土壌生態学的観点による不耕起栽培


土壌中の生物相が豊かであると植物の生育に様々な利点があります(後述します)。土壌中の生物相を豊かにするためには、土壌に有機物を供給することと土壌に余計な擾乱を与えないことの2点が必要です。端的に言えば、餌を与え、住処を守ることで繁栄を促します。

方法論はすでに確立されていると言ってもよく

  1. 土の表面を作物残渣や刈草、稲わらなど有機物で覆う(有機物マルチ)か、植物が常に繁茂する状態にしておく

  2. なるべく踏まない、掘らない、耕さない

の2点だけです。

(1の有機物マルチと植物繁茂状態のどちらがいいかについては色々な意見があるのですが、畑が小さいか安価または無料で充分な量の有機物資材が手に入るなら有機物マルチをお勧めします。理由は

  • 比較的に美観に優れる

  • 夏場の草刈りが必要ない

が挙げられます。草ぼうぼうだと只の荒れ地と誤解されかねませんし、家人やご近所の評判も残念ながら宜しくありません。また、作物の光合成の邪魔にならないよう、間違って作物は切らないように伸びすぎた草を刈るのは結構大変です。この稿では以降、有機物マルチを念頭において述べます。)

草ぼうぼうよりは見た目が良いかも?

以前の記事で耕すことの効用について書きました。

  1. 土をほぐして柔らかくする

  2. 土の表面付近の雑草の種を土の内部に押し込んで発芽させにくくしたり、すでに生えている雑草の根を埋め戻して成長を阻害する

  3. 作物の残渣を土に埋め込んで腐食させると共に次の農作業を楽にする

  4. 土の中に酸素を供給することで土の中の有機物の分解を促進させ、肥料として利用できるようにする

不耕起栽培ではこのように回答します。

  1. 土は別に柔らかくなくてもよい
    園芸関係の記事なんかを読むと何かと言えば、ふかふかの良い土みたいな書き方をしていて、良い土はふかふかじゃないといけないみたいです(おかげさまで私は家庭菜園を始めたころは土はふかふかじゃないといけないと思い込んでいました)。ですが、土は植物が体を支える土台にもなるのであまり柔らかいと倒れてきます。別に手で掘れるほど柔らかくなくても植物の根が腐食して出来た細孔やミミズの通り道が開いていれば空気や水も通るし、根も成長します。

  2. 分厚い有機物マルチで土を覆うことにより雑草の発芽、成長を抑制できる
    5cm位の厚みでマルチを敷くと雑草はほぼ発芽しません。たまに頑張って生えてくるのもいますが、ひょろひょろなので処理も楽です。

  3. 残渣は埋めなくていいし、根っこも残したままでちょっと場所をずらして植え付ける
    ここは難しいところです。残渣はマルチの補充になるので問題ありません。課題は作業効率です。種を撒いたり苗を植えるにもマルチを一旦除けて、前作の根っこも避けてとなると家庭菜園レベルなら楽勝ですが、営農レベルに畑が大きくなったりすると段々手に負えなくなっていく気がします。

  4. 有機物マルチの分解でゆっくりと肥料分も供給できる
    そもそも土壌中に有機物を貯め込み土壌生物の餌を確保することがこの栽培方法の目的です。有機物の分解を促進しては土壌生物の餌がなくなってしまいます。
    江戸時代の利用できる物は何だろうと利用していた頃とは違い、そこらに様々なマルチ材料が利用もされず捨てられている現代だから出来ることではありますが。

無耕起で植えた大根

では、土壌生物を優遇することで植物の成長にどのような利点があるのでしょうか。その答えの正確なリストはひどく長くなる筈ですが、かいつまんで幾つか述べます。

  1. 土の物理的特性が改善する
    微生物が分泌する物質によって泥や砂の小さな粒がくっつき合い団粒構造と呼ばれる構造をした粒状のかたまりになります(小さなガラス玉のようなものを想像してみて下さい)。土がこうなってくると土の水はけや空気の循環がよくなり、根の成長に良い影響をもたらします。粒の中心付近は空気が入らず、有機物が保持されたままですが、この有機成分はゆっくりと時間を掛けて分解が進みます。団粒構造を維持している分泌物も徐々に分解されて行きますが、微生物の活動が活発であれば更新され続けます。ミミズが作る通り道も土の中の水はけや空気の循環を助けます。

  2. 植物の栄養吸収や水の吸収を助ける
    この部分について全部を追うのは無理なので二点述べます。

    • C/N比という言い方をしますが、生物の体を構成する炭素と窒素の比は生物によって異なります。例えばバクテリアは4~5:1、菌類は10~20:1、対してアメーバなどの原生動物やセンチュウなどの動物の平均は20:1くらいです(数字は文献によって異なります)。バクテリアや菌類が有機物を分解、吸収するとその体内に有機物が保持されます。C/N比の高い捕食性の動物がC/N比の低いバクテリアや菌類を食べると体の維持に必要な炭素の量に比べて窒素が余ります。そこでこれらの動物は余った窒素を無機化合物として体外に排出します。これで植物が窒素を利用できるようになるわけです。

    • 菌類の中には菌根菌と呼ばれる植物と共生するタイプの菌がいます(大抵の植物には何らかの菌根菌が寄生しますがアブラナ科や他の幾つかの科の植物には寄生しません)。この菌類は植物が光合成から作った栄養をもらう代わりに根の延長のように働いて肥料分(特にリン)や水分を吸収するのを助けます。

  3. 植物の病気の発生を軽減し、連作障害にも強くなる
    土壌中の生命活動が活発になるということは生存競争も激しくなるということです。植物に病害をもたらす生き物も競争にさらされ影響力を弱めます。
    また、先に述べた菌根菌は根の延長として働くため植物が自ら根を長く伸ばす必要性がなくなります。結果、植物の根と病原体との接触機会が減ります。
    長年同じ場所に植わっている木や多年草は連作障害など起こしません。耕起されることがないので植物にとって有利な土壌生態系が確立しているからです。
    連作障害を気にしなくて良いと毎年同じ場所に植えてもいいので、支柱を立てたりネットを張ったりするのが楽になります。

(良いことばかり書くようですが、収量が上がるとは書いていないことにご注意ください。このタイプの不耕起栽培の収量についてはどんな論文を見ても、うまく行って慣行農法程度で、慣行農法を超えると書いてあるものは見当たりません。また、単純に収量で比べるなら、土壌生物の助けなど一切必要としないハイテク水耕栽培が最強です。
野菜の味に関しても私は不耕起栽培だから美味しいとは考えていません。新鮮な野菜はどれも美味しいものです。自分で作ったという思い入れもあります。さらに味や見た目は品種や天候、栽培時期の影響が大きいのです。)

植物の根穴やミミズの通り道、かじられながらも成長することで維持される土中の菌類のネットワークを壊さないためにも踏まない、掘らない、耕さないことは重要です。またセンチュウを食べるセンチュウ、センチュウを罠にかけて殺す菌類など土壌中の病原体の数を制御する役割の生き物は土壌環境の擾乱に特に弱いことが知られています。

土壌中の生き物がどれだけ豊富かを測定するには、土の中の生き物が呼吸する際に放出する二酸化炭素を測るだとか、もっとハイテクにシーケンサにかけてDNA量を測定するだとかがあります。ですが最も簡便でありながら意外と良い指標になるのが土の色です。土が黒ければ黒いほど土の中の有機物が多く、生命活動も活発です。

マルチをどけたところ
土が黒いところをお見せしたかったのですが
よく見るとグロい写真になってます

また、土壌中の有機物は土壌生物の餌となるだけでなく、それ自体陽イオンを吸着するため(陽イオン交換容量が大きいと言います)、肥料成分が土の中に保持されることを助け、肥料分特に窒素の雨水による流亡を防ぎます。

微生物の餌及び表土の乾燥避けとして敷く有機物マルチですが、土の温度変化を軽減して根の成長を助ける、風雨による表土の浸食を防ぐ、雨粒の跳ねを押さえて植物の葉が土で汚れて病気になるのを防いだりするなど有機物マルチだけでも数多くの利点があります。

大根の収穫後
マルチの厚みにご注目

その他の利点としてそもそも不耕起なので耕す労力が不必要で農作業が楽になることも挙げられます。

しかし、良いことばかりではありません。このタイプの不耕起栽培は欠点も幾つかあります。

  1. 虫やナメクジなどが繁殖する
    マルチの下など格好の居場所を用意しているようなものですからね。ダンゴムシやナメクジなどが大嫌いな人にはお勧めしません。マルチや残渣の分解に大きな貢献をしている生き物ですが、見た目が不快感を与えるのはどうしようもありません。ナメクジはともかく私もコウガイビルは未だに苦手です。通常、これらの生き物が特に植物に害を与えるということも少ない(なくはない)のですが、アブラナ科の苗や種を植えるときには特別な注意が必要です。プラスチックのカップなどで根元を保護してやるなどしないと一夜で苗が消滅することがあります。

  2. マルチの材料集め、または草刈りが面倒
    河原で刈草などを集めてきますが、夏場などは分解も早いのでマルチの厚みを維持するのが大変な時があります。マルチが薄くなるとそこから表土が乾燥しますし、雑草なども生えてきます。私の家庭菜園などごく小さいのですが、これが今の三倍にもなれば私には十分なマルチが維持できないと思います。
    雑草共生型の不耕起栽培は私はやったことがないのですが、色々な話を聞くと草刈りがとにかく大変だそうです。

  3. 不耕起栽培への転換に少し時間が掛かる
    不耕起とは言いながら最初の転換時だけは地面を深く掘って、ありったけの有機物を土に埋め込んでいくのですが、この埋め込んだ有機物が分解され豊かな生物相に反映されるまで数年かかります。そうはいっても2年くらいで何だか良くなってきた感触は出てくるのですが、時間が掛かることは間違いないです。
    ちなみにその転換期間は化学肥料でしのぎます。マルチの上から施した即効性のある化学肥料でしのいで収量を確保しながら、微生物が有機物を分解し、土が豊かになっていくのを待ちます。
    肥料や石灰など土に施すものはすべてマルチの上からで大丈夫です。雨水などで地面に浸透します。

  4. 肥料設計はブラックボックス化する
    転換初期は化学肥料だけが効くと見なしてよいとおもいます。しかし、徐々に計算が難しくなっていきます。なぜなら、最初に埋め込んだりマルチとして施した有機物がどれだけ分解して肥料分になり、どれだけが団粒構造の中に取り込まれ安定化し、どれだけが土壌生物を増やすのに使われるか、など土壌分析(可給態とかいう方です)などしないことには判りようがないからです。
    かなり大量に積んだ筈のマルチが消えていくのを見ると、これらの肥料分は一体どこに消えているんだろうと感じます。
    年数が経つと化学肥料を段々使わなくなるのは肥料過多に対する恐れからでもあります。

  5. イモ類など収穫するのに地面を掘り起こす必要がある作物は向かない
    これはどうしようもないです。

  6. 園芸趣味の筈が土を目にしたり、土いじりをする機会が減る
    土の姿は苗の植え付けや種まきの時に見るくらいで、ちょっと寂しくなる時があります。マルチをめくってちょっと土を眺めてみたり、土の中に生きている生き物などを想像したりします。

大枠は判っていても、細かい所で試行錯誤することも多いのですが、去年あたりから「うちの畑は大体なんでも出来る」と密やかな自負をもって言えるようになってきました。さらに年々良くなって来ている感じがします。河原や公園のどこに行けば都合の良い枯れ草や落ち葉が手に入るかも分かってきましたし、刈草を集めていると道行く人から掃除のボランティアの人と間違われるのも慣れてきました。

有機物マルチの材料例

桜の花の堆積物。
桜の花が散った後、並木の下で掃除している人から貰ってきました。
桜餅の香りがします。
どんぐりをフードプロセッサーで細かくして撒いてみました
右上は寒椿の花びら


しかし、これは贅沢農法でもあります。私の小さな畑のマルチを維持するためにどれだけの面積の刈草などが必要かを考えると万人にお勧めできるような代物では到底ありません。それでもなお作物や畑が育っていくのは大きな楽しみで、このような贅沢が許されることに感謝したいと思います。


もしここまで読んで何だか面白そう、やってみたいと思われた方がいれば幸いです。マルチの材料集めと虫に慣れさえすれば、かなり楽に家庭園芸が楽しめます。宜しければ挑戦してみて下さい(でも私の刈草は奪わないでください)。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?