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街歩きが楽しくなる!文字偏愛者の偏った目線

先日、LabCafeさん主催の"偏愛を語る会"なるものに招待して頂きました。大好きなものについてしゃべり散らかすなんていう、話し手のカラオケ大会みたいな企画なのに、みんな積極的にきいてくれる、、、至福のひとときでした。(話を聞く姿勢、知識量がすごいんだ、、、参加者のみなさん、改めてありがとうございました!)
さらにありがたいことに、終了後には「面白そうな内容...」「聞き逃した!」「私も聞きたかった!」と言って下さる方々もいらっしゃったとのこと。実在するんですか?

そこで今回、noteにて発表内容を今一度整理し、当日のディスカッション内容も踏まえてアップデートしたものを公開したいと思います!
題して、「街歩きが楽しくなる!文字偏愛者の偏った目線」!はじまりはじまり〜!

偏愛=レタリング:「意味」と「カタチ」の二つの顔

僕の偏愛、それはズバリ「文字」。大学のある葛飾・金町という下町風情溢れる場所で、金町の商店街をテーマにした制作をしているうちに町を構成している文字・レタリングの魅力に目覚め、好きが高じて文字のデザインをするに至りました。instagram、twitterを中心に日々レタリング作品をアップロードしています。

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twitter:@ymgsknt
instagram: @ymgsknt

また最近は、ChiritsumoChallengeと称して「塵」の文字を積もらせるという制作も行っています。

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Webページ:Chiritsumo

そんな文字の魅力とは…?などとわざわざ説明するのは野暮な気がします(みりゃわかるだろ!)が、敢えて言うなら「意味」と「カタチ」の2つの顔が織り成す、文字特有の豊かさにあると思います。
文字は図形、それも「2つの顔」を持つ図形なのです。どういうことでしょうか。

そもそも文字って「多義図形」:ルビンの壺と文字

皆さんルビンの壺はご存じでしょうか?僕は知っています

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出典:Wikipedia

「顔に見える!」「壺にもみえる!」と大盛り上がりするアレです。一つの絵に対して複数の解釈が可能なものを「多義図形」と言ったりしますが、ここで肝心なのは「顔だと思ってみると顔にしかみえないし、壺だと思っていると壺にしかみえない」、つまり一方を見ているときは他方に盲目的であるということです。その点、僕は「文字」も多義図形だと考えています。


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左はルビンの壺、右は海という文字ですが、この文字は"海"という「意味」を表すと同時に、複雑な線で構成された「カタチ」でもあります。私たちはこの「海」を前にし、「"海"という意味だ」という解釈に留まり、「カタチ」に対してかなり盲目的になっているのです。
とはいえ、この例で「カタチ」に注目する、というのが何を意味するのかよくわかりませんよね。なにかを解釈するためには、そこに「名前」が必要です。
(ちなみにこの文字の「カタチ」には「A-OTF 太ゴ B101」という名前がついているのですが、真っ先にその名前が出てくる人は一部の"過激派"を除いてまずいないでしょう)

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そこで次に、「明朝体」と「ゴシック体」の二人に登場してもらい、文字の「カタチ」にまつわるちょっとしたクイズを出したいと思います。

意外と見てないカタチの話① マンガのフォントはなんじゃらほい?

みなさん「明朝体」と「ゴシック体」はご存知でしょうか?僕は知ってます

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筆書体の動きを残した明朝体、線幅を均一にしたゴシック体。左は新聞や小説などでみる硬派なやつですね。右は比較的馴染みやすい、フランクな印象です。

では問題。マンガのフォントは明朝体?ゴシック体?

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明朝体?のような気もするけど、新聞で見るそれほどカタい印象だったっけ?かといってゴシック体は軽すぎるような、、、


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はい、では正解発表!
実はそのどちらでもなく、ひらがなは明朝体、漢字はゴシックのハイブリッドフォント。(アンチック、アンチゴシックとも言います)

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選択肢にない?そんなに鼻息を荒くしないでください。

最近は使用するフォントもキャラクターの情緒に合わせて様々に使い分けられていますが、どのマンガもふつうはこのフォントを用いています。(ウソだと思うならお手元のマンガをチェック!)身近な漫画フォント、意外とトリッキーなことをしていたんですね、、、

ちょっと地味でしたか?次はもう少し「あれっ?」っと思わせる例を紹介します。


意外と見てないカタチの話② 鬼滅の刃の題字

ではみなさん、鬼滅の刃はご存知でしょうか?僕はよく知らないのですが、以前コンビニにてコラボキャンペーンの横断幕をぼーっと眺めていてびっくりしました。そうです、題字の話です。
では問題、鬼滅の刃の題字は明朝体?ゴシック体?

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引用:公式サイト

ファンの方々ならさすがに気づいている話かもしれません。


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はい、では正解発表!
実はそのどちらでもなく、明朝体、ゴシック体の両方の特徴を混ぜ込んだハイブリッド文字。

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いや、えっぐくないですか、、まじまじとみるとこんなアンバランスな文字をしていただなんて、、、

細く鋭い線の明朝体と、ガシッとしたゴシックを組み合わせることでコントラストを上げ、全体的にメリハリのある書体になっていますね。
「鬼」の右下、まげはねの部分と「刃」の右上で隅をとり、長方形を意識させる一方で、その枠からはみ出した「鬼」の左はらいで動きを出しているんでしょうかね。

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どうですか?よくみてみると「あれっ!」なカタチ、ありませんでしたか?

このように、往々にして私たちは、文字の「意味」ばかりをなぞって「カタチ」に盲目的になっていることがあるのです。

もっと「カタチ」をみてみよう:文字をみるための「視点」

そして僕の関心は専らこの「カタチ」にあります。
文字のカタチは、機能的な制約の下で決まることもある(これについては後ほど)のですが、文字の持つ「意味」からカタチが決まることもあります。
意味との相乗効果を狙ったカタチ、あるいは敢えて意味を裏切るカタチ、などなど。
その前提のもと、この文字はどうしてこのカタチなんだろう?このカタチの役割はなんだろう?ということに思いを馳せてみると、文字の造形は実に奥の深い世界なのです。

なーんて、そんなこといきなり言われてもピンとこないですよね。ここからは街で見かけた気になる文字、最近流行った文字、そして自分の作品を独断と偏見ありきで紹介しつつ、ざっくりとした分類をしていきたいと思います。

視点① 制約を受けた文字

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まずはこちら。岐阜県にある高鷲ICの看板です。
「鷲」の字がかなり大胆に省略されていますね。高速道路にある看板の文字はこの写真のように、「読める最低限度」まで線が省略されます。これは高速で移動する車から見たとき一瞬で地名を把握できるように情報を削ぎ落し、可読性を高めるためです。
何が省略されて何が省略されないのか、そのロジックまで汲み取れたら面白いだろうな、、、とは思うのですが、自分はまだその域に到達しておりません。無念。

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お次は別の理由から省略された文字。同じく岐阜県郡上市。
「ギ」の字の濁点の潔さ、、、!素晴らしいですね。「気」のメの部分も、ナナメのラインから外に外しているのが素敵すぎます。こちらは造形の美しさにこだわっている気がします。横線よりも縦線を太くするという法則のもとでは、濁点を「キ」の横線で短くしてしまうというのは許せなかったんでしょうね。わかります。

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最後はこちら。東京都、大手町のオフィスビルにて発見しました。明らかに正方形のグリッドによる構造上の制約に支配されています。「止まれ」の文字は、各辺正方形の一辺の1/2を最小単位に、また使用できる斜線の角度は45度に縛られていますね。質素で厳しい世界だな~とおもわせつつ、「ま」のカーブするパーツや「れ」のナナメ線にはその文字にしか使っていないパーツもあるみたい。茶目っ気を感じさせますね。
この法則は「塵」の文字を作る際にも活用しました。5×4マスという使えるマス目の制約もあったので、文字の線を減らす必要もありましたが、どうでしょう、「塵」にみえますかね??

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視点② 意味を助長する文字

テレビのテロップでも多用される文字の「カタチ」の使い方、文字の「意味」を装飾によってわかりやすくする表現です。
やりすぎると安直でダサくなってしまいがちな手法ですが、そのダサさがまた良かったり。

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こちらは京都にて。「ひなどり」にひなどりが描かれています。
一見「馬から落馬する」レベルの冗長さにも思えますが、その「無駄さ」加減が最高なのです。無駄こそ贅沢、贅沢こそ至福。効率化と機能性を追求するあまり、私たちが失ってしまった感性ではないでしょうか。
一番のチャーミングポイントは「ど」ですね。全体的にエサを喰らってるひなどりがカワイイのと、「ど」の字全体でひとつの生き物のようにも見えます。
それから、見落としがちですが「世界のコーヒー WORLD COFFEE」も最高です。一向に情報が増えていかない感じ。大事なことは全部二回ずついう必要がありますよね。

つづいて、こちらも京都にて。

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まずネーミングがすごい。「ファンタスティックパブ」の時点で全く消化できない単語が飛び込んできたと思ったら、休む間もなく「アトランティス」の文字が。「意味の助長」の括りにするか迷ったのですが、まあ解釈は自由なので、ここでは「なるほど、この人にとっての"アトランティス"とはこういうことなのか、、、」と誤読してみるのもいいでしょう。個人的にお気に入りは「ン」の文字です。安定感がすごい。

視点③ 意味を裏切る文字

こちらはわりと新しい表現手法になるのかもしれません。意味と明らかに方向性が違うカタチ、あるいは意味とカタチのつながりが全く理解できないことから生まれる違和感を使って「笑い」や「恐怖」へと昇華させるもの。

近年話題になった、「5000兆円欲しい!」なんかがその例です。

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引用:pixiv

「5000兆円欲しい!」に「パチンコ文字」。強烈な印象=「カタチ」で見るものを引きつけ、「意味」の空虚さに拍子抜けする感じ。「叶うことのない願望」と、「ゆるぎない意志」を感じさせる造形とのギャップがおもしろポイントです。
程度の差こそあれ、先ほどの「ファンタスティックパブ・アトランティス」にも同じものを感じます。

また、こちらはちょっぴり「怖い」文字。山形駅前にて。

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下手なゴシックで書かれているから凄みがある。日常に突如として現れた違和感。宮城の丸森町が拠点らしく、東北にはこの手の看板が多いです。「人」はポップ体に近いフォルムをしています。ゴシック=フランクの印象を持っているからなのか、この「聖書」シリーズの看板はそのギャップから狂気を感じます。

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引用:withnews

ちなみに引用元の記事によると、このゴシック体看板は廃版らしく、今後は「昭和楷書」のものに切り替えていくようです。理由については「ゴシック体はぶっきらぼうな感じがする」とのこと。

昭和の看板に対して「裏切る」表現だと感じるのは、世代のズレのせいかもしれません。看板がちゃんと機能していた当初、人々はそれをみてどう感じていたのか。とても気になるところですが、僕からみてそれは"ズレ"であって、「面白い」とか「怖い」とか、感じさせるものになっています。

それを応用した表現を、過去にいくつかやったことがあります。たとえばこちら。

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読めましたか?読めなくても困りませんが。
「意味」と「カタチ」の連関をあえて外した表現です。

つづいてこちら。

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以前「ないタバコ」の名目で、架空のタバコパッケージを制作していたときのものです。ここでは「意味」の方を文字化けによって無意味化し、それでも字面だけが正常であるような、「意味の異常」と「カタチの正常」でギャップを作ったものになります。

さいごに

以上で文字の解説はおしまいです。僕は結構楽しかったですが、みなさんどうでしょう? 今後街歩きをする際、文字の「カタチ」に注目して新しい発見をしていくきっかけになれば幸いです!

最後に、この記事を通して皆さんにお願いしたいことがあります!
今後さらに文字について掘り下げていくにあたり、この記事に対する感想、コメント、あるいは助言をしていただけるとめちゃくちゃ嬉しいです!(それなりにアンテナは張ってるつもりですが、この本面白いよ!こんな文字があったよ!この人オススメ!などなどあれば!記事もその都度更新していくつもりです。)
また文字にまつわるちょっとした質問や、題字・ロゴデザインなども承っています!twitterのDMなどでご連絡ください~!

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補足

以下は、先日のトークセッションでの内容を整理し、補足したものになります。

透明な文字としての「フォント」

今回は「文字のカタチを楽しむ」という視点から文字の話を進めましたが、それを意図してつくられた文字もあれば、むしろ「カタチを極力意識させない」ことを目的につくられた文字もあります。何も特別なモノではありません、それは普段私たちが目にしている、テキスト用のフォントです。(そう、今あなたが読んでいるこのテキストのこと。)
書体デザイナーの小林章さんは、優れたフォントとは「その存在を全く意識させないフォント」としています。文章を読んでいるとき、文字のカタチに意識がいくようでは、気が散ってしまい内容に集中できなくなるからです。
「存在を意識させない文字」としてのフォントがあるなら、その対極にあるのが僕が今回ここで扱った「存在感のある文字」としてのレタリングです。
ところで、最近はパソコンによって簡単に良質なフォントが使用できるようになったためか、看板文字やポスターの題字でも既製フォントで組んだもの、あるいはそれをベースとして装飾を加えた表現が増えているように思います。
悪いことではないのですが、だんだん没個性的なものになっている流れにちょっと残念な気持ちになることもあります。もちろんデザイン性の高いフォントもありますが、却ってそういうフォントは題字に選ばれにくい。
個性的で味わい深い表現を見出すための活路として、作字の文化は今一度見直されてもいいのではないか、と思ったりもします。

Domestic Cozyとしての昭和文字

他方、こんな話もありました。「レタリングは、昭和っぽい感じがする。」 たしかにそうです、そして僕自身その感覚がけっこう好きだったりします。今、インスタグラムのような、「シンプルでミニマリズムなデザインとタッチ」に疲れた人々が「ダサいけど、居心地の良いビジュアル」のDomestic cozyと呼ばれるデザインに傾倒しているようです。(記事の共有、ありがとうございました!)

自分の趣味がインスタへのカウンターとして存在していると言われてしまうと跳ねのけたくなる気持ちもあったりしますが(笑)、確かに昨今のシンプルで没個性的なビジュアルへの反発は否めません。ただその上で僕は、両者の折衷案について考える立場でありたいと思っています。
僕がレタリングにハマる少し前、僕は亀倉雄策の「シンプルだけど力強い」グラフィックに憧れていました。自分の専攻は情報工学なので、「シンプルでミニマリズム」なWebサービスの近くに生息しているのですが、Webサービスにおいて彼のような、単にシンプルに留まらない、日本的な美的感覚を受け継いだグラフィックも可能ではないかと思います。文字デザインにもこのような在り方を見出して、今後はWebの分野での模索もしていきたいなと思っています。


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