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ルーブル事件

自分はつくづく表層的な人間だと思う。

何をやっても上辺だけで、どうにも踏み込みが浅い。それがバレないように日々怯えながら暮らしている。こと文化的な教養については、ねじれたコンプレックスを長い間抱えてきた。

友達の少なかった自分にとって、映画や音楽や文学だけが唯一の心の拠り所だった。孤独に打ちひしがれる夜も、音楽を聴き、物語の世界に入り込みさえすれば大丈夫になれた。「人生の恩人は誰ですか?」と聞かれたら、人ではなく作品のほうが多いかもしれない。それだけ映画や音楽や文学は自分にとって心の支えであり、心の血肉だった。いまでもそれは変わらない。

ただ、カルチャーに親しむ気持ちと、体系的な知識を持っているかどうかは別の話だ。僕は僕なりのやり方でカルチャーを探求してきたけれど、熱しやすく冷めやすい性格もあって、歴史を遡ったり関連作を制覇したりすることは稀だった。要はマニアックになれないのだ。愛情と知識は別物だと頭ではわかっているものの、「本当に愛があるならもっと探求するよね、普通」という猜疑心が拭えず、この歳になってもなかなか自分の好きに自信が持てずにいる。

結局僕は、"カルチャー好きっぽい自分"が好きなだけなのだ。他人から教養ある人物に見られたいという見栄があることを、痛いくらい自覚している。カルチャーを心底愛している自分と、それらを単なるファッションとして消費している自分。どちらも本当なのだけれど、後者の自分を認めまい、悟られまいと、いまも不様にもがいている。

僕の妻は、こうした自己顕示欲や承認欲求を持つ人間に対して恐ろしいほど辛辣だ。しかもやたらと洞察が鋭い。どんなに隠していても、的確に急所を射抜いてくる。「お前は結局他人から称賛されたいだけだろ」と、これまで何度言われてきたことか。

ある日のこと。妻とランチをしている際、もしもどこでも自由に旅行に行けるとしたらどこに行くか?という話題になった。もともと僕が出不精で遠出が好きでないことを知っており、だからこそ本当に行きたい場所はどこなのか尋ねてきたのだった。そこで僕は、「ルーブル美術館だね、間違いない」と答えた。世界の芸術の総本山ともいえるルーブル美術館。美術に詳しくない僕でも、一度は拝んでみたい気持ちは確かにあった。それを聞いた妻はすかさず、「もし行ったことを誰にも言えないとしたら?SNSにもアップできないとしたら?それでも行く?」と尋ねてきた。

ここからが衝撃の展開だ。僕は自分でも知らぬ間に、「じゃあ行かない」と即答していたのだ。まさに脊髄反射レベルで。その反応速度に自分でも驚いてしまった。言ってから自分の失態に気づいたものの、時すでに遅し。「ほ〜らな、お前はそういうヤツだ」と言わんばかりの白々しい視線で僕を見つめる妻がいた。

もう隠しても仕方がない。僕はルーブルの美術品などに本当はカケラも興味がない。ルーブル美術館に行ったことを人に自慢したいだけなのだ。むしろ人に自慢をするためにルーブル美術館に行くのだ。心の本音を不意に暴かれ、脳裏に浮ぶ「完全敗北」の四文字。歯を食いしばるしかなかった。奥歯に挟まったハンバーグの肉片から肉汁が溢れ出るのを感じる。

僕はこの一件を「ルーブル事件」と名付けた。


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