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視覚特別支援学校の感想

お久しぶりです。
ばばです。
すっかり暖かくなって色んな事をしていたらnoteを全然書いていませんでした。
最初のプロフィールに書いた通り、私は弱視で音声入力で書いています。
これをパソコンでやりたくて先日、視覚特別支援学校(盲学校)に行ってきました。
結果は………
うーん…甘く見すぎていましたね。
全盲の人達が使う音声操作のソフトを使いこなすには最低でも一年ほどは訓練しなきゃいけないみたいです。

訓練すればいいじゃない

と思われる方もいると思いますが。
びっくりしたのは障害者の中で視覚障害者は現在一番数が少ないということ。
これがどういうことかと言うと、訓練する場所も数少なく知識を持っている人も数少ないということになります。 
私が住んでいる福岡県には盲学校と言われるところが県内に4校あります。
これは全国で一番多い数です。
今年の入学者人数は小、中、高合わせて40人未満だったそうです。
私が住んでいる所から一番近い盲学校は5人未満…
私は頭の中が真っ白になりました。
なぜならこのままでは盲学校自体がなくなるかもしれないからです。
全国的には各都道府県に 1校。
たとえ生徒数が少なくても必要な学校であることには間違いないはずです。
想像すればわかります。
学校一つにどれだけ苦労するのだろうかと。
目が悪いということは外に出るだけで危険が伴います。
なのに県内で 1校となれば通学路どれだけ頑張らなければいけないんでしょうか。
その校内で問題が起きてしまえば他県に引っ越すしかないということになります。
今はほとんどの学校に特別支援学級というのがありますね。
主に発達障害のある子が多いと思います
私の甥っ子も通っています。
目が悪い子や耳が悪い子がそこに通えないのは怪我をする確率が大幅に上がるからです。
これまではいじめられる原因になったからというのもあると思います。
私自身は子供の頃から右目の視力は弱く左目は正常だったので普通の学校に通いました。
ですが左目の視力も落ちてしまった今、左目を死守しなければほぼ全盲になってしまいます。
その時に私はたちまち困ってしまうのだろうと思いました。
それこそまた「家にいればいい」と現状のままでは言われてしまうんだろうと思います。
たくさんのことを考えました。
初めはパソコン操作のことを聞くはずだけだったはずが
そこにいる子供達の未来、目が見えずに困っている人たちの生活。
それを担っている少人数の大人たち。
現実はどうしてこんなにも残酷なんだろうかと。
言ってしまえば危険なのは社会が多数の便利に合わせて作られているからです。
そのおかげで社会は回っているんでしょう。
そのおかげで福祉も成り立つんでしょう。
その結果論として当事者は自分たちのことを「邪魔」だと
受け取りかねない。
障害者になれば、ほとんどの人が一度はぶつかるものだと思います。 自分が社会にとって必要じゃない人間じゃないかと考えること。
その悔しさから立ち上がる人もいれば親のために立ち上がる人もいる。
私は自分のためにそこにいて欲しいと思うし自分のために生きて欲しいと思います。
それがきっとみんなが願うことです。
《守る》ことの全ては、
《大切》にする事からだと思います。
行動、発言、夢。
これらの自由を大切にしながら守っていきたいと思います。
そして私は今、迷っています。
最初に書いたパソコンの訓練をするには遠くに通うのか…
いや通うのは無理だから寮に入るのか…
学校に行ってみた感想は、私が欲しい配慮がすべて整っていたことです。
これまでは一生懸命、周りに説明していたことが説明しなくても向こうから言ってもらえる。
そして私に必要なのはパソコンの使い方だけではなかったということ。
左目の視力が落ちてきた時点でそこに行っていればどれだけ楽だったんだろうかと思います。それだけ大きなものを私は失っていたということです。
でもやっぱり私はラッキーな人間だなと思います。きっと適当に過ごしていたらこのまま一生懸命理解を求めながら諦めながら生きていたんだと思いますが、パソコンを使いたいという思いだけでこれだけたくさんの情報を手に入れられました。
また少し自分の調整が必要だなと改めて思いました。

長くなりましたが最後まで読んでくださりありがとうございます。
フォローしてくださった方々スキしてくださった方々、ありがとうございます。
それではまた…

#視覚 #障害者 #弱視 #音声入力 #特別支援学校 #感想 #久しぶりのnote




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