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福祉をする料理人になった経緯
元々、福祉をするという考えが全くなかった私が、福祉という分野に関わるようになった経緯をお伝えします。
キッカケは、息子の自閉症(知的障害含む)でした。
1歳の検診で自閉症と言われ、当時は愕然としたのを覚えてます。
自閉(スペクトラム)症とは
「自閉スペクトラム症(Autism Spectrum Disorder: ASD)」は、対人関係が苦手・強いこだわりといった特徴をもつ発達障害の一つです。近年では、早ければ1歳半の乳幼児健康診査でその可能性を指摘されることがあります。
自閉スペクトラム症には、対人関係やこだわりの特性がきわめて強い状態だけでなく、これらの特性が少しでもあることによって生活に支障を来し、福祉的・医療的サポートが必要な状態まで幅広く含まれます。最近の調査では子どものおよそ20~50人に1人が自閉スペクトラム症と診断されるともいわれています。男性に多くみられ、女性の約2~4倍という報告があります。
子供の事がわかった当時は、自分のお店を持ちたいと思い、大阪で人気のフランス料理店の門戸をたたき、日夜仕事に明け暮れる日々だったので、どうすべきか等、家族のことを考える余裕がほとんどなかったのが、正直なところです。
子供のことも気にしながら、仕事に行って帰ってを繰り返していくと、徐々に嫁もノイローゼ気味になってきたので、これは良くない。と思い嫁の実家がある滋賀県に移り、子育ての環境を整えることになりました。
それでも、今まで蓄積してきた料理人という経緯から、ブライダルの調理やカフェの料理人として、なんとか生計を立てつつ生活を続けてました。
カフェで仕事しているときに、料理人として、一人の人間として何ができるかを考える事がありました。
そんな時、(当時33歳)若手料理人コンクールRED-35が初めて開催されました。
少し変わった大会だと思う点が勝ち上がり式という事と、料理だけでなく考え方も評価されるという大会だったので、自分をアピールするレポートの提出がありました。
なかなか、自分のことを客観的に見たり、これまでを振り返り、そしてこれから何をすべきかを、文章に書いて人に伝えるということがなかったので、ここで改めて考えるきっかけになりました。
【自分が持っているスキルが、この子のためにどう活かせるだろうか?】
この大会の最中、時同じく東京オリンピックパラリンピックの開催も決定しました。2020年開催予定だったので、5年以上も先の話でしたが、世界が注目する場所で何か活動できれば、世間からの注目もあり世の中が少し変わるんじゃないか?
何を変えたかったというと、自閉症や他の障害もそうですが小学生の頃から、支援学校などに別れ、触れることなく社会人になって、それが普通と思ってしまう(私がそうだったので)という現状を、少しでも混ざり合った社会で助け合ったり、思いあったりする未来にする、という点です。
そこから、福祉の活動も視野に入れるようになり、この大会で結果を出した後、福祉分野の活動をしてオリパラに向けて動くという目標を立てました。
結果、3年連続で、シルバーエッグとブロンズエッグ(約600人中27人程度)までの成績でしたが、納得のするところもあり(同世代ですごい料理人にたくさん会えた)福祉の道に進むことになりました。
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