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掌編|黄色いお団子

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今宵、月が綺麗に浮かんでいたら、お月見でもしようか。肌寒くなってきたから、軽い羽織ものでもあしらってさ。お団子は、近所のスーパーで調達しようか。作ってみるのも悪くないね。白玉粉、うちにあったっけ。

薄暗い部屋の中で、僕は彼女に声を掛け続けていた。彼女は、韓国ドラマに夢中になっているところだ。1K8畳のフローリングの上に、シングルサイズのベッドが重鎮している。部屋着としては万能の、ネイビーのワンピースを着て横たわる彼女は、今にも下着が露わになりそうだった。

何か言った?
お団子、お月見しない?
んー、考えとく

昼前のグダッとした気分に、いつも僕らは甘えている。カーテンの向こう側には、一棟のアパートが建っており、太陽光は窓から見て東側の、見える範囲が限られた空の隙間より射し込む。晴れていようが光はあまり射さない。この気怠さは、太陽光が射さない立地にあると、僕らはその責任の所在をアパートのせいにして、何となくの今日を過ごしていた。イベント毎にはあまり食いつかない僕ではあるが、テレビCMで流れているお月見バーガーに感化されて、ハンバーガーよりもお団子を食べるべきだろうとの思いつきと勝手な判断により、お月見を開催する理由にそれを認定した。なお、彼女はそれを知るよしもない。

ハングル語が部屋の中にこだまする。キッチンからそれを眺める。赤いカーテンは、部屋を不気味なほど赤く染め上げていた。時折、仰向けになって、腕を伸ばすと、また元の姿勢に戻り、画面の中のラブストーリーに見入ってしまう彼女。時は残酷なほどに、この瞬間を遠くへと追いやる。全ては、いつかの思い出となる。

韓国ドラマ終わったらお団子作るよ
んー考えとく
君それしか言わない、もっと積極的になってーな
んー考えとく

一本調子で抑揚のない返事は、韓国ドラマのせいだ。彼女をここまで夢中にさせるのは、恋物語の桃源郷を、つまりは彼女にとっての理想を、うまい具合に投影しているからに違いない。繁華街でタクシーを待っていると、向かい側の道路にスレンダーな美女が同じようにタクシーを待っている。男は、昔、亡くした恋人に似ているということから、タクシーを待つことをやめ、もしかするとその恋人が生きていたのかもしれないという妄想を抱く。反対側の道路に渡るために、横断歩道を渡り、スレンダーな美女に声を掛けようと目論んでいたが、ちょうど、横断歩道の中程で、そのスレンダーな美女はタクシーを拾い、美女は行ってしまった。まさか生きているはずがない、妄想が現実に覆われた時、その美女が乗ったとされる場所に、その女性と思わしき職場のIDカードが落とされていた。そのカードを届けるところから恋物語はスタートし…。

お昼ごはんは?
んーパスタがいい
そこは反応するんだな
だってお腹空いたんだもん
都合がいいな
何かいった?
いや

ステンレスの鍋に水を注ぎ、塩を多めに入れる。換気扇の音は穏やかではない。ガスコンロのちちちちちっという音が、これから料理をすることの合図を知らせる。湯が沸くまで、僕はお月見のことを考えていた。お月見って何をすればいいんだろう。お月様を見て、お団子食べて、それから?何も特別なことはない。そういうものなのだ。期待をしてはいけない。それが日常なのだ。思い上がるのはよしたほうがいい。それで世界が変わるわけではない。では何故、人はそこに時間とお金と労力を割こうとするのか。ちんぷんかんぷんだ。それでも、お月見がしたいのは、何かを変えたいからでしょう。そうね、そうに決まっている。思い出を作ろうなんて張り切っているわけじゃない、この日常が特別なものになればいいって、そんな理由だ。なんだ、何に飢えている、愛か、人生そのものに見過ごされているから?ああ、神よ、韓国ドラマを観て、純粋に心踊る人間にしてくれ、ああ。

乾いたパスタを半分に折って鍋に沈める。こうすることで、小さめの鍋でもしっかりと茹で上がるからだ。塩加減は丁度いい。グツグツと沸騰した鍋を見ながら、菜箸でそれをかき混ぜる。

まだ?
今、麺入れたばっかや、味付けは、ツナとマヨネーズと醤油
いいね、美味しそう

韓国ドラマを見終わった彼女は、少しボサボサした髪の毛を手ぐしで戻しながら、僕の隣にやってきた。頭一つ分小さい彼女は、見上げると上目遣いになる。昔、付き合っていた彼女は、見上げると、人を睨んでいるような面になっていたので(しかしながら、それでも可愛く映るものなのだ)、この上目遣いというものは、全部の女性に当てはまる必殺の落としテクニックだと認定することは出来ない。それがどうしたと言うのだろうか、彼女の上目遣いはいやらしさがなかった。

もうすぐ茹で上がる
わーい
後片付けは頼んだ
んー考えとく

手際よくステンレスの鍋の中のパスタを網に移し替え、フライパンに火をつける前に、オリーブオイルを垂らす。にんにくと鷹の爪を熱し、にんにくから香りが出たところで、玉ねぎを投入する。玉ねぎに火が通ったら、パスタと茹で汁を加え、程よく乳化させた後、ツナとマヨネーズと醤油で味付け。完成である。

特製の、ツナマヨ醤油にんにく鷹の爪チーノでございます
長いな
食うぞ

折り畳み式のローテーブルに、麻のアイボリーのテーブルクロスを敷き、パスタと麦茶を置く。彼女は麦茶を飲んで、これこれと、何だかよくわからないことをいう。パスタを器用にスプーンとフォークでくるくると巻いた後、巻きすぎて口の中に頬張れないのに、無理やりそれを頬張ろうとする彼女は、少しばかり頭が悪い。僕は玉ねぎを頂いた。

美味しいね
プロの料理人ですから
いつからプロになったの?
君からしたらみんなプロに見えるでしょ
私が下手くそみたいな言い方
お団子作ったことある?
んーちっちゃい時
不安要素

テレビは付けっ放しだが、観ていない。お昼のワイドショーで、昨今の政治家の不祥事や、世間のトレンド、世界の情勢やらを深掘りしている。食べ終えたパスタは、綺麗に完食し、シンクに放置した。麦茶をおかわりした彼女は、お月見について僕に質問をした。

何するの?
月を見て、お団子食べる
それって多分お団子メインになると思う
花より団子ってやつ?
そう、結局、綺麗なものに惹かれるのは惹かれるのだけど、生命の維持には勝てないよね

時々、ハッとすることを言うものだから、僕は彼女を侮れない。

ある日、夕陽がとても綺麗で、それはそれは綺麗で、カメラで写真を撮りたくなる程の。周囲の人々も、その美麗さにうっとりして、暫くはその夕陽に心を奪われていた。夕陽が沈むと、立ち止まって見ていた人々は、何事もなかったかのようにその場を立ち去ってしまう。あの瞬間は、永遠に続くわけではない。思いを馳せても、暫くすれば、その思いも何処へやら。明日の仕事に目を向けて、憂鬱な自分へと戻ってしまう。この繰り返しにどんな意味があるのか。僕は何となく憂鬱になった。それを察知したのか、彼女は僕の目をじっと見つめていた。上目遣いで。

別に悪くないと思う
何が?
ただ過ぎ去る日々でも、お月様がまん丸で、綺麗だなって心から思うことも、その後にしゅんとしてしまうことも、全部
心見られてる?
誰だと思ってるの、彼女でしょ、あなたの
そうだったな

見透かされたことはこれが最初ではない。動物的な勘で、全てを見透かせるその能力に、僕は、度々驚かされる。

洗い物してあげよう、約束だからね
ありがとう、色々
何が?
いや、何でもない
しょうがないから、お団子も作ってあげよう
作れるの?
んー多分
期待してる

テレビの電源を落とし、僕はベッドに横になった。ベッドからは、彼女の匂いがした。陽だまりのような匂い。天井は真っ白で、ここに絵を描いたらどうだろうというナンセンスな問いを自分に投げかけた。何もない空間が広がっている。雲に乗っているような心地だ。パスタは胃の中に収まり、それと引き換えに、満腹感から来る眠気が僕を襲った。キッチンの方から、食器を洗うかちゃかちゃと言う音が聞こえる。不思議と、その音はうるさいようで、心地がいい。自分以外の誰かがこの空間にいて、決して、お互いを侵食しない。世界が二つ、確立され、お互いが行き来し合っても、掛けた橋の強度が弱まり壊れることはない。この空気感の中で、明日を迎えられることの幸せは、何にも替えることのできない特別なものだ。それは、他人が容易に壊せるものでもない。壁の向こう側で聞こえる音に、酷く安心し、少し涙を流した。目を瞑って幾らかの時間が過ぎた。いつのまにか寝ていたようだ。

夕刻、日が沈み、太陽だけでは部屋の全貌を見渡すことはできない。一つのドアで仕切られたキッチンから、彼女の存在を感じることができる。隙間から光が漏れていた。僕は、足元に注意しながら、ヨボヨボとした足取りでキッチンへと向かう。ドアを開けると、彼女は座って眠りについていた。

シンクを見ると、お昼に作ったパスタの皿や、ステンレスの鍋、フライパンは片付けられ、シンクの隣の食器スタンドに立て掛けられていた。飲み残しの麦茶は、まな板を置いて切るスペースに置かれ、その隣に小説が一冊置いてあった。しおりが挟まれている。以前、見たときとあまり変わっていない位置に、それは挟まれていた。

簡易的な椅子に、彼女は俯き加減で眠っていた。地面には携帯が置かれ、お団子を作ると張り切っていた彼女は何処へやら、といった具合に、その寝顔はいつもの彼女の寝顔であった。結局、今日はお月見はなしかもな。コットン素材のジップパーカーを彼女の肩に掛け、喉の渇きを潤すため、冷蔵庫の中の麦茶を取り出そうとした。

その中には、大きめのステンレスボールが、ラップに覆われて中央部に鎮座されていた。これは一体なんだろう、手にとって見てみると、白玉粉で練られたであろう団子の生地が、その中に眠っていた。彼女は約束を守ろうとしてくれていたみたいだ。僕は酷く彼女のことを愛おしく思った。

…おはよう
お、起きやがった
何それ起きて欲しくないみたいな
それより団子作ってくれたん?
そう、冷蔵庫に入れておいた、茹でてそのままだと固くなるだろうから、ちょっと寝かせておいたの
ありがとう、やれば出来る子
やらなくても出来る子

軽く目をこすったあと、団子を成形するため、僕と彼女は泡石鹸で手を洗い、お月見をするための準備に取り掛かる。

よし、やるか
よ、待ってました
いや、一緒にやろうよ
んー考えとく

いざ丸めようと生地をよくよく観察すると、その生地は何故か黄色が少し混ざっていた。

ん?これなんかいれた?

卵?
あれ、いれないんだっけ
いれないよ、あれ作ったことないの?
いや、んーある!気がする
いや、いいと思う、黄色
タンパク質獲れるよ
そうだね
失敗じゃない!
そうだね
茹で上げて食べてみてから物を言いなさい
んじゃ茹で上げるのは君の仕事やな
なんで
料理は最後までシェフが担当するの
んー
なんだ嫌か
私の一生のシェフはあなたでしょ?
なんだその奴隷感
嫌?
いや、別に悪くないけど

そしたら、君は一生、そのシェフのお客さんだな
それでもいいのかい


んー

考えとく

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いわゆる、駄文