不耕起栽培の三類型

さあ、家庭菜園でも始めるか、となって畑を作るときに最初にイメージする作業は土を耕すということではないでしょうか。農業を扱った漫画などではクワをもって土を耕すという描写がほぼ確実に出てきます。リアルな描写では主人公が農作業の苦難を象徴すべく一人で畑を黙々と耕していますし、ファンタジー世界では主人公の魔法の能力によりちょっと耕すだけで立派な畑がたちまち出来上がります。

歴史的にも人類は営々と土を耕し続けてきました。道具も最初は木の棒を使っていたのが、石を使ったクワを使い出し、鉄のクワに変わります。動力も人力から牛などの家畜、発動機に変わっていきます。楽な仕事ではありません。出来れば省略したい作業ではある筈なのですが、そうも言っていられません。実際、土を耕すことにはいくつもの効果があります。

  1. 土をほぐして柔らかくする

  2. 土の表面付近の雑草の種を土の内部に押し込んで発芽させにくくしたり、すでに生えている雑草の根を埋め戻して成長を阻害する

  3. 作物の残渣を土に埋め込んで腐食させると共に次の農作業を楽にする

  4. 土の中に酸素を供給することで土の中の有機物の分解を促進させ、肥料として利用できるようにする

1で土を柔らかくするという書き方をしましたが具体的には土の塊をばらばらにすることで水はけを良くしたり土の中に空気を送り込んで植物の根が成長しやすい状態にします(ただし耕した直後に雨など降ると雨粒の落ちてくるエネルギーで土の組織が崩れて水はけが却って悪くなったりもします)。根菜類の股割れを防いだりするのにも有効です。大根十耕という諺もある位で大根を上手に育てるには何度も耕し、特に深く耕すと良いということになっています。

農地が大きくなってくると雑草駆除が大きな問題になるのですが、2の効果により雑草が最初に生えてくる数を減らします。温暖湿潤な土地ではどちらにせよ雑草がわんさと生えてくるのであまり意味はないかも知れませんが、乾燥気味だったり気温の低めな場所では有効です。

新しく作物を植える際には前に作った作物の根などは邪魔なものです。3の効果により根っこごと土を崩して畑の表面を平らで土を露出した状態にすることで種を撒いたり苗を植えたりなどの作業が楽になります。

4の効果にあまり言及されることはないのですが、耕すことで土が溜め込んでいる肥料分を利用できるようになります。植物の根毛や根から分泌される有機物、あるいは根そのものが分解されたり土壌生物の活動により土の中には有機物が溜まっていきます。土の中にも空気は循環しますから、それらの有機物はゆっくりとは分解されていくわけですが、耕すことにより多くの空気を供給することで分解を促進させます。有機物の中に蓄えられている肥料成分、特に窒素には有効です。化学肥料が普及した現代はいざ知らず、肥料が高価または作成、入手しづらかった時代に、耕した畑と耕さなかった畑に明らかな収量の違いが出ればつらくて面倒でも耕そうという気になったでしょう。

人類はおそらくは農業というものが生まれて以来何千年もの間、土を耕し続けていました。しかし、20世紀に入りこの農業に必須の行為であるはずの耕すという作業に様々な形で疑念が寄せられるようになります。

  1. 自然農法的観点

  2. 保全農法的観点

  3. 土壌生態学的観点

上記の三点はいずれも耕さないか、もしくは出来るだけ耕さないようにするという点では共通です。しかし農業という営みや自然そのものに対する考え方が違うので、化学肥料や農薬などの扱いにおいて大きな差があります。以下少し詳しく述べます。

1は日本発祥と言ってもいいと思います。自然農法という言葉はちょっと多義的なのですが、ここでは人間が手を触れていない自然をモデルにした農法の意味で使わせて頂きます。例えば山野の植物は人が特に世話をしなくても育ちます。無為自然、人の介入がなければ自然は完璧に調和が取れていると考えます。農作物もあるがままに育てればきちんと育つはずなのです。畑はそれ自体小さな生態系でありバランスしています。余計なものは何も持ち込まず、収穫物以外は持ち出さない。肥料も必要なければ耕すこともしなくて良い。農薬など論外です。人間のやることは種を撒き、収穫するくらいのことです。作物の品種もハイテクの塊のようなF1品種や遺伝子組み換え作物や遺伝子編集作物は避け、在来品種と言われるような昔から受け継がれてきた品種を栽培します。

農法というよりも哲学や生き方に近く、道教などの東洋思想や自然崇拝が源流にあるように思えます。20世紀になって登場したのも大量消費社会や機械文明といった近代的な事象に対する違和感や疎外感、反発がもとになっているようです。

自然農法で高名な福岡 正信氏の「わら一本の革命」は海外でも有名で有機農法を扱った本ではほぼ必ず言及されています。もっとも福岡氏自身は肥料や除草剤も使用していたらしい記述が著作中にあるそうなのですが、とにかく自然農法の概念を確立するのに大きな役割を果たした人物であり、その農法に啓発される人もいます。

肥料分、特に窒素の収支で考えると、何も持ち込まずということから畑に入ってくる窒素分は雨水によるものが大半ということになります。空気中にわずかに存在する窒素酸化物が雨にとけて畑に入ってくるのですが僅かとはいえ無視できるほど少なくもなかったりします。ただ畑から出ていく収穫物を補えるかと言えば微妙で結局肥料不足に悩まされることになります。生い茂る雑草に打ち勝って作物がきちんと光を受け光合成することが出来るかどうかも微妙です。従って、この農法の欠点は本当に実践すると収量が決定的に上がらないことです。また、雑草に隠れることで病虫害の影響を比較的抑えることが出来るのかも知れませんがゼロには出来ません。少ない収量の上に一般の消費者に売れる作物はさらに少なくなってしまいます。

これをやる人は収穫した農産物を自然農法というブランドで高値で販売することで何とか収支を合わせるか、本を書いたり、セミナーや講演会、農業体験など自然農法に付随する何かで収入の道を模索します。農家というより自然農法家ですね。自然農法という生き方に共感して営農目的でなくやっている方もいます。

2はアメリカが発祥です。1930年代、トラクターの普及とともにアメリカの中西部グレートプレーンズでは動力による耕起が盛んに行われました。しかし過剰な耕起は土壌中の有機物の分解を速めます。もともとが乾燥気味で雑草の大して生えないような場所です。土はどんどん有機物を失い結果表土はさらさらの砂漠の砂のような状態になってしまいます。そこへ干ばつと強風が襲うと表土は風による浸食を受け飛散、表土を失った農地は壊滅的な打撃を受けることになります。

この反省から生まれたのが保全農法です。表土の浸食を防ぐには土壌中の有機物を保持しなければなりません。土壌中の有機物によって生きる微生物の分泌物が土の細かい粒子をくっ付ける糊のような役割を果たしているからです。具体的には出来るだけ作物の残渣で土壌の表面を覆うようにし、耕起を出来るだけ避けます。この地域では冬季など数か月の間、畑に何も植わっていない状態にすることも多いのですが、飼料作物や緑肥などを出来るだけ植えるようにします。これはアメリカでやっているような機械化した大規模農園ではそれほど簡単なことではありません。種だって只ではありませんし、土壌の表面に残渣があるような状態では普通に種を撒いたのでは発芽しませんから、きちんと土中の適切な深さに種が撒けるよう機械から変えていく必要があります。目的の作物を作るときにはすでに植わっている植物は邪魔なので除草剤で枯らします。除草剤に耐性を持つ遺伝子組み換え作物などであれば途中で生えてきた雑草なども枯らせるので好都合です。自然と調和した生き方を重視する自然農法と違って収量と経済性が優先なので科学技術を利用することにためらいはありません。むしろアフリカでの保全農法の普及を説いたIMPORTANCE OF HERBICIDES FOR CONSERVATION AGRICULTURE IN SUB-SAHARAN AFRICAという論文ではラウンドアップの商品名で知られる除草剤グリホサートの入手可能性が保全農法の普及を決めると書かれているくらいです。

日本では不耕起栽培というと自然農法をイメージする人が多いようですが、世界の主流は保全農法による不耕起です。アメリカ政府が自国の農地の保全農法への転換を補助金や融資で援助しているのは勿論、国連食糧農業機関(FAO)なども世界的に普及に努めており、不耕起栽培として統計データが参照されるときも中身は保全農法を指していることが多いです。ちなみにGlobal spread of Conservation Agricultureという論文が出ていて世界で保全農法を行っている農地のデータがあるのですが、無料で手に入る2018年の版では日本は各国別の一覧に載ってさえいませんでした。黙っていても草が生い茂る日本では土壌の浸食に対してあまり気を使う必要がないので保全農法自体が必要ではないというのもあるのでしょうが。

3は近年の土壌生態学の進歩によって土壌中の様々な生物(バクテリアや菌類、センチュウ、トビムシ、ミミズなどなど)が植物と様々な相互作用を及ぼし、全体として植物の生育に良い影響があるらしいことが知られてきたことに拠ります。耕すことによって土壌中の環境を激変させることは、植物とこれらの生き物との相互関係を崩すことになりますから避けるべきというのが主張です。自然農法でも自然との調和が大きなテーマでした。似ていると言えば似ているのですが、元が哲学ではなく科学なので化学肥料や農薬への考え方が異なってきます。

肥料に関しては土壌中にリンが多いと植物の根と共生する菌根菌の成長を阻害するので、過剰なリンの施用は避けるべきですが、窒素肥料に対しては周囲の環境への流出が問題にならないような程度では特に支障がないと考えます。農薬についても土壌消毒剤のような強力な薬剤は避けるべきですが、植物の地上部や特定の種類の虫にしか影響しないような薬剤(BT剤など)は制限しません。自然農法の人たちからは悪魔の薬剤のように言われるグリホサートも土壌中ではあっというまに分解される、ということはむしろ微生物の餌になるくらいなので問題なしです。科学によって生み出された品種も大歓迎です。特にF1品種は耐病性があるものが多いので農薬を多用する必要がなくなり重宝します。ただ科学大好きではありますが、菌資材(畑に有用な微生物を導入するという触れ込みの商品)には鼻も引っ掛けません。どんなにやせた土でも菌資材に比べて大量の微生物がすでにいることを知っているからです。

私が自分の猫の額のような家庭菜園で行っているのもこの3の不耕起栽培です。具体的にどうやるんだという話は別の稿でします。

以上三点に大別して不耕起栽培について述べてみました。ただ細かなバリエーションを入れればさらに数は増えると思います。

現代の、特に先進国において農業生産力の向上と省力化技術の進歩で農業に従事する人は過去に比べて激減しました。私もそうですが本格的な農作業を行ったことがない人が今や大半なのではないかと思います。しかし、耕すということは多くの食料を農業に頼って生きてきた人類の営みの大きな一つでした。その人類の営みの結果、長い歴史と幾多の紆余曲折を経て科学文明が生まれたのですが、一つには科学文明へのアンチテーゼとして、一つには科学文明の弊害に対処する形で、さらには科学文明の成果を受け入れることによって、様々な形で耕すという行為そのものへの疑念が生まれたのは興味深いことだと思うのです。



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