見出し画像

悲しみのない世界などないか?《自由な世界へ翼をはばたかせ》

悲しみのない世界などない?

誰かがないと断定すればないだろう

でもそれを断定するしないのが自分であれば、断定する必要はない

それを夢見ることは自由だ

もし、傷つき一度倒れた人が、
そんな世界をつくるためにもう一度やり直したいと口にすれば、
あなたにそれを否定することができるだろうか?

躊躇するだろう・・・

僕は一度倒れた

取り返しのない心の傷を負い、取り返しのない挫折を背負った

そんな僕は思っている

そして世界とは、自分の心のことであり、心のつながりのことであると思うのだ。

企業の本質を現す言葉について、ある本を読んでいてふと思ったのだが、
・・・「生態系」。

自分にしっくり来たのが生態系という言葉、
いわばこれは人間関係に置き換えることもでき、自分が所属する関係の心臓を持つもののことを生態系といえるのではないかと思うのだ。

僕は挫折して、肩を貸してくれる仲間にたくさん出会った。

でもそれは、本質的に自分がハートを開いてきたから、仲間として迎え入れてくださった人たちがたくさんいたのだと思っている。

この生態系の心臓部に近い存在でありたいならば、
自身が、人々が憩えるような理想を心から願える存在であり続けることが大事なんだと思っている。

その生態系には、喜怒哀楽があって、しかしそれが禍根を残す組織ではなく、浄化していけるような「信」とか、「美しさ」とか、「楽しさ」とか、であることを願えるような、祈りの通じるものであることだと思う。

それは大自然(のルール)と違(たが)うことのないものであるならば、
ずっと自然として共存していけるだろうと思う。
SDGsとは、突き詰めればそういうことを言うのだとも思う。

《悲しみのない世界》、

一度挫折し、心を傷つけられ、世間から干されかけたようなボクだから、
痛烈な裏切りに合ったボクだから、
実現したい世界がある。
それは僕の美意識です。

心の大空に、「信」「楽」「美」「喜」「ほほえみ」が満ちるとき、
僕たちのワールドは、どこまでも蒼く澄み渡り広がっていく。

つまりその世界には悲しみはないのだ。

なぜなら仲間同士で結ばれた心、集まりは永遠のものだから。


物理で物事を見なくても、
仲間と結ばれている歓びの心で物事を見れば、
不安も半分、楽しさは100倍、どこまでも飛んでいける。

心の翼は、青年時代の無垢さだけに宿るものではない

少年も、大人も、共に手を結んで飛翔すればいいのである




《悲しみのない世界は、自分次第で存在する》


Rose

僕らの愛から始まり、やがては社会に大きな経済・笑顔・勇気・励ましあいの循環が起こる。その一端を担える人物でありたい。頂いた寄付は、やがて僕らみんなに還ってくるだろう社会の循環の為に使わせていただきます。ありがとうございます。