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小学生向け 読書感想文 「嫌われる勇気」その21 ※私の見解も含めて、小学生向けに分かりやすく紹介しています。

ほんとうの自由(じゆう)とはなにか

他者(たしゃ)から嫌(きら)われたくないと思(おも)うこと、これは人にとって、とても自然(しぜん)な欲望(よくぼう)であり、衝動(しょうどう)なんだ。近代哲学(きんだいてつがく)の巨人(きょじん)、カントはこうした欲望(よくぼう)のことを「傾向性(けいこうせい)」と呼んだんだよ。

こうした傾向性(けいこうせい)のままに、つまり欲望(よくぼう)や衝動(しょうどう)のままに、生きること、坂道(さかみち)を転(ころ)がる石(いし)のように生きることが自由(じゆう)なのかというと、それは違(ちが)うんだ。そんな生き方は欲望や衝動の奴隷(どれい)でしかない。ほんとうの自由とは転(ころ)がる自分(じぶん)を下から押し上げていくような態度(たいど)なんだよ。

石ころは無力(むりょく)だ。坂道(さかみち)を転がりはじめたら、それはずっと転がりつづける。だけど人は石ころじゃないよね。傾向性(けいこうせい)に抗(あらが)うことができるんだ。坂道を登(のぼ)ることだってできる。

おそらく、承認欲求(しょうにんよっきゅう)は自然(しぜん)な欲望(よくぼう)だろうね。だけど、他者(たしゃ)からの承認(しょうにん)を受けるために坂道(さかみち)を転がりつづけるのか?坂道を転がりつづけた先にできたものは「ほんとうのわたし」と言えるのか?そんなはずはないよね。

アドラー心理学(しんりがく)では「すべての悩(なや)みは対人関係(たいじんかんけい)の悩み(なやみ)である」と考えている。つまり人は対人関係(たいじんかんけい)からの自由を求めている。だけど、この世界(せかい)でただ一人で生きていくことなど、絶対(ぜったい)にできない。

すなわち、「自由とは他者から嫌われることである」なんだ。

他者からの評価(ひょうか)を気にせず、他者から嫌われることを恐(おそ)れず、承認(しょうにん)されないかもしれないというコストを支払(しはら)わない限(かぎ)り、自分の生き方を貫(つらぬ)くことはできないんだ。つまり自由になれないんだよ。

幸(しあわ)せになる勇気(ゆうき)には、この嫌(きら)われる勇気(ゆうき)も含(ふく)まれるんだ。


今日はここまで。次は、「対人関係のカードは「わたし」が握(にぎ)っている」について説明(せつめい)していくね。

それではまた明日!

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