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30歳を境に変わり始めたこと#1

#1では、『2019年~2020年にかけて、自身だけでなく、自身をとりまく環境も含め、今までに経験したことのない、大きな変化』の前段階を書いてみます。


1.入社するまでの出来事

私はとあるメーカーに技術系社員として入社しました。高校生の頃に志した「ロケットや人工衛星、航空機の製造に関わる技術者になりたい!」という熱い思いを胸に、大学・大学院時代を過ごし、めでたく、希望する会社に入社できました。

当時振り返ると、絶対にブレない目標があり、目標達成のために何をしたらよいか?を常に考えて行動できていました。この感覚をもう一度取り戻したいです。

例えば、以下のような取り組みをしていました。
自分ながら、振り返ると引いてしまうほどの勢いです・・・

  • 国際航空宇宙展や航空祭、はやぶさプロジェクト関係者の講演会、宇宙飛行士の講演会などが大学近辺で開催されれば迷わず出席

  • そういった情報をキャッチするための情報収集を無意識のうちに継続

  • 暇があれば大学の図書館で航空力学、流体力学の発展版(希薄気体力学、電離気体力学など。これらはちんぷんかんぷんでしたが・・・)、材料科学(耐熱材料、複合材料、傾斜機能材料など。それらの加工特性など)の専門書を読みあさった

  • 就活前には、航空宇宙産業関連企業Tier1、Tier2をほぼ調べあげ、一覧表にまとめるほど

  • 4年生~大学院2年間での研究テーマも、航空宇宙産業に直結するテーマを選択(某航空宇宙系Tier1企業との共同研究テーマがあることを事前に調べあげ、「どうしてもやりたい!」と指導教官にずうずうしくも迫った・・・)

  • 指導教官、指導員(博士後期課程の先輩)とウマが合わず、結果がでなかった学部4年と大学院1年生のとき。指導教官から指示された実験をせず、「明日までにこの条件で2回分のデータを取ってこい!(とても1日では完了できない量)」と言われ、「こんな自分では希望する会社に入れない!」と自身を奮い立たせ、徹夜して実験し、翌日研究室の床で寝ているところを指導員に発見される(今思えば何度か徹夜しており、無計画さにもほどがありました)

  • 遠路はるばる東京まで出向き、「宇宙就活」に参加

ここまでできたのは、本当にブレない志があったから、あとは、無知というか、がむしゃらというか、青臭かったのだと思います。

また、私は、

  • 1つのことが気になりだすと他のことが手につかなくなる

  • 1人で黙々と作業するのが好き

  • これだと思ったら突っ走る

  • 全体を俯瞰して把握するのではなく、いきなり細部に入ってしまいがち

  • 音や臭い、味、といった五感に敏感

  • 冗談が通じにくい、真に受けてしまう(さすがに「隠れる穴があれば入りたい!」と言われて、本気で穴を探してあげる、まではないです)

といった特性があります。ASDではないですが、ASDグレーゾーンです。うまくハマると、就活のように圧倒的な行動力と成果を上げられるのではと考えています。そうでないと、あっちへフラフラ、こっちへフラフラ、外部から強烈なパンチを食らうと、立て直し不能に陥る、といった欠点があります。

最近は少しずつ改善されてきていると思います。上述した私の特性は、学生時代であっても特に社会性が求められる場(研究室生活やアルバイト)、そして社会人になってから暗い影を落とすことになります。

社会人になり30歳を迎えるまで、『大きな変化』に直面する予兆はあったのですが、「見て見ぬふりをしてきた」または「目標に夢中になり過ぎて眼中になかった」と言えます。

2.燃え尽き症候群 その①

めでたく目標の会社に入ったあと、私はどうなったかというと、燃え尽き症候群のようになりました。「目標の会社に入社すること」が目的になっていたのです。また、社会性が求められる場での立ち振る舞いが苦手で、環境が大きく変わり、戸惑いもありました。

入社前の熱い思いはなく、

  • 「ああ、もうこれで安泰だなあ。食いっぱぐれることはないだろうし」(その予想はコロナ禍で裏切られることに・・・)

  • 「ここまで頑張ってきたし、優良企業に入れたし、プライベートを充実させたい」

  • 「社会人になってやってみたかったマッチングアプリで彼女を作りたい。今まで彼女できなかったし・・・そして自分の好みのお嫁さんをゲットするぞ!弊社は20代で結婚する人がほとんどだから、波に乗り遅れないようにしないと・・・」

といった思いが出てきました。恥ずかしながら、30歳前までの4年間は、休日はマッチングアプリでの出会いに勤しむ日々でした。おかげで結婚することができ、マッチングアプリのノウハウを他人に教えるまでできるようになりました。

貴重な20代後半を遊んで過ごし、ビジネス的な成長の機会を逃す、という結果になりました。実際、入社した同期とは大きな差をつけられてしまいました。研修での学びはほぼゼロ。工場見学や出張にもただ行くだけ。悲惨なものです。

今振り返ると、休日はほぼ遊んで過ごせるほど余裕があり(悪い意味での)、危機意識がなかったのだと思います。

以下、最近の学びです。
『人は必要に迫られないと動かない。無理矢理動かそうとしても思うように動かないし、期待する成果も出ない』

正直申し上げると、最初の4年間の業務は「技術職の仕事」とは程遠く、機械的な書類作業がほとんどでした。技術的な視点で考えて仕事をする機会がほぼありませんでした。

だからと言って、それに流されるのではなく、優秀な同期は「これがあるべき姿ではない」と認識しており、現在は「あるべき姿」を実現するために奮闘しています。

3.燃え尽き症候群 その②

燃え尽き症候群を別の視点で見てみます。就活で受験した企業はどれも東証一部上場、誰もが一度は聞いたことがある会社でした。その中から航空宇宙産業に関われるものを洗い出していたのかもしれません。

なぜそういった、世間一般に優良を言われる企業ばかり受けたのか?それは育てられた環境にあると思います。実家の祖父母、母親は自衛隊、市役所、大手メーカー事務職でした。考え方はとても保守的と思います。

「リスクを取らず、そういった会社でだいたいで過ごしていれば自然と定年を迎えてがっつり退職金をもらえるから」と言われてきたので、そういうものだと思っていました。

また、婿養子の父親は、私を産む直前に大手自動車メーカーを健康上の都合で退職し、地元の小規模会社の営業職に転職していました。転職により給料はガクッと下がり、サービス残業も増えたそうです。

その出来事について、祖母と母親から、「お父さんは根性なしだ。おかげで生活が苦しくなったのよ。辛いなら社内異動を申請すればいいものをなぜ辞めるのか?女が稼ぐような、雀の涙程度の給料しか稼いでこずに。本当に情けない。あんたはお父さんみたいには絶対になるな!」(※男尊女卑が激しく、ご気分悪くされたら申し訳ありません)と言われてきた影響も強いと思います。

あくまで、私の幸せを思ってそう言ってくれていたのだと思いますが、社会人になり、『大きな変化』を経験することで、「必ずしも母親、祖母が言うことが正しいわけではない」「偏った考え方を聞かされてきた」と認識できるようになりました。

次回は新入社員での出来事。そして、成長できなかった4年間の中でも唯一手応えを感じることができた時期(3年目)、そして横ばい(4年目)の時期について書く予定です。


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