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【短編】茨のドレス

 なめらかなトルソーに着飾られた芳しいドレス。上半身には真っ白な幼いばらを、スカートの部分にはそれぞれ濃さのちがう赤いばらをあしらっている、僕の自信作だ。着るときにとげが刺さって痛いんじゃないかと、野暮な記者に訊かれたけど、そんなの当然、取っているにきまっているじゃないか……スカートの部分以外は。
革手袋をして、僕はすりつぶしたトリカブトの根をすくった。スカートの内側にあるばらのとげに、丁寧に塗ってゆく。昔つき合っていた女の顔が頭をよぎり、生白い身体が浮かんだ。ロータスの果実のような女だった。おかげで別れてから、ひとりの生活をとりもどすまでに、ひどく時間がかかってしまった。いや、いまも僕は彼女にとらわれて生きている。スカートの茨のなかに彼女の骨ばった皮ふを、かすかなばらの匂いのなかに彼女の吐きだす煙草のけむりを求めている。でも、もう止めだ。あの女はもうすぐ、殺されてしまうんだから。
突然インターホンが鳴り、僕は我にかえった。こんな時間にと思い、手袋をはずして扉をあける。
「あ、久しぶり」
件の彼女だ。面食らった。別れてから会うのは初めてだった。
「明日のコレクション、あなたのドレスも出るみたいね。どう、元気だった?」
「まあ……。あ、それより、なかに入りなよ。立ち話もなんだからさ」
「いえ、いいの。あのときのこと謝ろうと思って来ただけだから」
あのときのこと、と彼女が言ったとき、僕はそっと自分の左頬をさわった。彼女に殴られたときの痛みがよみがえってきそうだった。
「私、あなたのこと、よく分かっていなかったみたい。あなたの美学のこと。でもね、今ならちょっと、分かる気がするの。ほんとうよ。洋服の美しさを引き出すのが私たちモデルの仕事だから、それを否定されてしまったような気がして、あのときはつい、ああなってしまっただけ。ほんとうにごめんなさい」
「僕も悪かったよ。カッとなって、つい言ってしまった。ごめん」
気まずい沈黙がながれた。彼女はそれを打ち消すように「じゃあ」と手を振った。美しい微笑みだった。
宙ぶらりんな思いをかかえたまま、僕はアトリエにもどった。勘のいい女だ。今さら謝られたって僕の決心はゆるがない……はずだ。彼女が僕の仕立てたドレスを着て、ランウェイの真ん中で死ぬ。それさえ見られれば満足だ。でも、僕はまたどうしようもなく、あの女とよりを戻したいと思ってしまっている……。
明かりを消して、早く眠ることにした。薄らと霧がかった夢のなかで、彼女はばらの香りと花びらをふりまきながら舞台を歩いている。その白い脚が、ひっそりと傷だらけになっているのを、これから彼女が苦しみだすのを、僕だけが知っている。煌々とたかれた明かりのもとで、彼女はふらつきはじめて、そのまま、そのドレスを着たまま、どっと倒れてしまう。調光室でそれを眺めている、僕は頷くんだ。トルソーに着飾った洋服よりも美しいって。そう、だからこれは復讐であるはずがない。美学だ。彼女なら、僕の美学のために死んでくれるだろう。
動悸がして、うまく眠れなかった。冷蔵庫から紙パックの牛乳を取り出して、一気にあおる。窓ぎわから暗闇が押し寄せてくるのを見ないようにして、すべて飲みほした。紙パックをつぶして捨てる。ごみ箱のなかで、ドレスにもなれず、毒にすら選ばれなかったトリカブトの花がぼんやりと光っていた。

「洋服の美しさは、誰かに着られてしまえば、おしまいなんだ」

※この物語はTwitter企画 #トルソーに花 に寄稿したものです。

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