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働く熱量 とか 意識高い とかの話

新しいバイト先で自分が役に立てない瞬間があることを知り、働く勇気が無くなった。それまでは何をやってもうまくいっていたからだ。

世の中にはメラメラ燃えるような情熱で働ける人もいれば、まいにち精神を擦り減らして働いている人もいる。自分はどちらも経験してしまったから、2つのパターン両方の気持ちが分かるような気がする。危惧しているのは、どちらかだけの人間になると分断が生まれて、「意識高い(低い)系」と揶揄されるようになる日本社会の風潮だ。

海外には意識高い系、意識低い系のような言葉はあるのだろうか。

https://withnews.jp/article/f0170825000qq000000000000000W03j10101qq000015781A

愚かだ。「社会を救いたい、人のためになりたい」と豪語し、人脈をつくり、富を掴んだ人たちは結局、最後は自分が大好きなのだ。

そして『さまざまな世界を見てきたふり』をして、巧みな話術で人を納得させる。そうして何とも近寄りがたいカルト集団をつくる。

やはり愚かだ。いったい彼らは本当に人のためになりたいのだろうか。意識が高い人は押し付けがましい言葉を投げてくることが多い気がしている。

———いつからか、『〇〇しなきゃいけない』というようなメッセージが怖くなった。例えばこんな感じだ。若い頃に投資をとか、年金がもらえないとか、政治がどうとか、社会保障がどうとか。いや、もちろん自分もそういう話は好きだし、時には社会性の帯びた話題をすることがある。でもそれって人に押し付けてよいことなのだろうか。さらにうんざりする事に、広告もネット番組もそういう文句で煽ってくるようになった。休む暇がないのだ。

とはいえ、意識低い系も愚かだ。若い頃に投資をとか、年金がもらえないとか、政治がどうとか、社会保障がどうとか、そういう話をしたがらない、いやしない。もしかすると彼らはそういった話をできないのかもしれない。だから、いつになっても投票率は上がらないし、政府が勝手に決めたと思っている増税に泣いているのだ。

この二元論で語るのはとても危険だと思う。そんなことわかっている。でも、二元論で語ることで、その間の溝をきちんと見ようと思った。

両者に足りないのは思いやり。歩み寄る思いやりだと思った。

仕事——。ピンと凍る池のように気を張っていた就職活動が終わり、時が経つとともに、いつの間にか熱量が平均的な人間に戻っていた。いや、冒頭で示したように、むしろ熱量が低いのかもしれない。

世の中には仕事1000%の人もいれば、仕事が大嫌いな人もいる。ここにやっとこ気づいた。近い将来、両者が必ず同じ会社や同じ部署にいるだろう。仕事にやり甲斐を感じている人はそうじゃない人に対して疑念や不満を抱えていて、また逆も然りという現状があるに違いない。

働き方改革ってなんだろう。残業とかなんかそういうのも大切だけど、「働く熱量」の違いを受け入れることもとても大事にみえる。多様性というのは、そんなに綺麗なことではなくて、自分が受け入れがたい考え方や嫌いな価値観をいったんは受容することではないのか。そんなことを考えた電車の中。今日は黒を纏い内定式に行く。

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外資系専門商社でBtoB, BtoG営業をしています。さまざまな社会問題や身の回りに起きた出来事を発信しています。「新しいモノ・コトで人々の生活を豊かにする」