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『水中の哲学者たち』(永井玲衣著、晶文社)

読了日: 2024/3/27

哲学Barなるものに短時間参加したことがあります。どう振舞っていいのか分からず、後日日経日曜版で哲学Cafeの特集があり、ある程度のルールが書かれてありました。専門的な哲学用語を使わない、哲学知識を見せびらかす場ではない、ほかの人の発言をよく聞き否定しない、など。

哲学というと難しい用語を使った、独特の理論展開で、結局”ことば”のこねくり回しなんじゃないの、と思われそうですが、本書はとてもやわらかく、現実の生身の人間の「なぜ」からはじまる親しみやすいエッセイ集のようです。

世界に根差しながら、世界を見ることはいかにして可能だろうか、とよく考える。(…)この問いに対する一つの探求が、人々との対話なのかもしれない。様々な場所に出かけていき、問いを立て、人々とその不思議さにおののきながら、考える。

「まえがき」本書p.4

著者は大学で哲学を学び、哲学対話を開催しているとのこと。内容の多くはそこでの出来事などです。そこで出会った小学生や、社会人からさまざまな問いや考えが飛び出してきて、時折著者を驚かせたり、あらたな問いを誘発したりします。「水中の哲学者たち」とは、著者のことだけではなく、それらの場で出会った問いをもつひとたち、あるいは、多くの人は何かしらの問いをもっているだろうと考えると、多くのわたしたちとも考えられそうです。

だが、問いは私の影のように、そばにいる。その時に気がつく。問いは、時にわたしを苦しめ、時にわたしをはげます存在であることに。
あきらめがわたしを食い破りそうになるとき、問いがわたしを心配そうにのぞきこむ。わからないと投げ出したくなったり、早急に答えを決め込みたくなったりしたとき、まだわからない、まだわからないよ、と問いは言う。
(…)たとえ問いに打ちひしがれても、それでも問いとともに生き続けることを、わたしは哲学と呼びたい。哲学は、慣れ親しんでいる世界を紛糾し、驚きをあたえ、生を不安にさせて役目を終えるのではない。息切れをして、地上に倒れてもいい。心細くなって、あたまを抱えてもいい。それでも、ひとびとと、問いとともに生きることをやめないことだ。

「もうやめよう」本書p.116~117

文章がとても上手く、程よいエピソードと、クスッとなるところがいくつもありました(小題もなかなか面白いです:「先生、ハイデガー君が流されてます」)。
やわらかい読み味とオノマトペの心地よさと春の日差しのさしこむ電車では眠気を誘ってくれます。(よい意味で)


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