの高さが合わないから、ここも調整するよ。」
「ああ、センターだけピックアップの音がでないわ。接触不良かな…」
「うん…配線は間違ってないから、多分線がダメか、部品が駄目か…かね。テスターやっても反応しない。」「そんなんスマホで見れるん?すごいな。」「ビンテージ系のは本で調べるけどね。こっちの方が早いからw」「今時だなあ…」「んでも、頭に入れたいときはやっぱり本をめくって考えるのが好きだよ。」「どおすんの?」「うーん…とりあえず、直せるとこ直してから、もう一回見直してみるわ。」
「あ、あと『牛角ナット』がどうとか言ってたけど…」「へ…?お母さんそれを言うなら『牛骨ナット』!!笑わせんといて。ツボる。」「あああ『牛骨』なのね!知ったかぶりしたわーごめん。」「はは。牛骨ナットって、削ると独特の匂いがするんだよ。牛角ナットだったらカルビの匂いしそうで笑える。ああ…確かに面取り出来てないや。」「へえ…やっぱ生き物の骨だから匂う?」「そうそう。独特だよ。豚骨ラーメンでも匂いすぐ分かるでしょ?あれと一緒。」「へえーー。」「んでも、ちゃんと作ってあるのは伝わるよ。言われるほどネックの反りは気にならないなあ…輸入物のビギナー向けで、たまにひどいのあるよ。ネック触っただけでケガするくらいささくれてたりするから。」
「マスキングテープよく使うんだね。」「使う使う。他の場所を傷つけないように養生するから。」「なんで貼る前に服にペタペタしてんの?」「マスキングテープの粘着力が強すぎると、はがすときにネックの表面もはがしちゃうから。」「敢えて弱くするのね…」「そうなんですよー。こういう気遣い大事ですから。」「何プロっぽい事言ってんの(笑)」「ちょっと言ってみた!(笑)」
「うん。きれいになったかな。これだけでも音の響きが変わるよ。」
「フレットもやろう。手が汚れてるうちに汚れていい事やっとこ。高さあわせからだね…」
「当たりが強いとこあるね。音聞くと。」「うん。まずは高さ合わせて、そっから成形。場所によっては敢えて削り込むとこもある」「同じフレットで?」「うん。指の当て方や角度が合わないと弾きにくいからね。」
「パーツもいいの使ってるんだよね。GOTOHさんとこのだ。」「そうなん?」「うん。こういうの見るともう『磨きたい欲』が…」「磨き好き(笑)オカンも昔、仕事で研磨やってたから分からんでもない。鏡面仕上げとか。」「そーなんだよ!光るべきもんは光っといてって感じ!金属見ると特に。」「ある意味フェチやね(笑)」「そのせいでに文房具屋いくと、ペーパーやすりとか、使わないのにワックスとかクロス買っちゃう(笑)」「それアカンやつ。コレクター癖だ。」「今日は役に立つよ。思う存分磨く(笑)パーツみんな外しておこう。」
私は今後仕事に繋がりそうなコンテストの作品にむけ原稿を書いていた。娘はひたすら楽器と向き合っていた。無音。
「お母さん、なんかかけようか。」「そだね。理迦のおススメでいいよ。」「んーー」
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お互いに黙々と手を動かす。
私がキーボードを打つタイピングと、理迦のやすりがけの音は、不可思議な調和を保ちながらBGMとなって流れて行く。
互いに「産みの苦しみ」の先にある何かを見つめながら。
(to be continue)
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