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おもいでーだけど、花火大会は来年もあった

中3の夏、俺はどうしても花火大会に行きたかった。

自分は特別に花火大会に対する執着が強かったと思う。

というのも毎年この時期は、家族で遠く離れた祖母の家に行っていたので、ほとんど観たことがなかったからだ。


最後にみたのは五歳のとき。母と、1歳になる弟が一緒だった。花火が上がる川は混むからと、会場の近くの公園で。

会場からは少し距離もあったが、それでも花火は大きくて、真っ暗な空が赤や黄色に染まる瞬間、そして消え入る頃に力強く響く音。あの感動が忘れられない。


地元にいられるこの夏。10年ぶりの花火大会だ。

この夏こそは、もっと近くで花火をみたい。

川でみる花火をこの目に焼き付けたい。


しかしその日は、いけない可能性が出てきてしまった。

なんと夏期講習と被っていたのだ。

内容は「これで完璧!古典文法マスター」

パンフレットによれば、この授業をうけると古典に対するわだかまりが取れ、すらすら古典ができるようになるらしい


ふざけんな

なんでおまえそんなもんと被せてくるんだ

おまえ明らかにウェイトがちがうだろふざけ

こちとら積年の思いでやってきてんだふふふざけんなばか

古典の鬼になることより圧倒的に大事わかるだろはげ

ここここんな

狂ってる


これはなんとしてでも夏期講習を休むしかない。

しかしすっぽかすとあとで面倒だ、ここは正直にいって交渉するしかないのだ。先が思いやられる...


だが幸いにもこの授業、”あの”岡田先生の授業だった。

岡田先生は、いつも生徒の気持ちに寄り添い、正しい教えを諭してくれる神のような存在

普段はへらへらしているが授業や話がうまく、生徒に人気の先生だった。

塾での目的は成績をあげることで、授業を受けることは手段でしか無いと理解している、数少ない先生の一人だ。

「四の五のいわず塾にこい」なんて言う輩とは訳が違う。


そんな先生なら、正直に話せば休んでもいいと言ってくれる、そう思った。

だが先生の反応は、あまりにも意外だった。


「ダメだ」

「えっ」

先生はいつになく真剣な顔をしていた。

「花火大会で一日無駄にするなんて、先生として認められるわけないだろ?」

「でも...一日だけじゃないですか」

「カナタ、花火大会は来年もある。だけど受験生の夏は、今年一度きりなんだよ。そこをもう一度よく考えたほうがいい」


「一日くらい、思いっきり楽しんでこいよ!」の一言を期待していた俺は、それをにわかに聞き入れることができなかった。

来年って...

14歳にとって一年とは、とてつもなく長い。


こんなことになるなら、打ち明けなければよかった。

頭痛腹痛生理痛、ありとあらゆる痛みを盾に休めばよかった。

だがもう遅い。

今更そんな事を言って当日休んだところで、イブクイック片手に花火大会に行ったと思われるに違いない


一日くらい、変わらないじゃんか...


しかし俺には自信が無かった。
まだ見ぬ受験を前に、自分の選択が正しいといえる、確固たる自信が。だからその「一日」がどれほど命取りなのか、知る由もない。


対するは、過去数多の受験生を見てきた岡田先生

そんな岡田先生が、「花火大会はいくな」と頑なに主張している。

いつも寛大な岡田先生が、眉間にシワを寄せて言っている。こんなマジな顔を今までに見たことがない。

なにか特別な意味があるのかもしれない。


花火大会と高校受験ーーこの2つにどんな関係が?


いや、岡田先生がいうからにはきっとあるんだ。

受験界にはこういう指標があるのだ。

「花火大会にいく人間はおちる、行かない人間はうかる」

つまり花火大会とは夏の魔物、受験生に仕掛けられたハニートラップ

花火大会に行った人間と行かなかった人間、合否と照らし合わせると極端な分布になっている。そうにちがいない

注: 極端な分布


なるほどそういうことか。

わかったよ先生。先生がきっと正しい。

おれは危うく間違いを犯すところだった。そうだね、花火大会は来年もある。でも、受験生の夏は今年きり。わかったよ、ぼくがんばる!



そして迎えた花火大会当日。

いつも以上の人で賑わう駅前。そんな中塾にいた俺は蛍光灯のもと、しかし後悔する思いでいた。

やっぱり行けばよかった。

だけど今年はやる。やってやる、そう決めたんだ。あのときの岡田先生の顔はマジだった。あれを信じて俺はここに来たんだ。

もう花火大会のことは忘れよう、今日は花火大会なんてない、あそこはいつもどおりただの河川敷だ、そうだと言い聞かせた。

涙が出そうになるのを必死にこらえながら、先生を待った。

するとそんな自分とは反対に、岡田先生はいつもどおりへらへらしながら教室に入ってきた。


「はーい皆さんこんにちは!ところで今日はそこの花火大会なんだってね!」


花火大会、という言葉をきいて一瞬びくっとなったが、気にしないようにしていた。


「いやーそれでもここにきているみんなは本当にえらい!」


当たり前だ、花火大会という目先のことよりも受験に向けて勉強する、そうすべきだと教えたのは岡田先生、あなただ、さあはやく古典の鬼に

「これね、先生だったら今日絶対すっぽかして花火大会行ってた!」




なんだと




「間違いないね!じゃあ授業を始めていきたいと思います!」


おれが


「一番、ぜんあくは見所は少なくともー」


今この瞬間まで信じていた人間が


「二番、つれづれなるー」


あれだけ強く言っていた人間が


「三番、たけとりのー」


先生だったら行っていた?


「四番、いとうつくしうてー」


笑えない。

過去最高で笑えない。

おれが、今日この日、どれだけの思いで塾に来たと思っているんだ。

花火大会を一緒に見に行こうと誘ってくれた友達も顧みずここにきた。

十年ぶりの花火大会を捨ててここに来た。

すべては一人の人間を信じて。


そのにんげんが


なにを


「はい、じゃあここで、今日来てくれたみんな、花火大会もいかずに頑張ったみんなには特別に!先生からささやかながらプレゼントが!あります!」

「今日やった文章の頭文字に注目してください、これをぜんぶつなぎ合わせると...」






「絶対合格!イエ~イ!」

しね




ーー

もう、何も信じられない。


結局古典マスターにはなれなかったし

第一志望の高校は落ちた


俺はもうこの日から、誰かを信頼しそこに依存することをやめた。

大学受験の際は塾にも行かなかった。もう完全に一人でやる、そう決めた。


すると第一志望の大学は落ちた


もうこの世の中、何が正しいのかなんてわからない。

だけど、花火大会は来年もあった。

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