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話してくれること自体

■2023年(両親81歳)

10/11
10:10 母 T病院 神経内科 T医師 診察

前回診察時、母の症状がPSP(進行性核上性麻痺という指定難病)なのかパーキンソン病なのか、精査するために始めた抗パーキンソン薬の服用から約1か月。

今日はその経過観察のため、診察に向かう。

母、行きの車中でウトウトと目をつぶっていた。

待合中、わたしが手にしていたボールペンに母が手を伸ばし、右手で持つ。

「何か紙に書く?」

無反応。

身に着けている長袖シャツの裾が気になるのか、両手でゆっくりと触って何かを確かめている。

その素振りはちょっと父に似ている。

しばらくして、何か考え付いたように目を見開いてこちらを向き、口を開く。

母 「病院のこと… 知ってる? そこに予約してほしいんだけど。」

尚子「分かった! 予約するね。」

母 「うん。いつに予約する?」

尚子「明日でもする?」

母 「いいんじゃない? お願いします。」

尚子「分かりましたー!」

病院にいるということを少しは認識したのだろうか?

両親からいつ何時も、どんな言葉をかけられたとしても、その話に合わせた受け答えを瞬時にするようになったなぁと我ながら思う。

当初は両親のちんぷんかんぷんな会話に戸惑い、その都度聞き返したり間違いを訂正しようとしたりしていたが、その時代を乗り越え、無意識レベルで話を合わせるようになった。

聞き返したり訂正したりすることがいかに無意味なことか、

認知症の両親と接するなかで、肌身で感じたからだろう。

今や、話してくれること自体が貴重で嬉しい。

どんな話だろうが、なるべく長く話し続けてもらいたい。

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