見出し画像

【短編】先生、お元気ですか。

 先生のところで修行してから、もう五年が経つのですね。早いものです。わたしのほうは相変わらず、ですが、先生はいかがお過ごしでしょうか。そういえば、ここ最近、気がついたことがありまして。人形たちの脈って、それぞれ違った音をしているのですね。いえ、先生に教わったのですから、分かっていたことですけど。以前よりもいっそう、くっきりと聞こえるような気がします。わたしの耳が効いてきたという証なのでしょうか。
 さて、こうして筆をとったのは、わたしの患者を学会に取りあげてほしいからなのです。この症例は今までになくやっかいで、これといった治療法は確立されていません。でも多くのひとの救いになれたらと思います。本当はわたしが赴いて、発表しなくてはならないのですが、訳あってそちらにはもう行けないのです。
 その日も風に呼ばれて、いつものように患者のお家を訪ねました。こじんまりとした寝室に、青年と、女のかたちをしたビスクドールが横たわっていました。わたしは青年にあいさつをしてさっそく、ドールの脈を診ました。ですが、異常は見つかりません。違うよ、と青年はかすれた声で言いました。ぼくが呼んだんだ。君を呼んだのは、ぼくなんだ。わたしは冷やかされているのだと思って、すぐに立ち去ろうとしました。しかし、彼はわたしの足もとにすがりついて離れようとはしませんでした。人形になって、彼女と添い遂げたいんだ。彼の眼は真剣でした。だから人形のお医者さん、ぼくを人形に治してくれないか。わたしは渋々、彼の脈をみました。湿っぽい拍動にまじって、かすかに蝶番のきしむ音がまじっていました。ギィ、ギィと不規則に、まるで荒んだ屋敷を思わせるようでした。わたしはしばらく悩んで、彼に銀の指輪を嵌めることにしました。先生もご存知のとおり、これは人形に入りこんでしまった人間の魂を逃すための治療法です。人間にほどこしても、きっと同じことが起こるのではないかと、安直な考えで行ったのですが……思いのほかそれがうまくいってしまいました。
 次の週にふたたび彼を訪ねました。前に見たときよりも、白い肌がいっそう白くなっていて、骨のように堅くなっていました。脈のなかにたたずんでいる屋敷は、少しずつもとの姿をとりもどしているようでした。割れていた硝子窓は元の通りに、枯れた草花はもえぎとなり、屍肉をついばむカラスたちは……先生。とたんに低い声が響きました。わたしは聴診器をはずして向き合います。はい、どうしました。ぼくはきちんと人形になれますか。ええ、なれますよ、きっと。わたしがそう言うと、青年はふっと顔を逸らして、静かに泣きました。人形になるのに水分は必要ありませんから。なみだはほどなくして水晶へと変わります。ひとつ、またひとつと、敷布のよれたところに転がってゆきました。
 次第に彼のからだは動かなりました。まばたきをする度にかちりかちりと音が鳴って、唇からもれる吐息もか細くなってゆきます。屋敷はとりまく空気すら美しくなり、庭さきにヒースの花が咲きみだれるようになりました。その頃になると、わたしは診察の大半を屋敷で過ごすようになりました。台所でパイを焼いたり、遊戯室のピアノを弾いたり、気まぐれにお手紙を書いたり。そしてわたしの隣には、いつも彼がいました。わたしが眼を合わせるたびに、柔らかく微笑みかけてくれるのです……聴診器を外すと、丸一日経っているということがしょっちゅうあります。でも足りないくらいです。わたしは永遠に、あの屋敷にとらわれていたいと思うようになりました。朽ちてしまうまで、いいえ、朽ちてしまっても、棲みつづけていたいのです。彼と。彼がほかのひとを愛していようが、わたしは彼と、あの屋敷で暮らしてゆきます。まだ、ふたりで果たしていないことがたくさんあるのですから……もしかしたら、先生はこうお考えですか。屋敷で会っている彼は本物ではないと。確かにそうかもしれません。実際の彼は、わたしに向かって笑いかけませんから。だからまぼろしかもしれませんね。もしくはわたしの願望。彼のものになりたいというわたしの、まあどちらでもいいのですが。
 これではただの告白文ですので、彼の治療法に関しては別紙でまとめることとします。ほとんど銀の指輪で完治してしまいましたが、ほかにもこの治療に役立ったものを載せますので、眼を通していただけますと幸いです。では先生、お元気で。わたしはこれから彼の胸に身をゆだねて、そのまま、まぶたを閉じてしまおうと思います。

追伸
もし書類に不明瞭な点などありましたら、
△△△ー△△△ー△△△
にお電話ください。屋敷の番号ですから、いつでも出られると思います。

敬意を込めて カミーユより

※この物語はTwitter企画 #おみみのおはなし に寄稿したものです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?