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勉強にノートはいらないと思ってたけど、中年になって見直したという話

子供の頃からノートを取るのが苦手だった。人の話を聞きながら書くという作業がとても苦手で、授業中はいつも必死で黒板を書き写していたものだ。

当時はたびたび教師によるノートチェックが行われていたが、その度に「もっと丁寧に書きましょう」的なコメントをされるので、いつも憂鬱だった。クラスメイトの綺麗なノートがうらやましくて、真似して色とりどりのペンを揃えたこともあったし、塾で教えられたノート術の類を試してみたこともあったけれど、結局役には立たなかった。

そんなわけで、ノートには妙な苦手意識が残っている。仕事でノートは持ち歩いているが、単色のペンで自分にだけ読める文字で書かれたそれは、とても人に見せられる代物ではない。

役に立っていなかったノート

ただ不思議なのは、学生時代を思い返して「授業中に必死で取ったノートが試験勉強に役立ったか?」と考えると、「あんまり役に立ってなかった」と即答できることだ。

なにしろノートの隣には、「教科書」という、教師が喋ったことも問題の答えや解き方も全て掲載された優れた書籍があるのだ。テスト勉強で読み返すならノートではなく教科書だし、漢字や英単語を書き連ねるのも計算問題を解くのもその辺の雑紙で十分だ。勉強後にビリビリ破って捨てると、なんとなくストレス発散にもなる。

学生向けのノート術の類は今も人気なようで、ちょっとググれば進学塾・予備校のサイトが山のように出てくる。しかし、ノートの綺麗さと成績は正直関係がないと思っている。今時もうないのかもしれないが、教師は生徒のノートをチェックして採点するようなことをやめてほしいものだ。

大学で知ったノートの強み

極論ではあるが、しっかりした教科書や参考書があるならノートはいらない。重要事項はマーキングしたり書き込んだりすればいいし、計算問題などはその辺の裏紙で十分だ。事実、大学受験まではこれで乗り切れた。

だから勉強において、私が最初にノートが必要だと感じたのは、大学における論術式の試験対策だった。大学の授業はだいたいスライドを配布する。当然そのプリントを教科書がわりに使っていたのだが、論述の対応にはこれだけでは心許なかった。

答案を覚えるのは私にとってなかなか厄介な問題だったが、それでも、自分で調べて文章を作るならば覚えるのは比較的簡単だった。ノートに手書きで答案を練るうちに、自然とその文章が指に馴染んでいったからだ。

だが、それ以上にノートの重要性を思い知ったのは研究室に入ってからのことだ。研究内容にちょうどぴったりな教科書などないので、ノートがどうしても必要になる。情報のエッセンスをどこか一箇所にまとめておく必要があるからだ。

いろいろ試したが、一番手軽なのは手書きのノートだった。本や論文を読みながら一冊のノートにとにかく書いていく。パソコンやスマホはどうしても気が散ってしまうからこの用途には合わなかった。

使い分けが面倒なので、実験の結果や考察も同じノートに書き込むようになった。最初は三色ボールペンを使っていたが、色分けは結局続かなかった。使うノートはどんなカバンにも入る厚めのA5リングノート一冊だけ。なくなったら同じメーカーのものを買い足す。

1ページにつき1つのことだけ書くというルールだけは決めた。人から指摘された問題点やその日のTODOリスト、今後のスケジュールまで、とにかく全部をそれに書いた。

自分にだけ読めればいいから、当然中身はぐちゃぐちゃでひどいものだ。しかし気がつけば、そのノートは自分のためだけの雑多なデータの塊になっていた。

そして今も、仕事に関することは一冊のノートに書き込んでいる。パソコンも当然使っているが、情報管理の基本は手書きのノートだ。ただし今も人にはとても見せられないし、人前ではあまり書かないようにしている。

中年になって知ったノート作りのもう一つの効用

現在、私は社会保険労務士の勉強をしている。しかも、勉強開始から半年足らずで本試験という大変厳しいスケジュールだ。

最近受けた情報セキュリティマネジメント試験知的財産管理技能検定3級は、学生時代と同じくテキストを読んで問題集をひたすら解くというやり方で一月ほどで合格できたが、社労士はとにかく内容が多い。さらに、自分がこれまでやってきたこととほぼ縁のない内容なので非常に取っ付きにくいし、歳をとったせいか(あるいはコロナのせいなのか)明らかに物覚えが悪くなっている。

そんな中、独学大全などを読んで取り入れたのが「ジャーナリング」と「メタノート」だ。自分がビジュアルシンカーらしいということから取り入れた技法であるが、この二つを簡単に説明すれば、毎日やったこと、その結果、感想などをとにかく記録するというものだ。

これが意外と効いた。正答率はもちろんのこと、間違えた箇所、よくわからない箇所を雑にメモしていくだけで、苦手分野や復讐すべき部分がわかりやすい上、成績の(わずかな)向上も確認できてモチベーションの維持にもつながる。ミスした部分を軽くメモするだけでも、頭に残る量が違う。毎日何をやったのか記録することが、勉強においてもこんなに役立つとは思いもしなかった。

ただよく考えると(考えるまでもなく)、これは大学時代に編み出し、今も仕事で使っているノート術とほぼ同じようなものだ。なんということだろうか。私はすでに自分向けのノート術を知っていたのである。

これからも私は仕事に勉強に、ノートを書き続けることになるのだろう。だがノートを見返してみると、やはり汚いので人には絶対見せたくない。この感覚は一生消えない気がする。


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