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私の友人回顧録

今回は、私の友人回顧録を書いてみようと思っています。
兄弟のいない私は、幼少のころから友達を多く作り、時間があれば、友達と遊ぶ日々を過ごしていました。

3歳のころから調布の団地に住んでおり、幼稚園小学校団地内だった為、近所の友達は多かったです。
特に小学校時代は、学校から帰るや、団地内の公園空き地野球などをして、よく遊んだものでした。
中学私立で電車通学だったため、この頃の友達とは小学校まででしたが、今でも、年賀状のやり取りを行っていたり、Facebookで繋がっている友人もいます。

中でも、団地の同じ階段に同い年の友人がいて、今は年賀状のやり取りのみですが、その友人の影響は大きかったですね。
小学生の頃、いくつか稽古事をしていましたが、半分はその友人の影響です。また、小学校時代に写真部に入り、フイルム現像や写真の引き延ばしを覚えたのもその友人の影響です。

そして、中高校時代の友人。この時代の友人は親同士も仲が良く、今でも定期的に会っています。「鉄道旅行写真。。。」と共通の趣味もあり、昔は、カメラを持って、一緒に方々へ鉄道写真を撮りに行ったり、撮った写真を引き伸ばしてパネルにしたりしていました。
その後、進んだ大学就職した業界もバラバラ...なのに、今でも付き合いが続いている事で、ここは一生涯付き合いが続く友人だと思っています。 
どうでも良い話(?)ですが、昨年も7人で会って久々に飲んだのですが、この時、私を含め過半数が独身だったという、ある意味では貴重な友人達かも知れません。

大学時代社会人になってからは、友人というより、先輩後輩との多くの繋がりを保っています。

大学(日大)関係では、卒業生主体の校友会(OB会)の幹事を行っている事もあり、最近は、定期的オンラインでミーティングを行っています。大学に残って教員をしている先輩後輩からは大学の現状を聞いたりするなど、母校愛は高まる一方です。
また、私を就職の際に切っ掛けを作ってくれた研究室の先輩とは、毎年、一緒に研究室の先生の所新年の挨拶に伺っている間柄です。

サラリーマン時代に面倒を見ていただいた会社の先輩方も今でも定期的に会ったり、私の事業を心配してくださっている先輩もいたりで、サラリーマン時代の繋がりも大事にしています。

サラリーマンを辞めてからも、人との繋がり更に増え続け、最近では、地域を中心として、同じ練馬区内の方々との繋がり増えてきています

とにかく、私が、生涯大事にしていきたいと思っている事は、人との繋がりと、人とのコミュニケーションです。

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