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すべてさびしさと悲傷とを焚いてひとは透明な軌道をすすむ

常に金欠な俺がそれでも何処かへ逃れようとして縋り付くのは、いつも一番安い便の一番安い席だった。ヨーロッパ周辺の航空券を注意深く探すと、稀に貧乏学生でも手の届きそうな価格のものが見つかるのだが、そのほとんどは深夜か早朝の発着便であるため、俺にとって旅の始まりは気怠い体と半分閉じた目とセットで記録されているものなのだ。

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何処にも行けなくなって久しい。3月にイギリスから日本へ帰って来てから国を跨ぐ移動はできていないし、県境を超えるような旅や旅行もほとんどしていない。

それならばと、ポケットに収まる小さなカメラを片手に生まれ育った町を歩き回り、「ここではないどこか」ではなく、「いま、ここ」にある何かを掴もうとしていたけれど、やはり言葉も常識も通じない場所を彷徨する楽しさに替わるものはないと心の何処かでは分かっていた。それに気付かないフリをすることがせめてもの抵抗であったが、どうやら限界は近い。最近はあまりよく眠れずに、悶々とかつて旅の途中に出会った人達のことを考える時間が増えた。

気怠い体と半分閉じた目は、旅の始まりに高揚しているときなら無視できる程度のものだが、部屋のベッドで寝付けないでいるときは単なる肉体的な不快でしかなく、その気を紛らわそうと音楽を聴く。年の瀬にクロアチアへ飛ぶ前、Gatwick空港で買った安物のワイヤレスイヤホンは今もバリバリ現役。相変わらずよくRHYMESTERを聴いている。グラキャビという曲を好んでよく聴く。


変わっちまった景色 つながっちまった歴史が
 一周しきる頃には近づく目的地
見違えた駅ビル 進んだ再開発
だがついつい思い出すのはここにはいないヤツ
(グラキャビ/RHYMESTER)

しばらく離れているうちに、生まれ育った街は大きく変わっていた。最寄りのスーパーが建て直されて小さくなった。高校生のとき通っていた図書館が移転した。好きだったラーメン屋がなくなった。だけどまさに、「変わっちまった景色」を見て「ついつい思い出す」のは「ここにはいないヤツ」のことだ。

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去年の冬、セルビアの首都ベオグラードに数週間ほど滞在していたとき、度々ホステル近くの中華料理店に足を運んだ。当時は本当に金がなくて(まあ今もだけど)1日の食費を500円以下に抑えていたが、週に一度は少し奮発して(とは言っても1日1000円程度だが)ここで麻婆豆腐やラーメンなどを食べることを楽しみにしていた。

写真の彼女はクリスマスも元旦も、いつ何時に行こうがウエイターとして働いていた。俺がベオグラードを離れてサラエボへ向かう前日、働いていたNPOの同僚と最後の食事にこの中華料理店を訪れて、初めて彼女と話をした。最近まで中国に住んでいて、仕事で引っ越して来たものの、稼ぎが悪いから辞めて、3ヶ月ほど前からここで働いている。ここで生きていく。もう中国に戻る気はないと言っていた。俺にとっての辺境は、彼女にとっては中心であった。彼女は元気にしているだろうか。もう一生会うことはないだろうけれど、元気にしていればいいなと思う。


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アドリア海に夕陽が沈み、街に夜の帳が落ちる頃、ドゥブロヴニクのバスターミナルを出た。どこかの先進国で役目を終え、この国に払下げられやってきたであろうボロボロのバスは、人を運ぶという与えられた最低限の仕事以外は一切せず、12月の東欧の刺すような寒さを車内に充満させて、俺を一睡もさせることなく朝5時にベオグラードに着いた。バスを降りWIFIを探して2時間ほど歩き回り、McDonaldに飛び込み、ホステルのチェックインまで8時間ほど、泥のように眠った。

写真の彼女はホステルで掃除婦として働いていた。俺が持っていた大きなカメラが気になったのか、「どこから来たの?フォトグラファーかい?」と訊ねられたから、自分は日本人でイギリスに住んでいること、大学生をしながらフォトグラファーとして働いており、冬休みを利用してこうして旅をしていることを伝えた。「私も写真が大好きで、昔は色んな展示会を見に行ったよ。でもこの国は貧しくてさ、戦争もあったから、カメラなんて買えなくてね。」と、どこか遠くを見ながら話す彼女の姿は今も覚えている。その場で何枚か写真を撮って、メールに添付して送ったらとても喜んでいた。

そのホステルのベッドにはダニがいて、身体中を刺された俺はホステルを移した。別れ際「また写真を撮りに来てね」と言っていた彼女に会うことはもうないだろう。元気にしているだろうか。あのホステルはまだあるだろうか、あるとしたらこの危機をどう乗り切っているのだろうか。まだ、彼女に掃除婦としての仕事はあるだろうか。

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昨年末、鬱陶しいほどに伸びてしまった俺の髪を切ってくれたのは、カザフスタン人の男だった。街の中心地にある比較的小綺麗な美容室にあたりを付け、年が開ける前にはそこで散髪をしようと思っていたのだが「友達に腕のいい美容師がいる、そこならもっと安く切れるよ」とアフガン難民の男に誘われ、ベオグラードの路地裏にある美容室を訪ねた。

カットは350円、隣の店で売られているサンドイッチより安かった。日本やイギリスの高水準なサービスと比べたらお世辞にも上手いとは言えない出来栄えだったが、俺が日本人だと知っていながらも、彼は壁にペンキで書かれたメニュー表通りの料金しか要求しなかった。多少はぼったくられるかもなと、少し多めの現金をポケットに用意していた自分を、俺は恥じた。彼はまだあの路地裏で、切れ味の悪いハサミで日毎、男たちの髪を整えているのだろうか。彼にはもう一生会うことも、髪を切ってもらうこともないだろう。元気にしているだろうか。生きているだろうか。

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気に入って長期滞在したホステルの地下キッチンの壁には巨大な世界地図が貼られており、旅人たちが日夜ラキアというセルビアの伝統的な蒸留酒を片手に情報交換をしていた。生まれた場所の話、行った場所の話、そしていつかは行きたい場所の話。

世界は大きく、自分は小さい。旅路に果てはなく、時間には限りがある。

Google Mapの「Want to go」リストには無数の座標が登録されており、その数は増加の一途を辿っている。「また行きたい」と思う既知の街こそ沢山あれど、「一度は行ってみたい」という未知の場所が持つ引力には常に負ける。理論上不可能ではないが現実として、俺が写真の彼らにまた会うために、ベオグラードを訪れることはもう二度とないだろう。たまにそんなことを考えて、どうしようもないほど寂しくなるときがある。でもまあ、それでいいんだろう。宮沢賢治も言っている。

もうけつしてさびしくはない
 なんべんさびしくないと云つたとこで
またさびしくなるのはきまつてゐる
けれどもここはこれでいいのだ
すべてさびしさと悲傷とを焚いて
ひとはとうめいな軌道をすすむ
 (小岩井農場/宮沢賢治)

だからここは、これでいいのだ。

でもいつか、バスの、電車の、飛行機の窓から眺めただけだった、知らない街の知らない街角で、あの人たちと、また会いたい。


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