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「鬼滅の刃」はなぜ大ヒットしたのか?

 

 鬼滅の刃が異例の大ヒットをしている。コミックスの売り上げは、2020年2月段階で4000万部を突破。2019年の単行本売り上げランキングでは、「キングダム」「進撃の巨人」を抑え、堂々の2位。一気に週刊少年ジャンプの冠漫画となった。

経営コンサルの神田昌典さんのビジネス書に、「その時代にどんなアニメ、漫画が流行ったかは、時代のニーズを映し出している場合がある」という風なことが書いてあったことを思い出し、「鬼滅の刃は何でこんなに流行ったんだろう? 今までの大ヒット漫画との違いはあるか?」ということを考えてみたくなったので、独自の解釈で導き出した仮説をアウトプットしてみようと思います。

 

ストーリー

まず、鬼滅の刃はどんなストーリーか。

簡単に説明すると、人を鬼に変える能力をもった敵ボス(鬼舞辻無惨) がいる。主人公は妹を鬼にされてしまったため、人間に戻すために鬼と闘う、といった内容になる。

「”妹を人間に戻す=鬼と闘う” ていう方程式が良くわからん」と思うかもしれないが、「力がなければ妹を守れない」ということと、「これ以上悲しみの連鎖を増やさない」という心優しい主人公の想いなどもあり、鬼滅隊という鬼を倒す政府非公認の組織に入り、鬼と闘うというストーリーだ。

一度鬼になった人間は、人間に戻ることはできない、という設定。だけど、人を鬼にする能力がある鬼舞辻無惨なら、人間に戻すことができるかもしれない、という仮説のもと話は進んでいる。

話はシンプルで、人vs鬼。ボスは、人を鬼にする能力をもった鬼舞辻無惨。名前はいちいち難しいが、非常にわかりやすい内容で、少年ジャンプらしい王道のバトルマンガだ。じゃあ、これまでの王道バトルマンガとの違いって何だろう。そこを読み解いていくと、今の時代のニーズが透けて見えてくるかもしれない。

 

過去の王道マンガとの違い

僕たち世代の王道バトルマンガといえば「ワンピース」「ナルト」「ブリーチ」「ハンターハンター」らへんだ。もうちょっと前の世代で言えば「ドラゴンボール」「幽遊白書」などが思い浮かぶ。この辺りの王道バトルマンガと鬼滅の刃で、違いを探ってみたいと思う。

 僕が一番に感じた違いは、主人公の性格だ。これまでのバトルマンガの主人公は、「圧倒的ポジティブ」「男らしいカッコ良さ」「闘いが大好き」といった性格が多く、「とにかく相手より強くなりたい」という想いで相手と闘う。だけど鬼滅の刃の主人公「炭次郎」は、別に闘いが好きな訳ではない。鬼と闘いたい訳でもない。自分の夢のために力をつけるのではなく、大切な人を守るために力をつける。そういった心の優しさが、これまでの主人公と違うと感じた。また、「男らしさ」という面でも、今までとちょっと違う気がする。これまでの主人公は、女性心が読めない、恋愛面では全く相手のことを気遣えないようなタイプが多かった気がするが、炭次郎は気遣いが素晴らしく、会社にいても女性にモテそうな優男だ。

 もう1つの違いは、敵キャラの存在。鬼は人を食らう、敵キャラなのだが、実はその背景には自分のコンプレックスや辛い体験があり、「根っからの悪いやつではない」と感じさせられる。大体のバトルマンガは「正義vs悪」という構図が出来上がり、敵キャラを主人公が倒すことでスッキリ完結するのだが、敵キャラに背景をもたせて感情移入させられる鬼滅の刃では、敵を倒してスッキリ解決という訳にはいかない。まだ最終話までみてはいないのだが、敵ボス(鬼舞辻無惨)にさえそういったストーリー性をもたせるのではないだろうか。そこも気になるところである。


感想

わかりやすい王道バトルマンガでありながら、主人公と敵のキャラクターにこれまでとは違った感覚を覚えた鬼滅の刃。「強さとは何なのか?」「正しさとは何か?」という観点で現実世界に照らし合わせて考えると、「ただ力があるだけではなく、力を何のために使うか」という意味合いの部分や、「どんな相手にもそこに至った背景がある」という相手への意味合いも感じとる共感性の部分が強く出ていることが、今の社会らしさを感じた。

共感主義と呼ばれる現代において、このマンガが受け入れられる意味、流行った理由を自分なりに解釈し、つらつらと書かせていただきました。

最終話でどのような終焉を迎えるのか。楽しみです。

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