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「街とその不確かな壁」(村上春樹、新潮社)

読了日: 2023/4/24

それまでほとんど本を読まなかったが、学生時代に友人に教えてもらい読み始めたのがおおよそ30年前か。学業がおろそかになるかもしれないから強くは勧めないと優しく忠告してくれた記憶がある。そして読んだのは「風の歌を聴け」か「羊をめぐる冒険」のどちらかだったと思う。

その後長編はすべて読んでいると思う。冒険などの身体的な動き(心臓の鼓動)と会話による心象的なゆらぎの両面でページをめくらせる著者の仕事(あるいは筆力)が好きで、本作でもその心地よい体験ができたと思う。
そして今回は何より、自分の置かれている状況のような、(たまたまかもしれないが)心情のようなものがとても重なった印象を持った。
17歳当時に恋人はいなかったし、出版業界に勤めたこともない。なにより高い壁に囲まれた街に入り、そこで生活したことなどない。
けれども、重なっているように感じられた。半世紀を生きてきて、周りがどう見てきたかは知らなけれども、それなりに必死で仕事に打ち込んだりもした。そして、多くのものを失った。健康、家族、経済力、その他諸々。
しばらく外出することができなくなり、唯一できることが本を読むことだったので、そこから何かしらいつも本を読んでいる日々になってきた。同時読んだのが「1Q84」だった。
「ねじまき鳥クロニクル」、「海辺のカフカ」も面白かったし「1Q84」もよかった。今作ももう一つの世界、そして会話、食事、音楽(場合によっては井戸も)で構成される著者らしい世界観でもあり、その点では期待を裏切らない作品だった。

なぜ、自分と重なるように感じるのか?歳をとればそれなりにさまざまな経験を経るものだから、共通点となりうる母数は増えていることは事実だろう。でもそんな感じではなく、(意識したことはないけれども)影、壁に囲まれた街、寒さ厳し夜中に一人で歩く、なにもせず薄暗闇で何かを考える(時間が経過するのを待つ)、あるいは歳をとるのを待つ(そして最近にも大きなものを失った)。
そういえば、子供のころから(もっぱらその子供のころ)、今生きているこの世界は本当の世界ではない、と繰り返し思っていた。きっと夢か何かで、正しい世界があるはずだ(そうでなければ困る)、と思っていた。

イエローサブマリンのヨットパーカーを着た少年に、自分が(かつてからの自分の記憶が)オーバーラップしたのだろうか。
本書の終盤には、主人公と少年との関係が場面の中心となっていく。結末は読者に余韻を残させてくれるものであった。

過去作品は売ってしまったがこれは置いておこう。なにか大切なものがおさめられているような気がする。


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