<🗽NY 地味滋味暮らし>2024年やっと着地 私の中にインナーコンパスがあるから大丈夫
私は2023年の11月13日に一瞬宙に浮いて着地した。
着地は顔面だったけど。
それは「2024年は地に足つける年だよ」のサインに思えてならない。
あの日パルコのエスカレターの最後のところにスニーカーの紐が巻き込まれて一瞬宙に浮いて思い切り顔を床に叩きつけてしまい痛くて鼻血もでて不安のまま救急車で運ばれた。CTの検査の結果は鼻骨骨折、それも思いっきり。そして手のひらの小さな骨も骨折してしまった。
怪我の功名
これでニューヨークの自宅へ戻るのが延びてしまったのだが、怪我の功名、ゆっくり実家で荷物の整理をしていたら発見したものがあった。
2021年の新聞記事。
なぜこれを取っておいたは不明。読み始めてあるコラムに目がいった。それはこれからの私の60代へ導いてくれるようなものだった。
年を重ねても初めてしてみることはいっぱいある
私は2年前からの一年の目標を「今までにしてこなかったことにチャレンジしてみる」にした。2022年、連続 noteの100回更新したことを自分のnoteを読んでいて思い出した。継続苦手な私だけど、なんとか書き切った100日間。他にもいろいろあったが、やはり記しておかないと忘れてしまうものだ。
なので、2023年のチャレンジしたこと、三つを記しておく。
まず、自分の人生を振り返ってマイストリーを半年に渡って書いたこと。本を何冊もだしている専門家がマインドフルネスに伴走してくれるというありがたい企画があり、まだ未完成ではあるが自分の井戸を見つけそれを掘っていく作業は初めての経験だった。そして自分の足跡を確認しいろんなことが思い出されたし、一緒に取り組む人からも感慨深いものをもらった。還暦前にマイストリーを紡げたというか、来年も紡いでいく。これは私の宝物だし、ゆくゆくは息子たちに特に読んで欲しいと思って書いている。私がどんなことを思って感じて経験して生きていたかということを知ってもらいたい。それは私が母に聞きたかったことでもあるから。
それと誘ってもらったVoicy。移住についてがテーマでこれも長いニューヨーク生活を振りかえったりで思った以上に自分の為になっている。自分の声に自信がない私だけど、誘ってもらった時に100人100通りの一人として話そうと思えたのが大きい。
この二つはHUCからの繋がり。本当にHUCへ感謝の気持ちでいっぱいです。
それと長い海外生活からこれからのことを具体的に考えて、行き当たりばったりではあるが、自分達の終の住処を決め老前活動がスタートできたこと。子どもたちも成長してそれぞれの人生を歩んでいく。一緒に暮らせる時間は考えてるよりもっと短い、あっという間で私たちには後少しの時間が残っていて、だからこそとても貴重な時間でもある。
私にとっては少し早いかもしれないが、夫は6歳上で64歳なのでそろそろ歳を重ねていく環境の方向性を決めていく時期としては早くない。老前整理は早い人は40代からするんだとか。生前整理よりも老前整理のほうが重要だと思っている。特に人生100年時代だからこそ、その生活は様々で選択肢も多い。それに加えて、30年ぶりの秋の日本で過ごした時間に懐かしい人たちに会って、より「暮らし」について見つめ直せたことが大きかった。滞在して語れたことはかなりの刺激になったし、これからの自分にとっての暮らすことでの価値を見出せたのが良かった。
再構築には時間がかかったけれど
2022年も2023年もはふわふわ宙に浮いて人生再構築していた。
大きな喪失から思ったより時間がかかったぶん、やっと着地して60代に向けての輪郭が見えてきたのはとっても嬉しい。
最近前に読んで感動した「マイノリティデザイン」を読み返してみた。自分の中にあるマイノリティ性こそが運命の課題である、自分の弱さを愛おしいと思えそこからできることがある。またこの言葉に励まされている。
型にはまったロールモデルの生き方ではない私。逆にそれが愛しいしそれが今の自分。母として女性として多種多様な生き方があることをもっと示していきたい。
今読んでる本は内田舞さんのREAPPRASAL(リアプレイザル)。
今回はここで書かれている「インナーコンパス」が今の自分に沁みている。
大切にしている価値観や方向性ということに嘘をつかずに自分が正しいと思ったことをする。自分で自分の人生の舵を取るインナーコンパス。
内田さんも感銘を受けた ”Do the right thing anyway" というメッセージ。
どんな状況でもとにかく自分が正しいと思ったことをしよう。
このヒラリーが大統領選で敗北してその後2017年、母校での卒業式での後輩たちへの言葉。動画では30.00ぐらいからです。
今回のマイストリーで見つかった私にある「正義感という井戸」にも繋がるものがある。丸くならずに尖っていたい自分の根っこの部分も井戸を掘って分かったことだ。例えそれが上手くいかなくても、他人がどう思うとも、自分に正直に正しいと思う行動ができた経験は自分の誇りになっていく。
もう一つ、年末に落合さんのプロフェッショナル仕事の流儀を見て「当事者」という当たり前のことなんだけどそこが要なんだと感じた。実際のところ人って「当事者」にならないと分からない。初めてその時心底分かって共感できる。そして、それは上手くいったこともそうであるけれど、より辛かったり悲しかったり苦しかったり迷ったりし体験こそが次への言動力に変わっていくんだと思った。ただ負の気持ちや自分の弱い部分は人には知られたくないと思うもの。そこはマイノリティデザインにも重なるものがある。
この像のように空を見上げて凛々しく強く在りたいとも思った。
この二つの像はこれまでに何回も見ているのだが、この年末年始になぜか気になってはたと立ち止まって眺めたらいろんな感情が湧いてきた。
何をするよりも、「どう在りたいか」が大切だと思ってる。何をするは変わっていくもので、その土台となるもの、自分の根っこのようなもの。
地に足をつけて、
インナーコンパスの方向に正直に凛々しく力強く、
当事者、マイノリティという観点で自分のできることは何か
”Do the right thing anyway"
2024年は私にとっては最後の50代。
厳密に言うと5ヶ月間は58歳で7ヶ月は59歳。
一年後に振り返るときが楽しみになってきた、どんな年になっているかな。
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