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大阪で生きるおじさんの日記的日常風景の記録。(主に親父の闘病記) 追伸:親父は7月24…

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大阪で生きるおじさんの日記的日常風景の記録。(主に親父の闘病記) 追伸:親父は7月24日に永眠。でもここに父の姿を記し、いつか誰かの目に触れることで少しでも親父の供養になれば幸い。

最近の記事

7月24日お昼前。

東大阪市の枚岡病院で私と母親に見送られて、父は静かに眠るように逝きました。 本当に静かな最後だったので、いつどのタイミングで、というのは定かではなく、フェイドアウトしたかのような最後でした。 心電図も拾えないほど心拍が弱っていたので、ドラマなんかにあるような「ピッ。ピッ。ピー――」という流れはなく、常に「ピーーー」という状態だった。 ゆっくりと体温が無くなっていき、先生がご臨終ですと言ったのが11時34分。 「えっ?」という間もなく、やれ葬儀屋に電話しろだ、どこそこに連

    • 7月23日(土)晴

      朝、いつもと変わらず、電車で会社に向かう。会社について、鍵を開けようとしたら、間違って車の鍵を持ってきたことに気づく。 他の社員が出勤するまで待ちぼうけ。 無事に開錠し、午前の仕事を終え、昼食を食べて公園を散歩してたら、親父が入院している病院から携帯に電話。血圧が低下してきて、手足も冷たくなってきているので、来れたらすぐに来て欲しいとのこと。 いよいよ、その時が来た、ということらしいが、認めたくない私は、どうせまた少し調子が悪くなっても、また回復し、まだまだ逝くはずはない、

      • 特定医療費の更新

        7月20日 晴れ 今日は、親父の特定医療費(指定難病)支給認定申請の更新の手続きをする為に実家へ。 午前中は母親の胃カメラと大腸のカメラでの検査。最近便に血が混じるとのことで、上からも下からもカメラを入れるという過酷な検査を自らの希望で半日でやってしまう、恐ろしき83歳。 昼に病院で落合い合流。一緒に先生の話を聞く。大きな問題はないけど、胃にポリープが100個ほどできているとのこと。ポリープ同士がこすれて出血してるので心配はない、とのことで、一安心。 で、昼から親父の手続

        • 父親の転院とジャッピー君

          正月に親父が入院して1カ月が経った頃、病院から連絡があった。その病院は療養型ではなく、治療型の病院であり、親父の肺炎の症状が落ち着いたら退院して欲しい、とのこと。その病院は親父を「大脳皮質基底核変性症」と診察してくれた先生がいたので心強かったのだが、感染症が蔓延してる中、少しでも病床を空けないといけないという思いもあった。 ちょうど、親父の83歳の誕生日だった。 転院肺炎が治れば退院することは最初に入院するときに聞かされていたので驚きはなかったが、代わりに入院させてくれる療

        7月24日お昼前。

          母親のこと

          「大脳皮質基底核変性症」と診断され、日に日に人間としての機能が失われていく父。その父を文字通り24時間つきっきりで看護してた母親のことも少し書き残しておきたい。 自宅での介護2022年の元旦は家族を連れて実家に戻り、親父に孫たちの顔を見せることができた。もうベットから自分で体も起こせず、呂律の周りもおぼつかなくなった父だが、母に促されてようやく片言で「ウレシイ」と言った。 その二日後の三日、真夜中に母親から食べ物を喉に詰まらせて咳き込み、熱が下がらなくなったと連絡が入る。

          母親のこと

          ありふれた父親の姿

          「大脳皮質基底核変性症」 今から4年半ほど前、2017年の8月に、私の父親に付けられた病名だ。 今年の正月、この父親が「誤嚥性肺炎」を患い入院することとなった。 この辺りのことを私自身の備忘録的日記として記録しておきたい。 大腸ガンが治癒!しかし・・・ 2015年に大腸ガンが見つかったのだが、幸い早期の発見だった為、切除手術することで治癒した。しかし、術後のリハビリ中、いつまで経っても体が思うように動かないという。特に左手が動かしづらいとのことで、改めて検査してもらっ

          ありふれた父親の姿