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風がないということ

 風がないということは、海が遠いということでした。

 風は方舟。目に見えないものを運び届けます。夏の濃い緑の草いきれやはるか南の空の蒸された空気。そして今私の目の前に広がる小さな海から立ち昇る潮の香り。

 ここ数日は風が吹いていました。私はその風が何か運んでくるのを、ただじっと待っていただけでした。

 今日はそんな風がありません。だから私は潮の香りを吸い込みたいと思った時、その足を動かして砂浜へ降り立つ必要がありました。そしてサンダルを放って、いきおいあまってさざなみの中へ両足を差し出したのです。

 波はひんやりとしていて、その波が濡らした足首は、ようやく夏の夜の空気の涼やかさに気がつくのでした。

 大きく息を吸うと、思ったよりも大人しく優しい潮の香りが鼻腔をくすぐります。海の上にはすぐ後ろにある草原の青々しい匂いも佇んでいて、そのフワッとした香りが海の野生味を中和しているようです。

 いつの間にか夜はずいぶんと賑やかになりました。デイゴの木に張り付いた蝉の声は、もう何年も前からずっとそこにあるように、すっかり私の生活に馴染んでいました。

 そして名も知らない多くの虫たちと、まだまだ家へ帰ろうとはしない多くの人たちの声が響きます。夏の音色は生命が氾濫する現実の音。冬の音色は静けさの中生命を思う祈りの音。

 スマホのライトで波打ち際を照らします。浅い浅い海の底から透明なあぶくがヒョロヒョロと昇ってきて音もなく水面で弾けました。海底の砂の中はどちらへ進めばいいのかもわからない真っ暗な闇。それでもひとたび顔を出せば、上へ上へと海面を目指します。例えどんなに不格好でヨレヨレの軌跡を描いたとしても。

 少し塞ぎ込んでいたここ数日。色々な人が私を助けてくれました。当人たちにそんな自覚はいかもしれませんが、ふとした笑顔や些細な言葉がそよ風に乗って運ばれて来て、私は暗い部屋の向こうに広がる豊かな景色を、再び想うことができたのです。本当に感謝しています。

 手を引かれたというよりは、押し上げてくれた。この小さな泡を水面に押し上げた浮力のように。

 波打ち際にはたくさんのクラゲが打ち上げられていました。数日前の私なら、その姿に自分を重ねていたでしょう。けれど、今は違います。

 家に帰る途中。狭い路地のアパートの2階の橙色の灯りが灯るその開かれた窓から、水の音と鼻歌と石鹸の香りがこぼれ落ちてきました。街灯の灯りが照らすいつもの路地にその「ご機嫌」が満ちていく光景に、私は胸の奥がギュッとなりました。

 風がないということは、私が方舟になれるということでした。

 私がテクテク歩いて振りまいた仕草や言葉も、いつか誰かを支えられますように。

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