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自分の常識、他人の非常識 『ミッドサマー』

こんにちは、石川由弥子(ゆみこ)です。

私は映画も好きで、ふらりと一人で映画に行くこともあります。上映時間の間は携帯もいじれないので、物語に集中できていいですよね!現代人には携帯から離れる時間を意識的に作ることも大切です!きっと!

今日は、朝一に一人で映画館に観に行ってしまったため、しばらく一人でいるのが怖かった思い出の作品を紹介しようと思います。(笑)

今回紹介するのは、アリ・アスター監督の映画「ミッドサマー」です。

「フェスティバル・スリラー」という新しいジャンルを打ち出した本作は、公開時かなり話題になりました。私は一通り考察を見てから行ったので大筋はわかっていたのですが(邪道ですか?笑 )、それでも伏線の多さと情報量、目まぐるしい場面転換に、終始「ひええええええええ」となっておりました。色々と考えさせられる映画だったので、まとめておこうと思います。

こんな人におすすめ

異文化への理解がある方 / グロが平気な方 / 綺麗だけど陰鬱な異様な雰囲気を受け入れられる方 / 伏線が張り巡らされた作品が好きな方

『ミッドサマー』のあらすじ

家族を不慮の事故で失ったダニーは、大学で民俗学を研究する恋人や友人と共にスウェーデンの奥地で開かれる”90年に一度の祝祭”を訪れる。美しい花々が咲き乱れ、太陽が沈まないその村は、優しい住人が陽気に歌い踊る楽園のように思えた。しかし、次第に不穏な空気が漂い始め、ダニーの心はかき乱されていく。妄想、トラウマ、不安、恐怖……それは想像を絶する悪夢の始まりだった。

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『ミッドサマー』のおすすめポイント

美しき北欧の雰囲気に騙されるな!「正しさ」という常識の違い

この映画のキャッチコピーの中に「明るいことが、おそろしい」とある通り、夜がこない北欧の白夜シーズンが舞台になった作品です。

主人公たちはスウェーデン奥地の村・ホルガに、夏至祭を見学するために訪れるのですが、一歩踏み入れたホルガの村は、主人公たちが暮らしている街とは生活様式も価値観も違いました。ホルガという共同体では、人の人生を春・夏・秋・冬の季節に例え、その年齢ごとに役割を分けたり、住む家を決められたり、独自の倫理に沿って生活をしています。

咲き誇る花々と生い茂る木々に囲まれ、白地に鮮やかな刺繍を施した服に身を包み、盛大に祝祭を祝う村人たち。一見、穏やかで親切な村人たちに対して心を開いていく主人公たちですが、会話ができるからと言って、価値観が一緒とは限らないのです。これが本作の一番怖いところ。だってこの村人たちには、ダニーたちが当たり前のことだと思っていた一般常識が通用しないのだから。

「正しさ」とは、生まれ育ったコミュニティの中でしか通用しない「常識」に過ぎないと気付かされます。コミュニティが違えば、「正しさ」も違う。生死の捉え方や恋愛の仕方、セックスの意味さえも・・・。「ホルガの常識」に否応なく巻き込まれてしまったダニーたちを待ち受ける結末はいかに。ぜひご自身の目で確かめてみてください。

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自分の常識を他人に押し付ける傲慢さ

私たちは野蛮人ではなく、お互いの価値観を分かち合うための「言葉」を持っています。言葉を交わさずして、勝手に村の常識を押し付けた村はとっても傲慢だなあと思います。(もちろんそう仕向けた村出身の同級生の意図が強かったですが)

日本の諺で、「郷に入れば郷に従え」というものがありますが、それは自分自身の生存が脅かされていない状態で言われることだと思います。たとえ、「郷」に入ったとしても、共通認識を取らない限り、全てが許されるわけではないと思うのです。

ホルガ村に関わらず、同じ日本であっても、どうしても分かり合えない人たちがいるのも事実です。友達ですら、価値観が合わない人がいたりします。改めて思うのは、そういう人たちとはそもそも「価値観」や「正しさ」が違うのだということ。共通言語が違うのだから、そりゃあ分かり合えるはずがないですよね。

「ミッドサマー」を観て、改めて、同じ人間であっても「常識」の違いがあることやその常識を押し付けることは傲慢だということを感じました。わかる努力はしても、わからないことがあるということを認識した方が、現代社会に生きる私たちにとってはだいぶ生きやすくなるだろうなと思います。

では、また〜

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