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【短編】まよなかデパート

 狭いひとり用の寝台のなかで、ふたりの鼓動が響きあっている。おぼつかない指先どうし、私たちはそれぞれの輪郭に触れあっていた。まだ裸になっていないのに、彼の身体は冷たい。冷たくて、しっとりとしている。冬のはりつめた空気みたいだ。
「新しいのにしようかな」
 窓から射す月のひかりを見て、私はつぶやいた。
「なにを」
「カーテンを。一緒に暮らしていくならさ、もっと新しくて特別なものが欲しいでしょ。ふたりだけのお揃いの食器とか、あとは私たちをずっと照らしてくれる明かりも」
 彼は少し戸惑っていたけれど「なら、今から行こうか」とはにかんで言った。
「えっ、こんな時間に」
「こんな時間だから開いているデパートがあるんだ。ちょっと眼をとじてみて」
 不意に寝台が軋む。私のまぶたに、汗ばんだ指がふれて、そっと降ろされる。薄くかすれた吐息がしてほどなく「いいよ」とためらいがちな声が聞こえた。
 まぶたを開いた瞬間、息もつけないほどの冷たい風にあおられた。星たちが幾筋もの線になって落ちてくる。私たちが、この寝台が、夜空を飛んでいるんだ。もうすでに私の部屋は、街のあかりにまぎれて見えなくなっていた。

 デパートの駐車場に寝台をおいて、店内にはいる。カーテン売り場は、めまいがするほどの色鮮やかな布たちで溢れていた。天井も壁も床もカーテンだらけだ。途方もなくおおきいパッチワークのようだった。とりわけ目立っていたのは、銀河がプリントされたもので、星屑の尾っぽが少しずつ動いているのだった。
「そちらはただの布ではございません。スクリーンになっているのです。自社開発の衛星を宇宙へ飛ばして、ずっと撮影し続けているのです。これはみなさんのよく知っているアンドロメダの銀河ですが、ほかにもたくさんありますよ。まだ知られていない、生まれたばかりの銀河もね」
 店員はくつくつと笑った。迷いに迷って、私はいちばんなじみのある銀河を手に取った。私は、彼の手を、とった。踵を返して売り場をあとにする。素敵な品物ばかりなのに、まったく心がゆれ動かなかった。
「どうしたの、急に」
 彼は首をかしげた。私は振り返りながら答える。
「……私たちの特別にふさわしくないと思ったの」

 次にむかった食器売り場は、どれもこれも丁寧に磨かれていて、まるで宝石店のようだった。なにかをよそって食べるのがもったいないほど、美しい模様が描かれている。私はグラスをひとつ手に取ってみた。すかさず店員がちらりと顔をのぞかせ、にやりと笑った。
「お客様、お目が高い。そちらはイロツキガラスの卵を水平にカットして、グラスにしたものなのです。もうこの鳥は幻になってしまいましてね、現品限りなのですが……」
 私はじっとグラスを見つめて思案した。底でひかりが踊っている。グラスをゆらしてみると、私の心もゆれて、急に懐かしい気分がこみあげてきた。つかの間、ひょいっとグラスを取りあげられる。
「もし、ご予算の都合がおありでしたら、向こうにある火食鳥の卵からつくったグラスなんていかがでしょう。幻の卵に負けず劣らず、こちらもよい細工をしていると思うのですが……」
 店員の声はうわずっていた。迷いに迷って、私はいちばんなじみのある器を手に取った。私は、彼の手を、とった。あざやかな売り場をぬけるときも、彼は困惑したまま「どうしたの、急に」と言った。だから私は、またおなじように答えた。
「……私たちの特別にふさわしくないと思ったの」

 電球売り場は、世界中のひかりをすべて集めてきたかのように輝いている。眼が慣れるまで時間がかかった。ひととひとの姿がときどきぼやけては、ふっと煙のようにたちのぼる。電球たちはすべて天井からぶら下がっていて、お客さんたちはぽっかりと口を開けながら、明かりをみあげていた。
「これはオーロラを集めてつくった光です。凍えた空気も閉じ込めています。ときおりひりひりっと鳴るのはそのせいですな。ま、品質には問題ありませんので。そのほかにも、星がつまった電球や、万華鏡をつかった電球、それと青いのは、夏の夜光虫をあつめた電球です。さあ、お気に召したものがありましたら、お手にとってご覧ください」
 残像までもが色とりどりに舞っているなか、私はいちばんなじみのあるひかりを手に取った。私は、彼の手を、とった。もう彼はなにも言わなかった。

 そろそろ帰ろうかというときになって、彼がふいに立ち止まった。花の売り場をじっと見て「カトレアが売っているよ」と指さした。
「あれが欲しいの」
「……うん」
「分かった。買ってくるよ。今日はあなたにとって大切な……日、だものね」
 そう言いながら、私はその大切な日というのが、なにか分からなかった。思い出してはいけないような気がしていた。かすみ草をたっぷりあしらったカトレアの花束を、彼の手に渡す。骨ばっているけれど柔らかな指先、私のよく知っている指先だ。
「じゃあ、帰ろうか、君の部屋へ」
 私はうなずいて、寝台に乗った。シーツがはためいて、まっすぐに空めがけてのぼってゆく。
「あのさ、このお出かけが終わったら、もういちど僕に、この花束をくれないかな」
 すぐそばにいるのに彼の声が遠くに聞こえる。私は胸騒ぎがして、強く首を振った。
「くれるもなにも、それはずっとあなたのものよ。眼がさめても、ずっとあなたの隣にあるのよ」
「でも僕は、もう君の隣にはいないから」
 彼は哀しそうに笑った。その弱った笑顔をかき消してしまうほどの朝日が、まっすぐに貫いてゆく。私たちの身体は、あぶくのように溶けた。「さようなら」と唇だけで言いながらシーツの波に溺れて、眼がさめると私は泣いていた。なみだを拭って起きあがる。ふっと甘い匂いがたちのぼった。昨日買ったカトレアの花束だ。今日は彼の命日だった。
 褪せたカーテンをひらき、色気のない茶碗で朝食をとった。洗面台の電球がひりひりいって切れかかっている。私は携帯のメモ機能に「電球」と打った。買い忘れなきゃいいんだけど、と祈りながら。
 花束をもって、ドアを開ける。冷たい風が勢いよく吹きつけた。かすかに冬の匂いがして、あれ、と思った。どこかで感じた体温だなと、一瞬、思って、いや、体温はおかしいでしょと、ひとりで笑った。

※この物語はTwitter企画 #眠れない夜のソルベ に寄稿したものです。

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