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この国が潰れかけている訳

この国が潰れかけている訳、それは政治家までもが、エセ人権家・エセ人権観に屈してしまい、人や物事の真の偉大性を、否定するどころか、あざ笑うようになってしまったことにある。
私は安倍元総理を支持するわけでも、しないわけでもないが、
彼は総理になったとき、
「美しい国日本」という言葉を発した、そして、その質問に、例えば「空き缶を海に投げる子がいたら、注意してやれる国を実現したい」と説明した。
野党も、国民も、メディアも、こぞって安倍さんをせせら笑ったのを記憶している。
その安倍さんは、メディアから散々馬鹿にされ、体を悪くして辞職せざるを得なくなった。

ここにこの国の問題点があると私は踏んでいる。

例えば「教えてやろう」という語気の強い言葉一つを取ってみると、、
ボクは、この「教えてやろう!」という言葉・態度にも二種類あると思っている。
「教えやろう、という尊大な態度」と、「教えてやろう、という傲慢チキな態度」。

それを上から目線という言葉で一刀両断し、
「尊大」な態度まで、「傲慢」な態度だと言い放って、怠けて満足してきたのがエセ人権家である。
いきつくところ、多くの人々が、その尊大な態度と、傲慢チキな態度の区別ができない有様になってしまった。

所謂この国は現在、妬みの対象を、怠けて批難して甘い汁を吸うスパイラルの構造に憑りつかれてしまっているのだ。

これではまともに生きようとするものまで、全体的な足の引っ張り合い競争に巻き込まれ、政治どころか、教育の世界でも、経済もすべてがうまくいかないのは当然だ。
今大問題となっている、出生率の低下だって、そんな文化にうんざりした若者たちの悲鳴と批判の証拠なんだと思うんだよね。

つらつらと書いてみた✿

すべてが教育から始まるとするなら、
秩序が崩壊してしまう前に、もっと否観的に考えれば、その昔、ドイツでヒトラーが誕生したように、もしかしたら軍国主義の足跡が聞こえてくる前に、「教えてやる、教えてあげる」といった、本当の慈愛に満ちた、雄々しい態度を社会全体で育てていくことが必要なのではないかと思うのである。
雄々しい態度は、人々の真の人権を擁護、守り抜くために存するのである。

尊大な人と、傲慢チキな人の違い、それは物事を見通す、思いやりを持った洞察力に優れているかどうかだと思う。
所謂、真の心眼、観の目である。
教養・経験値に裏付けされていれば、なお素晴らし。

Rose

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