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曲がるシャワーヘッドとの四日間戦争

浴室で髪を洗っていると、頭頂部のまんなかに当てていたはずのシャワーが逸れていくのである。左に。なぜか。

こっちはもう頭中ぶくぶくの状態で、顔面にも泡がかかっているものだから、目を開けたりしたら痛いかもしれない。となると、手探りでシャワーヘッドを掴まなければならない。

一糸まとわぬ姿で首から上は泡だらけ。まぶたをきつく閉じ、手を上にして何かを探っているおじさん。実にみっともない。で、命からがら元の角度に戻したというのに、また曲がるのである。いったい、なんなのか。謀反か。

翌日。ヘッドを固定する「C字の受け」に念入りにグッと差し込んで、洗髪を試みる。しかし、また曲がる。両目の光を奪われた私をあざ笑うかのように、やすやすと曲がる。なにか私に恨みでもあるのだろうか。

ただ、シャワーヘッドごときに屈する私ではない。

三日目。元の角度を右に寄せてから洗髪を始めてみた。右から徐々に曲がってくる。良い調子だ。真ん中で止まれば完璧。よしそこだ。止まれ、止まれ。止まれ、ない。シャワーは左へと通り過ぎていった。

四日目。原因はヘッドではなくホースにあるのかもしれないと思いつく。ホースがねじれているからヘッドが曲がるということも十分考えられるだろう。左向きにこれでもかとねじって、ヘッドを固定する。

この策には、なにか前日までとは違う、手応えのようなものがあった。「勝てるかもしれない」希望を抱いて洗髪に臨む。

しかし、曲がった。一切の躊躇なく、無慈悲に曲がっていった。

思い出してみると、今住んでいる家の前のときも、その前の実家でも同じ現象が起きていた気がするから不思議である。

もしや「汝、シャワーするなかれ」という、この世の理を超越した存在からのメッセージなんじゃないだろうか。とさえ思われてくる。

それでも、私はシャワーを浴びたい。

きっと、明日こそ。



きょうもお読みいただきまして、
ありがとうございます。

それでは、また明日。

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