2020年わたしがどう生きたか。
1年前の2019年の年末、1年を振り返って、言葉にすらできなかった。そのくらい、限りなくゼロで。何もなくて。感情もなく、ただ、何とか乗り切れたことへ安堵する。そんな年の瀬だった。
2018年に長男が生まれ、2019年悩みに悩んで、3年ほど取り組んできた、下着製造の会社をほぼたたみ。そのタイミングでお腹には次男をかかえて、7月に神戸へ戻って来た。会社の清算の手続きや、上の子の保育園。10月に産まれてくる下の子の通院。上の子が生まれるにあたり、会社はミニマルに抑えての経営でギリギリ回していたため、ほぼ手取りなし。清算で貯金もほぼなくなり、出産直前のこのタイミングで、大きな仕掛けや営業もできず、メインクライアント一社のみをかかえての里帰り。
中途半端な時期で、保育園も決まらず。一時預かりで預かってもらえる日と、夜〜明け方まで働き、ギリギリなんとサービスを提供していた。2人を1人で育てていけるのか、東京にいなくて、こんな神戸の片田舎から安定収入が得られるのか。この年でまた親に厄介になるのか。そもそも何のために、子どもを産んだのか、幸せにできるのか?考え始めると苦しくて、でも泣いている暇はないから、心は無にして、走り抜けた。そんな2019年だった。この時期。起きている間に、幻聴。幻視などもあり、ほんとギリギリだったなぁと今振り返ってもそう思う。
辛いとか、しんどいとか、いつも言葉にしないのだけれど、恐らく、今回の人生で、この時期以上に辛く苦しい時間はもう来ないと思う。幸い、仕事がない、ではなく、2人体制でサポートしていたものを全てわたしが1人で対応した結果の激務。緊張で指先が震えながら、間に合え、間に合わせと、何度そんな朝を迎えただろう?吐きそうな緊張感を抑え、1分の価値を噛み締める日々。
この時期を淡々と、子ども達を抱きしめながら乗り越えたことは、不要な苦労だったかもしれない。でも、きっと、子ども達を守るための心づもりと、決意と、その重さを知るある意味準備期間だったかなと思ったりもしている。そして、時間とスピードと仕事のすすめ方に置いても、無駄なく、垂直稼働の体質が身に付いた。
この時期、毎日のように明け方まで起きている私を、ずっと心配し続けてくれた、母にほんとうに感謝。
2019年10月次男誕生。そしてマリクルで働き始めた。
出産のタイミングくらいかな、もともと友達でもあった、中屋まり率いるマリクルで採用周りの仕事をスタート。そのタイミングではまさか、こんなどっぷり。このチームでやっていくことになるとは思ってなくて。ダイレクトリクルーティングのディレクターとしてフルリモートでジョインしたのがこの頃だったな。
子どもが生まれて、翌朝から仕事してたら、パソコンを閉じなさいと怒られたり。いや、だってね、わたしが、2人を守っていかないといけないから、休んでる、ダウンしてる時間なんてないんだよと、心の中で思ってたよね。
また、誰かと働くと言うことが素直にたのしくて、自分のバリューの答え合わせをしているような、そんな時間だった。
2020年2月実家を出る決意をする。
ここは凄く苦しい決断だった。子ども達のために残るべきなのか、離れるべきなのか、1人で2歳1歳を育てながら、独立を維持できるのか。未知で、不安で、失敗はできなくて。ただ、離れる他仕方ない出来事があり、下の子が保育園に入れる、最後半年を迎えた5月。3人暮らしをスタートした。
コンサル、制作の仕事、マリクルでの仕事。CMOとしての事業戦略の仕事。
ここから心配していたのがウソのように、色んな方からお声がけをいただき、CMO、CHROとして、さまざまな会社の事業戦略に関わり始める。
もともと経営よりも、業務遂行を得意とするわたしとしては、誰かのすぐ下で、すぐそばで、会社の事業をつくりあげるポジションはとても向いていて、この時期かな。
不安よりも挑戦に意識が向き、妊娠出産でのダウン期を一気にまきかえしはじめた。そんな夏だった。
自分のやりたい。は置いておいて、とにかくバリューを出すこと。やりきる。あっという間に、月収は100万を越え、ある意味、ここで答え合わせが終わった感があった。
神戸に、帰ってきたときにかかえていた、不安は『わたしは無能ではない』という実感とともに消えてなくなっていった。
遠隔でも、子どもが2人いても、シングルでも、田舎にいても、それでも数字を立てられる。
あとは、子どもは9:30-17:00でのやや時短保育も両立。フルリモートでなければ、8時間勤務+移動時間で、幼い子ども達にはかなりの負担を強いることになっていただろうと思う。
こんな状況は視野にはなかったけれど、ウェブ。開発。コンサル。独立。その辺りのスキルを選んで積み上げてきた過去の自分に感謝だった。わたしが大手の営業マンとかだったら、恐らく、今も色んな葛藤の中、答えを模索する日々の中にいただろうと思う。
とは言え、子どもが2人いると、バタバタ熱や体調不良が。1人で働く、という限界を感じた夏でもあった。
ここは、マリクルのボス、まりすけとも良く話すのだけど、時間の切り売りでフリーランスが稼げるのって、なんだかんだ2000万くらいだよね。と。
かつ、わたしの日中の稼働は6時間。その6時間も、子ども達が元気である前提の上の話。この時期に、マリクルにウェブのクライアントを移管する相談をし、8月、マリクルの中にウェブ事業部が立ち上がった。
子育てをしながら、ひとりではこれ以上上は目指せない。と言う、限界を知った上で、さらに上に行くためにした、ひとつの英断だったと今振り返って思う。
インフルエンザ、溶連菌、アデノウィルス。そうなめにした月は月のうち4日しか保育園にいけない日も。下の子はそもそも6ヶ月以降でないと保育園にも入れず。女性も男性も平等だと言うのは概念の話で、やはり子育てにおいて、母親が担うロールの圧倒的重さに直面したのもこの頃だったなと思う。ここはまた、おいおいアウトプットしたいかな。
2020年、ウェブ事業部は女性だらけ12人に。
8月9月と1人で回していた事業も、今や12人のチームに。27歳で独立して、9年目にして、もっとも大きいチーム。2021年はこのチームでどうサービス展開をしていくかが、わたしの目下の目標。
この辺りは、また別の記事でまとめようと思う!
誰かがたすけてくれるのは、子どものうちだけ。変わりたければ、何かをさしだして。そして手にいれる。
先日、会社のオンライン忘年会で。チームの子達に言われたのは『ゆみこさんは1日24時間じゃないですよね。』『ここ最近会った人の中でTOPp3でやばい人』というコメント😂
それは、腹の括りが違うんだよねと、軽く返したのだけど。
今のこの生き方は、誰にでもできることではないと、私自身もそう思っている。
この一年。私は仕事と子ども以外、ありとあらゆるものを手放し、この二つに投下した。体調を維持するために走り。食事も管理。睡眠だけは、ぼろぼろで。三時間おきの授乳や、保育園のない、行けない日、徹夜や、3時間睡眠とか、当たり前のような毎日です。今も。
友達と会いたいな。誰かに子ども見てて欲しいな。助けて欲しいな。養って欲しいな。休みたいな。ゆっくりしたいな。
色んな欲求や、甘えも全て捨てて。所謂、全集中した1年。全部、ありとあらゆることを自己責任として、行動をしてきた。その結果だと思っている。
『ゆみは、恵まれてる』『全部手に入れている』『羨ましい』
全部違う。私は欲しいもののために、犠牲を払ってきたまでの話で、その対価として、今がある。欲しければ、何かを差し出す。何もさしださないで、天から降ってくる幸運だけを待ちのぞんでいたら、おばあさんになって、誰も幸せに出来ないでしょう?
2020年。私は差し出せる、ありとあらゆるものを差し出してきた。
だから、2021年。間違いなく、たくさんの享受がまっていると思っている。
つまり、2020年、心の底からやり切ったと、自信を持って言い切れる、潔い1年だった、ということだね😉
わたしの人生と仕事は切っても切り離せないもの。
と、かなりストイックに仕事への価値観を書いてみたのだけれど、わたしは、働くとは、自己実現であり、社会活動であり、誰かを守ると言うことで、このバランスを突き詰めたものだと思っている。
永遠に、成長していたいわたしは、働きつづけること、チャレンジし、課題を解決し続ける、その場所として、仕事が必要で。
その結果、サービスを受ける側も助かり。また、その対価として受けとる報酬で、家族を守る。この、何がかけても、働く、は続かない。
と、記念すべき位置投稿目は、年末だったこともあり、誰も興味ないでしょう、わたしのこの1〜2年の振り返りになってしまった😂
仕事の内容。子育てのこと。これからの目標。できること。チームのこと。2回目以降はもっと読みたいなと思ってもらえることをアウトプットしていきたいと思います!
みなさん、一年おつかれさんでした!
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