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自閉症の息子のこと-2            2歳~小学校入学前

福祉施設に入園

2歳6ヶ月の頃より福祉施設に通園を開始

目的は一般の保育所へ入る前の慣らし保育

・発語は単語が少し出てくるように
・多動が目立ち始め、とにかくジッとしない
・興味のあるモノが目に留まると、そこへ一直線
・手に持ったモノを急に投げる(怒っていない)
・言葉で感情が伝えられず、軽い自傷行為

明らかに定型発達の幼児とは一線を画す行動が増える

福祉施設のため、職員さんに理解があり
息子の行動には上手く対応いただけました

福祉施設ではさまざまな発達障害を抱える園児・保護者さんと出逢い、
私たちと同じような境遇の家族さんとの交流もありました

お子さんの発達障害の種類や程度はそれぞれ違うので
共通の対応策があるわけではなく、
各家庭で対応策を考えなければいけないと認識しました

4歳を迎える3月まで通園

■療育手帳を取得

福祉施設に通園時の
2007年5月に療育手帳を取得
区分:B2

■保育所に入園

2008年4月より保育所に入園

事前に打ち合わせをさせていただき
保育士さんの加配で対応いただけることに

福祉施設とは違い、定型発達の園児たちと過ごすことになります

・発語は二語文程度
・給食は偏食のため食べない日も
・食べる時はスプーン・フォークを使わずに手掴み
・歯磨きに強い不快感
・服の着脱が困難
・視線が合わない
・お友達が手に持っているものでも取ってしまう
・集団行動ができず園内を逃走

息子のそのような様子が気にならないお友達は
『〇〇くん一緒に遊ぼ!』と
声をかけてくれたりしましたが、
違和感を覚えるお友達は息子に近づかなくなるようにもなりました

園児といえどもそれぞれ成長し
自我も芽生えてくるので当然の反応です

息子も少しずつ成長はするも
障害特有の行動も多くなり
保育士さんの負担も大きかったはずです

お友達に怪我をさせる

何かの拍子に動かした手がお友達の顔に当たってしまい
爪のヒッカキ傷をつけてしまいました

妻がその旨をお迎えの時に保育士さんから聞き
お友達と保護者さんにお詫び
幸いにも大事にはなりませんでしたが
卒園までの2年間に数回同じようなことがありました

その度に妻はお詫びをし
相手に申し訳ないやら・息子が腹立たしいやら・自分が情けないやらと
感情が入り乱れる思いをします

そんな話を帰宅した私に聞かせてくれて
私たち新米夫婦は
子育ての難しさはもちろん
障害児を育てるということに打ちひしがれました

お遊戯会・運動会

正直に言うと
親としては参加したくない行事でした

お遊戯会では息子に役を付けてくれるも
当の本人は舞台に上がることを嫌がり出てこようとしません

保育士さんは息子に成功体験をしてもらおうと
あの手この手で誘ってくれますが
息子は登場できず

その様子を私たち夫婦は観覧席から見ており
なんとも言えず複雑な思いを


運動会では所定の位置で待機することもままならず
園内をウロウロ

駆けっこの出番になり保育士さんとスタート位置で何とか待機
スタートの合図とともに走り出すも
トラックを横切りショートカットしてゴールへ

それ以外の演目も保育士さんが誘ってくれても動かないので
抱っこされ泣きながらの参加


誤解されてはいけませんので
保育士さんの名誉のために

園の方針もあるかとは思いますが
保育士さんたちは
息子にいろんな経験・体験をしてもらいたいという考えのもと
様々な声掛けや誘い方を試していただいていました
決して無理矢理に参加させたというわけではありませんので
誤解なさらないでください


しかし親としてはその様子を見ることにより
複雑な感情があったことも事実です

家族の出来事

私の転職

私の父の体調が悪くなりました
私がその当時住んでいた場所から実家まで車で90分ほど
父の平日の通院などの協力がしにくく
当時の仕事にも見切りをつけていたので
妻に転職・実家の近くに引越しを相談
快く承諾をしてもらい背中を押してもらいました
次の勤め先(今の会社)もトントン拍子で決まり
妻に相談してから3ヶ月で帰郷となりました

長女の誕生
待望の女の子を授かりました
長男の2歳年下です
産後の翌日、体調の悪い父が喜び勇んでお見舞いに来てくれ
長女の誕生をとても喜んでくれたことを覚えています

父との別れ
父から病名は帰郷前に知らされていました
骨髄異形成症候群

私が帰郷して1ヶ月ほどで体調がさらに悪化
奇跡的にドナーが見つかり
父の希望で骨髄移植に望みを託します
成功する確立は50%
父は好きだった煙草もやめ、頭も丸坊主にして臨みます

私が帰郷して4ヶ月
3ヶ月目の入院生活が過ぎようとした頃に別れとなりました
父59歳

50%の確率に賭けてでも『俺はまだ生きたい』ということを
背中で見せつけてくれました

たった4ヶ月でしたが、帰郷して父に協力できて良かったと思っています

少しは父親孝行できたかな

私たち夫婦の心境

妻は息子の定型発達への希望を残しつつ
療育手帳の取得へと動きました

療育手帳を取得するということは
私たち夫婦が息子の状況を認めることを意味し
悪く言うとレッテルを貼られるということにもなります

息子のためとはいえ
妻は葛藤があったに違いありません

しかし、療育手帳を取得することにより福祉の関係との縁が広がったので
相談できる機関や利用できる福祉サービスが増えました

それを機に定型発達にこだわらず
目の前の息子のあるがままを受け入れやすくなったように思います

やはり、母は強し
私の出る幕はありません

それではまた。


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