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アメリカで働くとはどういうことか~一個人の経験

MBAを卒業してから5年経った。短いようで長いような、不思議な感覚である。ライフイベント的には二人目の娘が生まれたり、アメリカに来たときはまだ3か月だった上の娘が小学校に上がったり、家族でグリーンカードを取得したり、と様々なことがあった。現在のような状況下でも、日々是平穏であることに深く感謝をしている。一方、キャリア的には、アマゾンでやってみたかった仕事に向けて少しずつ努力をし、動いていた5年間であった。思えば、アマゾンは自分のキャリアの中で最も長く働いている会社だ。メリルリンチは三年強、カーライルは三年弱の勤務であったので、一社の在籍期間という意味では、私は既に未知の領域に踏み入れていることになる。アメリカでの勤務期間が日本での勤務期間を超える日も(このまま順調にいけば)そう遠くない。

5年というのは過去を振り返るにはいい区切りかな、と思うこともあり、アメリカでの勤務、という点に焦点を当てて、少し振り返ってみたいと思う。思えば、個人的に相談できる人もいなかった(当時はシアトルのアマゾンにいる日本人の数自体がとても少なかった)ため、それなりに辛かった思い出もある。

尚、本稿は私の極めて個人的な経験がベースになっている点、ご了承願えればと思う。人の数だけ人生はドラマがある。

1.とにかくグリーンカードを取得するまでは穏やかではいられない

アメリカで就職する上での最大の障壁はVISAである。そしてこのVISA問題は就職した後も付きまとうことになる。何故なら、H-1bビザは抽選だからだ。

今となっては多くのMBAがSTEM認定を受けたため(私の母校のHaasも)、OPTが3年使えて、抽選に外れる確率は大きく下がったと思う。だが、私の時代、MBAはSTEMではなかったので、OPTはたったの一年。従って、毎年一回しかないH-1bの抽選一発勝負だったのだ。

これは何を意味するのか ― それは絶対的な将来の不確かさ、である。社内で違うポジションを探そうにも、VISAが確保できるかわからない人間には不利に働く(というより、自分から"この数か月先どこの国にいるのかわからないんですけど"、といってCoffee Chatを入れるのは結構きつい)。社外のポジションを探すなどもってのほか(興味はなかったが)。私が在籍していたLeadership Programはローテーションが義務付けられていたので、結構色々と思い悩んだのを今でも鮮明に覚えている。昨今では、大統領令が出されるなど、VISAを持っている人ですら、心穏やかではいられない状況なのではなかろうか。

それに比べて、グリーンカードを取得した今はどうか。勿論色々とキャリア上悩むことは沢山あるが、少なくとも仕事に集中でき、お客様に最高の体験をしてもらう、という点に全力を尽くすことはできていると思う。グリーンカードをサポートしてくれるか否か、というのは、アメリカで就職する上で大きな考慮事項の一つになるだろう。

2.英語は厳しいが慣れる

私は残念ながら、帰国子女でもなく、留学経験もなく、駐在の経験もないままMBAにやってきた。余り好きな言葉ではないが、所謂、純ドメ、というやつだと思う。勿論、外資系に勤めて海外への出張などは行っていたので、おそらく平均的な日本人より英語はできたと思う。実際、MBAに提出したTOEFLのスコアは109点で、留学生全体の中でもそこそこいい方だったのではなかろうか。とはいえ、メリルリンチ勤務中の研修で、英語がわからな過ぎて研修のほぼすべての科目でFailした(問題文の意味がわからず、数式になっている問題しか答えられなかった)ので、所詮はその程度の地力で、あとはTOEFL対策という名の受験テクニックで乗り切ったとも言える。実際、MBAに入ってからも英語で苦労することは多かった。

そもそも、私はMBAで英語が劇的にうまくなることはないと思っていたし、また、それはその通りだった。僕はMBAに留学した時点で28歳、第二言語を母国語のようにマスターするのはおよそ不可能に近い年齢だ。とはいえ、MBAでは英語のコミュニケーションのイロハを教えてもらい(プレゼンの仕方、アイコンタクトの仕方、ネットワーキングの仕方)、アメリカで夏のインターンもした(私はヘッジファンドでインターンをした)ので、留学前からはだいぶレベルアップして卒業したと思う。

それでも、入社してから三か月くらいはきつかった。本当に全く何を言っているかわからないミーティングもあった。アマゾンはなるべく略語を使わない、というポリシーを持っているが、それでも議論が白熱してくると、略語や専門用語が連発されることもよくあり、英語のスピードの速さと相まって、ほぼ毎日完全にノックアウトされていた。辛抱強く付き合ってくれた当時のチームメンバーやマネージャーには本当に頭が上がらない。

でも不思議なことに、毎日我慢してこの英語のシャワーの中で必死に食らいつこうとしていると、段々と聞き取れるようになってくる。単語単語を完璧に理解しているわけではないのだが、意味が分かるようになってくるのだ。それから、相手の意図を確かめるのに有用な言い回しなども徐々に覚えてくる。こうして色々なものが積みあがったおかげで、シアトルの長い冬の気配が感じられるようになる10月後半くらい(入社して3か月くらい)には、殆どのミーティングで議論されていることがわかるようになり、意見を求められても何かしら話せるようになった。火事場の馬鹿力である。今この瞬間、英語で苦しんでいる人がいたら大きな声でいいたい。多大なる努力は必要となるが、最終的に、英語は慣れる。英語力を理由にキャリアをあきらめることはしない方がいい。ただ、そういった慣れるまでの助走期間を許容してくれるような会社やチームか否か、という点には気を付けた方がよい。また、当該チームでの成功を考える上で、最初の数か月というのは極めて重要である。何事も第一印象が大事なのだ。

3.色々な働き方・キャリアがある

おそらく私が一番感銘を受けた点はこれだと思う。人の数だけ働き方がある。といっても、私は労働時間の話をしているのではない。ここで言いたいのはキャリアの歩み方、という点である。

尚、少し前にツイッター界隈で話題になっていたので、労働時間及び残業について、私の1/nの経験をシェアするのであれば、弊社には猛烈仕事人間、みたいな人も多い。特にアマゾンは本当にお客様のことを考えて一生懸命仕事している人が多いので、労働時間は長くなりがちである。夜の10時とかに平気で仕事をしている偉い人達も多数いる。若い子たちはとんでもない時間にメールを打ってくる。何かをDeployする直前だと、深夜にプロジェクト用のチャットが活発になることもある。私自身も、週末働くこともあるし、夜遅くまで働くこともある。Customer Obsessionを大事にしている会社として当たり前であり、逆にそこにプライドをもってみな働いている(と思う)。なので、私の経験上、アメリカは残業をしない、というのは俄かに信じられない言説であるが、人の体験は究極的には1/nであり、そういった会社があってもおかしくはなく、また、そういった個人的な経験を大きな主語で語ってしまうような認識の主観性も、また人間であると同時に思う。他人の意見に非寛容であることは悲しいことだと思うが。

閑話休題。さてキャリアの作り方である。日本だと比較的年功序列的な意味合いが強く、やはり会社で上のポジションに上っていくことが一つの軸になっているように思う。これは外資系企業でもおそらく同じで、ポジションが上がること、そして大きなチームを持つことがキャリア上のゴールになることが多いと思う。しかし、5年間働く中で、こういったものを明確にゴールにしない、という人たちを、私は多く見てきたし、そして勇気をもらった。ポジションは上がらずとも、やってみたい職種に挑戦する人(Down-levelといって一つ下のレベルで違う職種にチャレンジする人もいた)。30を過ぎてから、社内のプログラムを経てSoftware Engineerになる人。大学の学位を取るために仕事をセーブする人。私が見てきたのはこういった、自分が何を大事にするか、という軸でキャリアを作っていく精神性を持つ人達であった。そしてそれを応援する周りの雰囲気がある。とても素晴らしいことだと私は思う。

私も今まで上のポジションに向かうのか、それともやってみたかった開発系の職種に向かうのか、という点で何回も悩んだが、そのたびに自分のやってみたいことを重要視するように心がけている。時に人は近視眼的な観点を持ちがちであるが、客観的に見て人生は長い。乃至は、長くなる可能性が高い。平均年齢が80歳を越える中、65歳で定年する、という価値観は古いだろうし、私も老齢に差し掛かってもバリバリと働きたい。そういう意味では、自分が一番楽しめることを仕事にしていくのが最も大事だと私は思う。それが結果として企業での出世に繋がるのであればそれでよいし、そうでなければそれだけの話だ。

4.日本人としての色はなくなっていく

MBA時代は日本人としてMBAに参加していた。寿司を作れることを期待され、アニメに詳しいことを期待され、数字に強いことを期待され、Toyotaの車に詳しいことを期待される。そういう位置づけである。従って、会話もそういったとっかかりがあることが多く、人付き合いもある意味楽ではあったなと思わなくもない。

これが会社に入るとそんなことは言っていられなくなる。日本のマーケットを専門にした職種で採用されているわけでもないので、私が日本人であり、日本語を話せるということは特に重要ではなくなる。シアトルに来てまだ一か月の私に、シアトルのおいしい寿司屋はどこか、という無茶な質問をしてくる人たちは勿論いるが、職場でそして仕事で、日本人としての色が出ることはほぼ皆無である。これはアメリカでの勤続が長くなればなるほどそうなるというのが個人的な実感である。いまのポジションでは、初めて日本のオフィスの方と若干の仕事のやりとりをする機会に恵まれているが、シアトル側のメインの担当者は私ではない。ミーティングも日本語ではなく当然英語でなされる。

こうして日本人としての色がなくなり、日本という市場との関わりがなくなっていく、という事実に対して、正直怖いな、という感情を抱く時もある。MBA卒業後しばらくは、日本にいつか帰って仕事をしてみる、というのも選択肢の一つではあった。ここからもう数年アメリカでやった場合、日本に戻っていけるのか。最近は日本から求人のお知らせが届くこともない。LinkedInにくるお知らせはほぼ全て米国内のポジションか、ごく稀にシンガポールやイギリスのポジションである。TwitterやNoteを始めて、日本との繋がりを保ちたいな、と思うに至ったのは、こういった思いも背景にある。

5.終わりに

厳しい時期も沢山あったが、アメリカで就職したことを後悔しているか、と言われれば全く後悔していないし、色々な景色を見せてもらえてよかったと思う。特にアマゾンが第二の成長期と言えるくらい急拡大する2015年からの5年間をこの場所で過ごせたことはとても有難いことだった。次の5年がどういったものになるかわからないが、自分のやりたいことに正直に、キャリアを築いていきたいなと思っている。

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