見出し画像

「世界平和を」一番身近に感じた日。

((削除してしまったので、再投稿です))


うちのおばあちゃんは「黒人」が嫌いだった。

黒人はみんな銃を持っていて、みんな「怖い」と言っていた。

あの日、ガーナ人留学生の "イノキ" に出会うまで。


大学生の時、留学生のお手伝いをするボランティアをした。

私が担当したのは、「東南アジア」。

希望言語「英語」ってアンケート用紙に書いたから、アメリカとかイギリスとかそっちのほうの国を想像してたけど、担当になったのはまさかの「東南アジア」。

当時はまだ海外に行ったこともなくて、「東南アジア」ってどこからどこまでだっけ?というくらいあやふやな認識。

だから、「東南アジア」のグループにガーナ人のイノキが混じっていたのにも、最初は全く気が付かなかった。

ガーナと聞いても「へえ、ガーナねえ。あのチョコの。」くらいで。

当時、アフリカからの留学生はまだ少なくて、「アフリカ」というグループを作るにはどうやら人数が少なすぎたようだった。

そうしてイノキは、多様性豊かな東南アジアチームに流れ、やって来た。


「イノキ」というのは彼のミドルネーム。フルネームは「とにかく長かった」ということしか覚えていない。

どこに行っても彼は唯一の黒人だったけど、今思えば「イノキ」という馴染みやすい名前が、彼を日本人の輪に溶け込みやすくしていたように思う。

大きな口ではにかむ笑顔は可愛く、性格は人懐っこい。だけど、初対面の女子にはちょっとだけシャイになってしまう。そんな、なんとも愛くるしい黒人の男の子だった。


そんなイノキが、東南アジアの留学生たちとうちに遊びに来ることになった時のこと。

「遊びに来なよ」と自分から誘ったくせに、私はその日になると朝から不安で落ち着かなかった。

なぜなら、うちには黒人嫌いな甲府生まれの気の強いばーちゃんがいるから。

しかもイノキは日本語がほとんど話せない。

もちろんうちのばあちゃんは英語が話せない。

DVDを「でーぶいでー」と読む、英語ニガテな典型的な日本のおばあちゃん。

言葉が通じない上に「アメリカのニュースでよく見る怖い黒人」と対峙するのだから、正直ですぐに顔に出るタイプのばあちゃんがどんなリアクションをするのか。失礼なことを言ってしまわないか・・・。

大きな不安と、だけどそれ以上の期待感で、私はその日朝からずっとソワソワしていた。

「コンニチワ~!!」


元気いっぱいに留学生たちが我が家にやってきて、一人ひとりがばあちゃんに挨拶した。

そしてイノキの番になったとき・・

「はじめまして、イノキと、いいます(ハニカミ)」

たどたどしい日本語で、イノキがばあちゃんに自己紹介をした。

すると、それまで「よそ行き」の笑顔で留学生に対応していたばあちゃんの表情が、一気に変わった。

「え、イノキって言うの?あのイノキ?」

ばあちゃんを見ると、なんと、ボクシングのポーズを取っている。

不思議そうな顔半分、楽しそうな顔半分。

そのばあちゃんのボクシングポーズが相当に面白かったようで、初めて会う日本人の「ジョシ」に少し恥ずかしそうにしていたイノキの笑顔が一気に弾けた。

大きな口で優しく笑うイノキの笑顔は、破壊力満点。

イノキの笑顔を見て、ばあちゃんから満開の笑顔がこぼれた。


イノキはきっと、ばあちゃんがあの有名な日本のレスラー「アントニオ猪木」を真似てボクシングポーズを取っているとのだということは分かっていなかったと思う。

一方でばあちゃんは、イノキがあの有名な「アントニオ猪木」を知らないなんて思いもしなかったはずだ。

側から見ていると、二人のやり取りはどうにも "ちぐはぐ" で、その「ズレ」を埋めるための言葉もお互いに持ち合わせていなかった。なのに、

二人の世界は大きなジェスチャーとスマイルだけで完璧に成立していて、その空間だけがキラキラと輝いていた。

二人が笑い合う姿は、まるで一幅の名画を見ているよう。

ガーナからやって来た黒人の男の子と、海外に一度も行ったことがない戦中生まれのおばあちゃん。

そんな二人が、言葉を頼ることなく思い思いのコミュニケーション術を駆使して交流するその姿を見ながら、私はこの「名画」にタイトルをつけるなら、

「世界平和」だ ―― 。

そんなことを考えていた。



あれから7年。

イノキは日本での留学を終え、今は遠く離れたガーナでどうやら政府関係の仕事をしているよう。

一方、我が家のおばあちゃんは、2018年に89年間の尊い一生を終えた。

すでに遠く離れたところに行ってしまった2人だけど、今でも時々あの時の二人の笑顔を思い出しては思うことがある。

それは、「世界平和と言っても、すべては一対一の友情から始まる」ということ。

イノキと会ったその日から亡くなるまで。おばあちゃんが「黒人が怖い」と言ったのを聞いたことがない。

80年間ずっと持ち続けてきた「外国人」に対する固い固いばあちゃんの偏見の心は、たった一人との一瞬の出会いで消えてなくなってしまった。

それはあまりにもあっけなくて、そして力強かった。

私自身、「東南アジアってどこからどこまで?」と言っていた当時は、東南アジアで事件が起きても天災が起きて人が亡くなっても、それは数あるうちの一つのニュースに過ぎなかったのに。

フィリピン人の友達ができてからフィリピンで起こる不幸なニュースは、ただテレビに踊り出る文字の羅列ではなくなった。

タイで洪水が起きれば、タイ人の友達やその家族、そしてまたその友達・・。皆んなの無事を心から祈った。

その国に友達がいるから。その国で起きる出来事は「他人事(ひとごと)」ではなく「自分事」になったのだと思う。

国が違えど、そこには自分たちと同じように喜怒哀楽と幸不幸を感じながら生きている「人」がいるのだということを肌身で知ることができる――それが一対一で結ぶ「友情」の力なのだと感じている。


いつも読んでくださる皆さまありがとうございます!サポートの30%はUNHCRまたはWWFに寄付します🕊