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題... 今年は異常な“墓まつり”になっていました

◆ 毎年、4月の第一日曜日は、故郷の田舎の共同墓地の“墓まつり”。

 今年も“墓まつり”がありました。私も行きましたが、例年とは違う様相でした。[ #墓まつり ]
 例年は、共同墓地の前の桜の木の広場に村の人と近郊に住んでいる人みんな集まって、数人の住職に来てもらってお経を唱えるのを聞いていましたが、今年は、それはなし。
 市当局から、コロナ騒動で人が集まるのはまずいので、やめてくれとお達しがあったらしい。お上に頼まれれば、言うことは聞いてくれる。そこが田舎者の良いところ。[ #お達し ]
 イベント的な部分は中止になっていましたが、パラパラとしか人がいない野外でもほとんどの人がマスクを着用していました。
 まぁ、それはそれとして、ご先祖様の供養は大切と考えるのも田舎者の特徴。納骨堂には自由に入れるようになっていました。私も納骨堂に入って、お参りしてきました。
 私の親父殿とお袋殿が入っているお墓はそこにありますが、実は、私の別のお墓もそこにあります。お参りしないわけにはいかない。お参りしなかったら、“バチがあたる”


◆ 世間では、必要以上に“外出自粛”がやかましく言われていますが、天の邪鬼な私は、それはちょっと違うのではないかと思っています。

 多くの人が勘違いしているフシも感じますが、実は、外出が悪いのではなく、人混みが良くないのです。[ #人混み ]
 今世界中に広がっている新型コロナウイルスは動物から人に感染するわけではなく、人から人に感染するタイプのウイルス。人に近づかなければ、感染はしません。[ #人から感染 ]
 これまでのウイルスとは少し特徴が違うようなので、重症化するかとか致死率がどれくらいかはまだはっきりしませんが、“感染力”はべらぼうに強いことはわかっています。
 ひとり感染すれば、その“濃厚接触者”は高い確率で感染しています。驚くほどのスピードで、“大型クラスター”にまで発展している。
 でも、人から感染するのなら、人に近づかなければ感染はしない。感染させることもない。そこが、大切です。
 極端な話、山の中の一軒家で人とも会わずに自給自足の生活をしている人には、感染のしようがないのです。


◆ 気になるのは、日本の当局のウイルス検査の戦略が、“できるだけ検査させない”スタンスなこと。

 私には、何のためにそんなわけのわからないことをしているか、理解できません。検査をしなければ、誰が感染者かわかるわけがない
 関係者は“医療崩壊”を防ぐため検査を絞る云々と強調しますが、それは単なる屁理屈。感染者がわからなければ隔離もできないから、感染を防ぐことはできません。
 こんな場合に最も大切なのは、まずは、感染を食い止めること。他のことは、その次に考えればいい。[ #感染を食い止める ]
 世間では、おかしいので検査してくれと保健所の相談窓口で頼んでも、あれこれ理屈を並べて検査してくれないという話があちこちで聞かれています。
 まるで“検査難民”。途方にくれている人も少なくないらしい。私は“ステルス感染者”とよんでいます。そして、そんな人が“感染源”になっていると想像しています。[ #ステルス感染者 ]
 このままでは、“疑心暗鬼の社会不安”が増幅されてロクなことにならない。
 コロナで医療が無茶苦茶になる前に、“集団ヒステリー”で社会が無茶苦茶になりそう。と言うより、既にそうなっている。買い占めなどは、その一例。[ #集団ヒステリー ]


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