そこにいないという美しさ

笹原玉子さんの「偶然、この官能的な」という歌集を読んだ。

※この記事で取りあげた短歌はすべて、上記の書籍から引用しています。

柔らかな言葉遣いで、そのうえリズミカルなものが多い。口に出して読むと余韻が残る。短“歌”なのだから、本来はそうあるべきなんだよな、と思いつつ、このリズミカルさは、あまりないかもしれないな、とも思う。

ゆめみどり蝶の古名がひらひらとみどりのゆめかゆめのみどりか

どっちつかずの浮遊感というか、蝶の羽ばたきかたそのものが、言葉にも音にもあらわされている感じがして、この一首はとても好きだ。ゆめみどりを漢字であらわすと夢見鳥となるのだが(これが蝶の異名だというのを初めて知った)、漢字表記ではこの不安定な揺らめき具合を出せなかったろうと思う。

この石は瑪瑙といひます瑪瑙とふ奇(あや)しき文字のためにえらばれ

こちらは漢字でなければ歌の良さが引き立たない。「瑪瑙」の漢字の複雑さが、実際の瑪瑙の石模様と結びつくようだ。これは「めのう」でも「メノウ」でも駄目。「瑪瑙」という文字自体が持つ、形や線でなければ成り立たない。心なしか、リズムも硬質な感じがする。

揺らめきは、答えをいつまでも出さずにいるという態度。いるかもしれないし、いないかもしれない。あるかもしれないし、ないかもしれない。その曖昧さに美しさを見出すこともある。そして揺らめきは、必ずしも、ふらふらとした調子で来るとは限らない。

礼装の手袋をして森へゆく流弾にあたるかもしれない日

初めて読んだとき、どきっとしてしまった。「礼装」というのは、もしかしたら主体は誰かの葬儀に出席するのかも、という想像が働く。「流弾にあたるかもしれない日」という下の句が、よりいっそう死の匂いを発している。どこからくるか、いつくるのか分からず、それでいて奪うときは一瞬。刹那的な美しさが内包されている歌だ。

あなたがぼくを生まなかつたこの町でうすきみどりの沓にはきかへ

不在の表しかたが多岐にわたるのは、文学の特徴かもしれず、揺らめきよりも潔い美しさがある。「ぼく」のいない町とうすきみどりの沓のあいだには、なにも因果関係がなかったけれど「ぼく」を通じて結びついてしまった。出会うはずのないもの同士が出会ってしまった一種、運命的なものを感じるが、「生まなかつた」という言葉によって、今ここにいるということより、以前はここにいなかったというほうに意識が引っ張られる。存在しているにも関わらず、不在の名残が感じられ、「うすきみどりの沓」も実体としてあるのに、なんだか儚く思えてくる。

あまり文語の短歌に触れたことがなかったので、いろいろと調べながら読み進めた。純粋にたくさんの言葉を知ることができて良かった。文語で短歌を書けたら格好良いだろうなあと思うけど……難しい。しばらくは口語でやろうかな。

最後に好きな歌を一首引いて終わりにする。

風は風の似姿をつぎつぎに生みランボーの蹠さへももはやわからず

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