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「できる」ための「答え」は 1つではない

ピラティスのエクササイズ、ヨガのポーズ、バレエのパ…

理想の形があるとつい

「できる」
「できない」

の両極端のどちらかでしか捉えられなくなってしまうことがあります。

狭まりがちな思考


また、できるようになるためには

「努力しているか」
「努力していないか」

の二つ。

努力の方向も

「合っているか」
「合っていないか」

の二つ。

その動きにはある特定の筋肉が

「使えているか」
「使えていないか」

やっぱり狭い範囲で二つ。


しかし実際は…

まだ「できない」けれど、

できる方向に向かっている


ものすごく努力しているわけではないけれど

いつかできるだろうとゆるゆると続けている


合っているかわからないので

試行錯誤中


特定の筋肉を使おうとしたら、

思いもよらない別の筋肉を使っているのが感じられた

などなど。

二択しかない!と思ったことの間には大きなグレーのゾーンがあるのではないでしょうか。

探してほしいのは「答え」ではなく


「できる」だけが目標になってしまうと、一刻も早くそこに辿り着きたいがために、他の人の成功例を自分にあてはめたくなります。

とにかくたった 1つの「答え」がほしくなる。

が、身体は1人1人違うので、ある人が成功したやり方をそのまま当てはめてもしっくりこないことも。

しっくりこないことに気付ければまだよいですが、焦りがあるときにはなかなかそのことにも気付かない。

それが原因で不調を招いたり、怪我などしてしまっては本末転倒です。

トレーナーの仕事をしていると、「できる」ようになるために「正しく使えている」「正しく使えていない」は見た目や動きである程度わかるのでアドバイスすることはできます。

が、「アドバイス」であって、「答え」ではない

なぜならその人の身体のことは外から見えるだけだから。

内側がどうなのか、その人がどう感じたか、は当たり前ですがトレーナーにはわからないのです。

トレーナーが正しいと思う方向に修正しても、当のご本人に「あ!この方がいい!!」という「納得感」がなければ再現することが難しい。

一方その「納得感」があれば、再現もしやすくなるし、努力の方向性も決まるし、他の動きへの応用もスムーズになります。

他人と比べることのできない自分の感覚。

ちょっと乱暴に言えば、自分で「こういうことだ!」と思いさえすれば、それが「納得感」であり、「答え」です。

いつも疑り深くいるより、ポジティブに「これいいかも!」と思える方が「納得感」は得やすいでしょう。

そして、納得したと思ったのにやっぱり何か違うぞと思ったら、また新しい「納得感」を探せばよいのです。

つまり、「答え」も 1つではない。

身体の動きは、トレーナー、インストラクターと名が付く人でも、例えば数学の問題の答えのように「はい、これが正解です。」とはっきり明確な答えをお渡しすることができません。

本人が「納得感」を得るためのヒントをお渡しできるだけです。

「できる」ようになるための努力は、この動きを何回やったから、何時間練習したから、といったような回数や時間で効果を約束できるものではありません

ヒントを元に、あっという間にたどり着けることもあれば時間がかかることもある。

「できる」までの間に大きなグレーのゾーンがあることを認識しておく。

自分が納得するためにはいろいろ試して、自分に聞いてみるほかありません。


たとえ今、目標とする動きができなくても。

「できる」に至るまでのグレーゾーンを進む過程を楽しむぐらいの気持ちでいたほうが、明確な答えを求めて迷走するより結局は早くたどり着けるのではないでしょうか。

「できた」「できていない」を決めるのも結局は自分。

身体を動かすことが「苦」になってしまってはもったいない。

「できる」だけにこだわらず、様々なヒントをうまく活用して、ほんの少しの変化、進歩を見逃さないように、自分の身体を大事に扱っていただきたいなと思います。

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