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おもいでー救世主

遠くへ行きたい。


そう思った。


もう限界だった。

これまでに、いくつの問題と向き合い、いくつの事実を知ったことだろうか。


地理に数学、物理化学、英語と現古漢。


昨日までは必死に食らいついていた問題の数々だが、今となってはもう、まともに向き合う気力すら無かった。





正四面体の辺上を歩くアリがn秒後に全頂点を訪れている確率Rn

知りません。


人は、バスケット選手の数を数えている最中にゴリラが乱入しても気づかないらしい

そうですか。


電場Exが定義される閉区間の面積S、称してSExを求めよ

どうでもいい。どうでもよすぎる





2016年、10月。

夏休みでの努力の反動だろうか。

当時高3だった俺は、受験勉強に完全に嫌気が差し、すべてが投げやりなっていた。

関数の振る舞いを調べるよりも先に、精神状態が極限まで吹き飛んでしまったのだ。


そしてこんな精神状態に追い討ちをかけるのは、毎日の学校生活。



同じ机、同じ椅子に座り、同じ服を着た人間が、同じ方向を向きながら、フンフン頷いて授業を受けている。


勉強なんか全くやる気にならなかった俺にとってその光景は、奇怪を通り越して感動すら覚えた。


俺にはもう、耐えられん。


それでも向き合わないといけない受験とはあまりに酷だ。





遠くへ行きたい。


学校じゃない、どこか遠くへ。

行く宛もなく、どこか遠くへ。

お金もないが、どこか遠くへ。



そう思いつつも、俺はすっかり制服に着替えて駅のホームでいつもの電車を待っていた。


総武線、下り方面行き。

駅のホームは、いつものようにスーツを着た社会人と、制服を着た学生で溢れかえっていた。

このあと俺は、電車に乗る。

学校に行って、授業を受けて、自習をして家に帰る。

そして大学進学に思いを馳せる。



なんだかなァ。




とうとう、昨日まで固執していた価値観に嫌気が差してきた。


学歴がなんだ。勉強ができるからなんだ。

別に今したいのはそんなことじゃないし、こんな思いをしてまで向き合うほどのことでもない。


そう思うと、今しがた頭を過った欲求が再び現れた。


遠くへ行きたい。






いいじゃないか。

もう、完全に開き直っていた。



遠くへ行こう、電車に揺られて、どこまでも。

そして、見ず知らずの駅に降りよう。


でもお金がない。


それなら、

降りた駅でひたすら時間を溶かせばいい。

行った先に何かを求めるわけじゃない、どこか遠くへ行きたいんだ。


じゃあどうやって溶かそうか。





ポケモン

ポケモンを捕まえよう。


カイロスやドードーしか捕まらないこの街を抜け、まだ見ぬポケモンを捕まえよう。

ポケモンというポケモンを掌握し、ポケモントレーナーというヒエラルキーの頂点に君臨しブイブイいわせる。


いいじゃないか。


その意志は、確固たるものになっていた。

気づけば俺は、エスカレーターを降りて、となりのホームへと向かっていた。


もう、後戻りはしない。

世間からどんなにズレたって構わない。

人との交わりを断ってでも、俺はわが道を行くと決めた。


いつもと違う電車。

上り方面の電車に乗ろうと決心した。



電車に乗って、未踏の地に降り立つ。

そして俺は、ポケモンマスターに


なりたいな

ならなくちゃ


絶対なってやる



しかし、いかんせん上り方面とは人が多い。

会社に行く者、学校に向かう者がごった返す。

こうして見ると、何かに縛られながら生きる人間とは実に哀れだ。


皆一様にネクタイで首を締め、時間に縛られて忙しなくしている。


そんな人間との交わりはもう絶とうと決めたのだ。

人気のない方へ向かって、ホームをドスドス歩いた。


冷静沈着、威風堂々。

迷いなんぞどこにもない。


三鷹行き、総武線各駅停車の電車。


扉が開いた。

赫赫たる態度で車内に乗り込む俺。




すると車内にはただならぬ空気が流れた。

人々は、俺に目をやっては驚愕し、恐れおののく。


それもそのはずだ。


このとき俺から放たれていたオーラといったらただ事ではない。

どう考えても並みの男子高校生ではない。

黒澤明と美輪明宏を紛れもなく足して2で割っている。

そんなオーラ。

もはや誰もこの俺をとめることはできまい。




その時だった。


果敢にも一人の女性が俺の前にやって来た。



40代に差し掛かったとみえる、初老の女。

好戦的な眼差しを俺に向ける。


女、なにをするつもりだ。



まさかこの俺に、正しい人間の道を諭そうとでもいうのか?


無駄だ。俺の意志はもう決して揺るがない。

それに悪いが肉体的にもお前には負ける気がしない。


つまりいかなる手段を使ったところでお前に勝算は無いのだ。



そういったニュアンスの眼差しで、俺は女を睨み返した。

しかし女はひるまない。



いいだろう。


それでも挑むというのなら受けて立とう。

そして二度と社会復帰できないようにさせてやる。

己の無力さを身をもって知るがいい。

挙げ句のはてに焦燥にかられて虎になり、木の回りをぐるぐる駆けずりまわりバターになるがいい。



さあ

かかってきやが

「ここ、女性専用車両なので降りてもらえますか?」









「9時半までは女性専用って書いてありますよね?」



えあ



「降りないなら駅員さん呼びますよ」







はい









扉が閉まった。



10月。冷たい北風が制服をなびかせる。




ああ


なんか


なんか


もう






学校いこ

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