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「生物学」から生きる意味を見い出す

「生きるとは何か?」

みんな一度は考えたことがあるであろう、人生最大の疑問。

「自分はなんのために生きているんだろう?」

そう考えた時、”そもそも生命はどうやって生まれたのだろう?” という疑問が、湧いてきませんか?


ですよね、きますよね、うん。
僕は、きてしまいました。

生命の原点、そして進化
それを学べば、生きる意味が見つかるかもしれない。

そんなちょっとした迷走と仮説から、僕が勝手に腑に落ちた「生物学」からみた「生きる目的」をアウトプットしたいと思います。

単細胞→多細胞へ

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まず、生物学を語る上で欠かせないもの。
それは「最初の祖先」の存在です。

人間も、最初から人間の姿だった訳ではない。

では、その遠い遠い祖先。
初めはどんな生物だったのでしょうか?

実は、全ての生物はもともと同じ祖先だと言われています。

その祖先が、単細胞生物。

単細胞生物とは、その名の通り「細胞ひとつで成り立っている生命体」のことです。人間は、ご存知のとおり多細胞生物。

どれくらいの細胞があるかというと、

37兆個

えげつない。。
人間パねぇ。。

集まった細胞がそれぞれ別の役割を持ち、ひとつの生物として存在しているものが多細胞生物です。つまり、人間も犬もカエルもゴキブリも、所詮は細胞の集まりでしかないということです。
(ゴキブリと一緒かぁ。。)

単細胞生物から多細胞生物が生まれた仕組みはここでは割愛します。詳しく知りたい方は池上彰さんの「生命のしくみ」がオススメです。 

非常にわかりやすい。

多細胞生物の価値

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では、なぜ多細胞生物が生まれたのでしょうか
単細胞生物が、多細胞へ進化していった目的は?

その理由を化学者は「生命が生き残るため」だと結論づけています。


どういうことか?


単細胞生物は、すべて同じ働きをしています。具体的にいうと「自己増殖」と「代謝」の2つ。

自己増殖は、「細胞分裂」をするということ。
分裂することで生命を増やし続けるのが細胞です。

しかし、細胞分裂をするには「エネルギー」が必要。そのエネルギーの素となる「エネルギー源」を取り込み、化学反応を起こしてエネルギーを発生させる。その一連の流れが「代謝」です。

細胞は「代謝」と「自己増殖」を繰り返すだけ。

多細胞
は、そんな細胞同士が合体することで、別の働きをするようになります。そうやって複雑な命令も出せるようになった生命体は、過酷な環境下でも柔軟に対応できるようになります
(熱に強い細胞、水に強い細胞、といった感じ)


航海で例えてみましょう。

とある船が、航海に飛び出しました。
その船には10人いて、全員航海士。
どうでしょうか。

恐らく、そんな船はすぐに沈没するでしょう。
船には航海士がいて、コックがいて、船医がいて、それらをまとめる船長がいて。

それぞれ別の役割を持った人が乗っていると、生存確率は上がります。 単細胞と多細胞の違いはそんな感じです。

多様化

更に生命体はどんどん「多様化」していきます。
これも、生存に有利だからだと言われています。

ひとつが滅んでも、別の生命体が生き残れば、そこからまた繁栄することができる。

航海で例えると、大きい船、小さい船、銅でできた船、セラミックでできた船。多様な船がいれば、どれかは生き残るだろう、ていう感じでしょうか。
(ワンピースの見すぎ)

そのように、生命全体でひとつと考えた時、生き残るには「多様化」した方が効率が良い、ということは納得できると思います。


そうやって、植物が生まれ、動物が生まれ。動物がさらに派生し、人間が誕生したわけです。(急にむちゃはしょりました)

ここまでで、僕が感じたことを軽くまとめます。

・生命の欲求の根源は「生存」と「繁栄」であること
・それには「多様」であることが大切であること

人間の欲求

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ここまでの学びを現代に落とし込んで見ると、見えてくるものと共に疑問に感じることも出てきます。

それは、人間の多様な欲求です。

生命は、生存の欲求が根底にある。
そして生存のために繁栄する。

だから「食欲」や「性欲」があるのはわかる。ただ、「愛情欲求」「承認欲求」「物欲」「貢献欲」「支配欲」など、生存とは直接関係なさそうな欲求が人には多く備わっています。

時には食欲を延期させて仕事に取り組む人。
結婚をせず、独身をあえて選ぶ人。
自ら命を絶つ人までいます。

なぜ?

その欲求はなんのためにある?

その欲求は、人のどこからもたらされるのだろう?

変化した生存欲求説

そう考えたとき、僕はひとつの仮説をたてました。
それが「生存欲求を別の形で満たしている」という仮説です。

例えば、こどもに愛情をたっぷり注げば、こどもは愛情で満たされます。愛情をたっぷり注がれた子どもは、大人になると「愛情を他者に注ぐ大人」になる可能性が高いでしょう。愛情によって満たされる欲求を知っているからです。

自分という存在がなくなったとしても、注いだ愛情は引き継いがれていく。

私たちの生存欲求は、「遺伝子を受け渡す」から「生きた証を受け渡す」という形に、少なからずシフトしているのではないでしょうか?  

そう考えると、人間が何か功績を残したいと思ったり、誰かに認められたいと思ったり、何かを支配したいと思う感情も、「自分という人間が生きた証を刻みたい」という、形を変えた生存欲求の表れだと結論づけられます。

私たちは、エジソンを知ってる。これは、エジソンという物質的存在は消えても、エジソンの存在は今なおこの世界に生き続けているということ。

人の欲求は、形を変えた生命維持活動と捉えれば、色んなものの見方、生きることへの考え方も変わって見えてきませんか?

僕たちはどう生きるか

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もしこの仮説を正とするならば、私たちは変化した「生存欲求」に沿って生きることが、生命体として正しい生き方であると結論づけられます。

皆さんの日々の行動は、生存欲求に沿って生きているでしょうか? 皆さんの生きた証は、どのようにして次世代に受け継がれていくでしょうか?

自分を満たすことは大切。ただ、自分を満たすだけの行動で、いったい何が残るというのだろう?それは生存欲求に沿った生き方なのだろうか?

もし日々の活動が、自分の生きた証を何も残さない、自分の欲求を満たすためだけの行動であるのなら、その先に残るのは後悔と虚しさだけかもしれない。

どうせ生きるなら、私はたくさんの証を、プラスの形で残していきたい。

自分がたてた仮説をもとに、自分の行動を振り返りながら進化した「生存欲求」に沿った生き方をしていきたいと思います。

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