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産声(4)

2019年9月15日 17:30

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「わーピカピカだ・・・!配線も今日やっちゃうの?」
「ううん。今日はここまで。明日の講習の課題、まだ少し残ってるから。」
「そか。また進捗分かったら教えて。そろそろ夕方だし帰るわ。サイトの更新と原稿の仕込みもあるからさ。」
ノートPCを片付けながら、私は鞄の中からタッパーウェアを取り出し、冷蔵庫を開けた。
「調味料と水しか入ってないじゃん。」
「近くにコンビニあるからつい…はは。」
「一人だと野菜とか腐らせちゃうしね。最近コンビニも美味しくなったしな…一緒に住むか?家政婦で雇ってえー。」

私は理迦の顔を覗き込んだ。
「うわっ!…あんなアホみたいにPCとモニター置けないし!」
「アホって!まあ…普通のアパートに5台も6台置いてあったら確かにおかしいわな…。PDCAの変わり目やサイトのイベント事は、どうしてもLaboで打ち合わせしないといけないからさ。部室みたいだよ…自分の家なのに。冷蔵庫にプライベートがないわ。」
「あちゃ…ダメだーそういうの。でも○○さん(砂短の本名)らしいわ。頭の良さと、たまに見る行動が反比例してる感じ。」
「うまいこと言うねえ。」
そう言って二人で笑った。

工具を片付けながら、理迦はリペア中のギターをゆっくりとスタンドに立てかけ、しばらく眺めていた。
「…お母さん、色々調整したいとこがあるから、ひょっとしたら少し時間貰うかもしれないわ。」
「いいよ。Nさんとは21日にYouTubeの撮影で浅草集合だから、その時に伝えておくよ。納期は決まってないって言ってたし。んじゃしっかりね!チャンスやし!」
「お互いにぃ。お母さんもコンテスト、受かるといいね!」
「いつも受かる気なんだけどねえ…。あ、冷蔵庫におかず入れといたから、ご飯とレンチンして食べて。」
「はああ嬉しいいー!ありがとうーー!」
「何ちゅう声出しとんねん。たまには自炊しなさいよ。じゃあね。」

私は笑いながら、スニーカー4足分の玄関を後にした。

2019年9月17日

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2019年9月24日
「リペアが完了した」と理迦からLINEをもらい、私はNさんにギター引き渡しのアポイントを取る為に連絡をとった。

「もしよろしければ金曜日に浜松方面に向かう予定があるので、夕方以降であれば取りに伺いますよ。」
「わ!助かります!あかりプロジェクトマンモちゃんのお世話で大変なのに…。出来れば直した箇所などは本人から説明させたいので、理迦も連れて行きますね。あと…是非このギターの音が聴きたいので、チェックがてら弾いてくれませんか?そうだ!SLYで待ち合わせしましょう!」
「そうですね。分かりました!砂短さんはどうですか?良かったら飲みながら話でも。」
「そうですね…砂短はNさんのこと大好きなので、言えばすっ飛んでくると思うんですけど。確認してみます。」
私はスマホで中央競馬のHPと砂短のスケジュールをチェックした。京都大賞典など重賞が3本。

「今週は予想の本数が多くて…こないだの『浅草事件』でかなり反省しているので、来れないと思います。娘はOK取れたので。」
「あ!あれですね。残念です…個人的にはめちゃくちゃ面白かったですけど(笑)」
「もーね…マジでブチギレましたから私。勘弁してほしいですよー。」
「見て分かりましたよ。しかもビックリするくらい冷静にキレてましたよねえ。」
Nさんは思い出しながら爆笑していた。

「では、金曜日お待ちしておりますので。あ!Nさん、よかったら母の店に来てみませんか?娘も愛知に帰ってきてからおばあちゃんに会えてないから。母は終戦の時5歳だったんで、あかりプロジェクトで参考になりそうな話が出てこればいいかと。」
「おお!淀ちゃんさんチーママやってるんですよね。お店も見てみてみたいし、お話も聞いてみたいです!」

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2019年10月4日 19:00
Nさんと店の最寄り駅で待ち合わせをして、2人で母のスナックへと向かう。店のドアを開けると、客のいないソファーにもたれかかって本を読む「ママ」がいた。

店の中に入れば、「母」ではなく「ママ」だ。

「ママ、こないだ話してた人だよ。Nさん。」
「はいはい。初めまして。東京から?まあ…ようこそ。こんな田舎まで。」
「いえいえそんな!わあ…昭和がそのまま残ってますね…雰囲気がすごい。」
Nさんは店全体を眺めた。
「変えるのが面倒なだけですよぉ。長く続けてるだけ。それにしても娘から孫までお世話になって…。あら、理迦ちゃんは?」

ママは湯気の立つおしぼりを少し広げてNさんに手渡した。
「今向かってる。ママは理迦が静岡行ってから会ってないでしょ?」
「そうねえ…大きくなったでしょうに。Nさん、何にしましょう?」
「あ、僕は車なのでウーロン茶を。」
「私ハイボール!」
「何アンタお客さん飲まないのに…って、今日はお客さんか。」
氷を目いっぱいグラスに入れ、目分量で注ぐウィスキーに手際よくソーダを注ぎ込んだ後、マドラーを手に持ちながらママは口を開いた。

「娘から伺ってびっくりしましたよ。佐々木偵子さんの千羽鶴の話は有名なお話だし、そのご身内の方が音楽をやっているなんて、初めて知りましたしね。まさかそんな方達と娘が繋がるなんて思いもしなくて。」
佐々木祐滋(ゆうじ)さんとは、バンドをやっていて20年以上の長い付き合いで。祐滋さんのこころざしを少しでも多くの人に伝えるために、僕らに何が出来るかって思うと…やっぱり音楽と折り鶴なんですよね。」
Nさんは先に出されたウーロン茶を一口含んだ。 

「お若い方々がそうやって語り継いでいくことって、良い事だと思いますよ。二度とあんなことがあってはいけないし。」
ママは手編みでこしらえたレースのコースターを添え、ハイボールを差し出した。

折り鶴かあ。いいわねえ。しばらく折ってないけど、平日はどうせ暇だし、ここでやろうかしら。」
「手先動かすとボケないし、いいんじゃない?お客さんと酒飲みながら。」
「失礼な!ボケてないからね!!アンタよりちょっとだけ耳が遠いだけ!」
ママはちょっとだけ怒った顔をしながら笑った。

30分程経った頃、仕事を終えてギターを抱え、息を弾ませながら理迦がやってきた。

「あーーおばあちゃん!こんばんわ。ご無沙汰しちゃってます!」
「何よーご無沙汰なんて言葉使っちゃえるようになったの理迦ちゃん!!」
ママはカウンター越しに理迦の上半身を抱きしめた。
「元気だった?こっち帰って来たって聞いてたけど。何年ぶり?」
「うん!こないだ引っ越し終わって…静岡行ってからご飯会行けなかったから、3年ぶりくらい…かな?」
「なんか飲む?」
「あ…じゃあお母さんと同じハイボールを。」
「わーーお!孫にハイボール作ってあげられるなんて、長生きしてみるもんねえ。」
ママはおばあちゃんの顔で理迦にハイボールを差し出す。そのハイボールの濃さに理迦は思わず
「くっ・・・濃い・・・っ」
と顔をしかめた。
「あら!嬉しくて入れすぎちゃったわ。ソーダ足そうか?」
「あ…ゆっくり飲むから大丈夫。」
「無理しない無理しない。」
ママは笑いながらチェイサーを隣に置いた。

「ママ、理迦の初仕事なの。見てやって。Nさん、ギター出してもいいですか?」
「あ、出しましょうか。僕も楽しみで。」
Nさんはギターケースに手をかけ、ゆっくりとファスナーを開けた。

新しく弦を張り直され、錆ついたパーツが磨き上げられたギターが姿を見せた。

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私はなぜか緊張した。

理迦の小さいながらも進んだはじめの一歩。
彼女の父親が望んでいた一歩が、ギターという形となった瞬間だった。

「これから音をチェックしに名古屋のBARまで戻るね。今日はお休み貰ってすみません。」
私はママに軽く頭を下げた。
「分かった。明日はよろしくね。理迦ちゃんいい?これから自分の技術を売るなら、安売りは絶対しない事。その代わりその責任も取りなさい。それがプロだからね。」
おばあちゃんからママの顔に戻った母が、ギターを嬉しそうに見つめながら理迦に言った。

「うん…いや、はい。」
理迦は返事を敬語に言い直し、同じようにギターを見つめた。

2019年10月4日 21:30

SLYのマスターにお願いして、ギターとアンプを繋ぐ。

「Nさん何弾いてくれるんですか?」
「いやいやいや!もう僕は曲とかは…じゃあ、チェックがてら少し音出しましょうか。確認させてくださいね。」

「センターのピックアップ、大丈夫ですか?」
「うん。ちゃんと出てますよ。弾きやすくなりましたね!全然違う。良くなりました!是非弾いてみてください。」
Nさんは理迦にギターを手渡した。
理迦は躊躇したが、少しだけコードを弾いてくれた。

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小学校からピアノも15年習い、ベースやトロンボーン、クラリネットなど金管も一通り演奏できるのだが、人に披露することはしない。ピアノの練習でさえ、ヘッドホンで隠し聞かせなかった。カラオケも専ら「ヒトカラ」だ。

「楽器に触れることが好きで演奏も好きだけど、人に見せようとは思わない。」
彼女らしいと言えばそうなのだが。

Nさんと談笑している理迦の成長した姿を見ながら、私は彼女が高校生の時に、専門学校のパンフレットを差し出した日を思い出していた。

あれから9年。Nさんとの縁と、彼女の手によって、25年の沈黙を破り、ギターは「音」を取り戻した。

それはまるで「産声」のようでもあった。

そのギターと共に、彼女も「リペアマン」としてのとスタートラインに足をかけた。

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「リペア料をお支払いいたしますので、請求書を送ってください。」
とNさんに言われ、私も理迦も始めお断りしたが、

「これから自分の技術を売るなら、安売りは絶対しない事。その代わりその責任も取りなさい。それがプロだからね。」

母の言葉がよみがえり、私は「自分の技術に値段を付けなさい。」と理迦に言った。
エクセルで請求書を作りながら、
「屋号どうする?」
「屋号…?」
「金額が重ねれば個人事業主だからね。一応。」
そう言いながらふと思い出した事があった。
「…因みに、お父さんの屋号は『ny's illustrat(ニーズ・イラスト)』だったよ。」
「へえ。じゃあそれにする!『ny's guitar』(ニーズ・ギター)!」
「はは。いいじゃない。お父さん喜んでるよ。きっと。フォーマット送るから、これ使って。」

私は「ny's guitar」と入力し
少しだけ泣いた。

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翌日、Nさんからお礼のメールと共に送られてきた言葉がある。

「20フレット付近から最後まで、
2弦から5弦のチョーキング音が詰まります。」
「ハイフレの削りが甘いのかな?と思いました。今後、エレキのクライアントさんに対して最終チェックをするときは全フレットを チョーキングしてチェックをされたら良いかもです!」

そう。これを待っていた。
リアルタイムで言わなかったところは、始めからマイナス要素を並べてしまえばやる気も削いでしまうと考えたNさんの優しさだ。
ただ、この先同じようなことをしてしまえば信用も失い、クライアントによってはクレームに繋がる。

「ありがとうございます。娘に転送しておきました。今後ともご指導ください。」
その後娘からすぐ返信が来たので、私はその後を続けた。

「ご指導いただいたチョーキングで音が伸びない件について娘に聞いてみたところ、お察しの通りチョーキングでのチェックは行っていなかったとのことです。
あくまでも私個人の考えですが、もしこれからそのギターが日の目を見るのであれば、もう一度お引き取りさせて頂いて、無償で直した方がいいと思うのですが、如何でしょうか。
楽器に関しては素人なので、差し出がましければ、すみません。」

「そうですね。もし、またギターを預けるような機会があれば、そのときは、お願いします!
あとは、リペア代はこれからワンランク上の依頼受ける事も考えて、工具などに投資して欲しいと思います。」

小さな一歩。最初から上手くいっては面白くない。そう言えるのは、私が歳を取ったせいなのかもしれない。

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「今回は見送らせて頂きます。またご縁がありましたら是非チャレンジしてください!」

前向きな落選メールが届いたのはその3日後だった。
とうとう子供に先を越されてしまった。

私が産声をあげる日は、いつなのだろう。
少し下を向いてから、これを書いている。

(産声-Fin-)

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