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夫に媚びるのをやめた

夫に媚びるのをやめた

好きでいてもらいたいとか

可愛く思われたいとか

大切にされたいとか

そんな気持ちが

いつもどこかにあった気がするけど

何かそんな自分から卒業したくなった。


世間でも

「いつまでも女心を忘れない」とか

「夫とずっと恋人同士でいるためには」とか

「女を捨てない」とか

あちらこちらで言われてて。

それがさも正しくて

良いことのような印象すら与えられて

周りもそれをうらやましい!と崇めたりして。

知らず知らずのうちに

女であることを要求されてるけど

そういうの、どうでも良くなってきた。 

というか

何か違うかなって思うようになってきた。

何で他人のために

「女であること」を「わかりやすく」

示せていなくちゃならんのだ?

何で異性として大切にされるために

気を遣わなくちゃならんのだ?

生まれた時に女として分類され

確かに女を背負って(背負わされて)

ここまで生きてきたけど

でも、別に私の意識まで

そこに囚われらる必要なんてない。

「女」という既成のフォーマットにのって

相手の好意をどうこうしようというのは

結局、私というより、

これまでの文化の中でつくられた

「男」「女」を巡ってすりこまれた

わかりやすいセンサーを疑うことなく

そこでやりとりしようとしてただけなんだ。

だから社会的な「女らしさ」に

すがりたくなる。

もちろん夫はそんなこと

考えてもないだろうけど。


これからはもっと素直にまっすぐに

私として接してみようと思う。

女を捨てるとか捨てないとか

そういう既成の「女」で測るのではなくて

そこに寄りかからずに

もっと自由に感じて

自分を出して

生きていきたいと思うようになった。

そして、その結果としての私を

受け入れるか受け入れないか

どんな感情で受け止めるかは

もう相手の問題。

何なら、彼の異性の概念を壊してやりたいとすら思う。

というより、更新したい。

異性をめぐる新しいセンサーが

夫にも発見されたらいい。

少しずつ築きあげていってもらいたい。


「女」とか「妻」のイメージに媚びないで

夫に媚びないで

もっと自分を素直に感じて生きてみよう。

それが女かどうかは、周りが判断することで。

どう判断されたって、私は私だ。

そう思えるようになった。33才。




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