私とプロ野球
今回は「私とプロ野球⚾️」について書いてみます。
小学生の頃は、学校から帰るとランドセルを置いて、友達と外で野球をよくしていたものでした。土日になると、父とキャッチボールをしたり、クラスや団地の中の野球チームにも属するなど、野球をして遊ぶのが大好きな少年でした。
しかし、運動神経が鈍いのか?試合ではだいたい補欠、球拾い専門でした。
でも、野球を観るのは、大相撲を観るのと同じくらい大好きでした。
小学生の頃は長嶋ファンでしたが、特に巨人を応援していたわけではありません。当時、テレビは巨人戦のみ。スーパーへ行って野球帽を買おうとしても巨人のマークの帽子しか売っていない状況でした。
初めてプロ野球を観戦したのは、小学校低学年の時で、後楽園スタジアムの巨人対広島戦だったかと思います。また、パリーグの試合は、当時、南千住にあった今は無き東京スタジアムで、ロッテ対南海戦を見たのが最初でした。南海の捕手は野村克也選手...後の、スワローズ黄金期を支えた監督です。この時の印象が、小さい球場で、酔っ払いのヤジが強烈だった事を、当時小学生だった私は、今でも覚えています。
その後、野球観戦の機会が増え、小学校高学年の頃、巨人対ヤクルト戦の試合を観たあたりから、徐々にヤクルトという球団が好きになってきました。極めつけは、クラスの過半数がヤクルトのファンクラブに入会。(そのころ、隣のクラスの過半数は日本ハムのファンクラブに入っていました)私も負けずとファンクラブに入会。ファンクラブ特典はヤクルトの野球帽、そして、神宮の外野席の無料券...やがて、長嶋選手も現役を引退し、私は完全に、ヤクルトファンになっていったという経緯です。
そのころのヤクルトは万年Bクラス。神宮へ行っても空席は目立ち、外野は芝生席で、野球を観ながら野球が出来るという球場でした。
やがて月日は経ち、昭和53年10月4日、その日は日大の創立記念日。私は何らかの用事があり神宮には行けず、自宅のTVで野球を観戦していたのですが、創立29年目でヤクルトスワローズ初優勝...という忘れもしない記念日です。
その後、野村監督で黄金期を迎える90年代までは、ほとんどBクラス。でも、毎年、数試合は神宮に行きスワローズを応援していました。
そして90年代、関根監督から野村監督へ...
ファンとしては、色々な不安があったのですが、1992年、見事に野村スワローズ優勝!
その後は、1-4の法則(優勝の翌年は4位、そしてその翌年には優勝)で、ファンとしては、秋になるとお酒が美味しいシーズンが続いていました。
その間、2度ばかり胴上げ試合も神宮で観戦しています。
優勝決定試合のほかは、主力選手の引退試合(池山、古田、宮本、引退時は燕戦士では無かったですが荒木大輔)、または、記録が掛かった試合(青木のシーズン200本安打、宮本の2000本安打)や、バレンティンのシーズン55本ホームランのタイ記録の試合や60本目の試合など、思い出深い試合は観戦しています。
最近では、2015年の日本シリーズ、山田哲人選手の3連発(3打席連続ホームラン)、これが印象的な試合でした。
ここ数年は、観戦すると負け..が多く、コロナ禍の今年は観戦試合0という状況です。
早くコロナも終息し、スワローズに活気が戻ってくれば、また、いざ神宮へ...という日がやってくる事を信じています。