「自分のことを客観的に見るもう一人の自分」を心の中に飼うと楽になる
私、小さいときは虫が全然平気だったんですよね。
田舎に住んでたから家の中でも虫がよくでてきたし、蟻やカブトムシ、クワガタ、バッタやコウロギ、オタマジャクシや蛙など、捕まえて家で飼ったりしてたし、気持ち悪いなんて全く思わなかった。むしろかわいいなぁと思っていた。
それが大人になり、そこそこ都会に住むようになり、家で虫が出てくることはめったにないし(今の家に住んで、一度もGを見たことない)
虫取りも全くしなくなった。
すると、最近たまに虫を見ると、すんごい背筋がゾワゾワするようになってしまった。
昔は「かわいい!」とすら思ってたのに。
今は頭で何か考える前に、背筋がゾワゾワしてしまう。
たぶんこれは、脳が「こいつに触ると害があるかもしれないよ」と、危険を知らせてくれるためのゾワゾワなんだと思う。
だけど幼少期の経験から、私は知っている。
蜂や毛虫など、一部の生き物を除いて、ほとんどの虫は触ったって害がないことを。
Gもビジュアルや動きが気持ち悪いだけで、たぶん触っても害はない。
なので、例えば家の中にカメムシが出たとき、
(ここ数年、大量発生しがち😂)
見るとまた背筋がゾワゾワするけど、
そんな自分を客観的に見て、
「ゾワゾワするけど、こいつには害がないから大丈夫だよ〜〜」と自分に言い聞かせると、ゾワゾワがちょっと収まって触ることができたりする。
匂い対策のために軍手はするけど。笑
何が言いたいのかというと、
「人の防衛本能として自然と現れる反応」
と
「(あーまたこういう感情が出てきちゃってるねぇ)とそれを客観的に見ている自分」
は全くの別物なんですよね。
例えが虫を見たときのゾワゾワなのが微妙だけど。笑
「人の防衛本能として自然と現れる反応」、例えば
とかはもう仕方ない気がする。この感情はなくそうと思ってもなくならない。
縄文時代やそのもっと前から、危険を察知して生存率を上げるために人のDNAに組み込まれたものなんだろうから。
でも「そんな自分のことを客観的に見るもう一人の自分」を意識することで、グルグルいらぬことで悩み続けることが少なくなった気がする。
過去の嫌なこととか未来の不安をグルグル考え出したときでも
(あーこれは、虫を見たときのゾワゾワ反応みたいなもんだな…)と気づくと、割とすんなり収まって切り替えられるようになった。
自分事としてとらえすぎない、他人事みたいな目線で見つめる、というか。
あと、何かを見て「嫌な気持ちになるとき」って、「なんでそう思うの?」と深堀していくと、
ただ単に「これは絶対にこうしなければならない」という自分の中の固定概念と反しているから、嫌な気持ちになるだけ、みたいなことが多い。
例えば、
「仕事も恋愛も、何もかもうまくいっている人生イージーモードな友達を見ているとイライラする!」というときは、
・「人生は大変なことを乗り越えて成長してこそ意味がある」
・「人生は山あり谷あり、苦労すべきなんだ」
という固定概念が自分の中にある、とかね。
でも、「これって本当か?」というと別にそうでもない。むしろストレスなく毎日を過ごせてそれでうまくいくのなら、イージーな方が良い。
(そもそも、イージーに見える人もそれなりに見えないところで苦労してるよ、とかの話は一旦置いといて)
イライラ、モヤモヤしたら、他人を見つめるみたいに一歩引いて、ひたすら
「自分のことを客観的に見るもう一人の自分」に
(あーこういう固定概念があるからイライラしてるんだねぇ)と気づくと、結構楽になる。
以前は、モヤモヤしたらそのままノートにただ気持ちを書きなぐっていて、それでスッキリするときもあるけれど、時と場合によっては、書くことでモヤモヤが増幅してしまうときもあった。
だから今は、モヤモヤしてノートに書くときは
ひたすら「なんでそう思うのか?」を書いて、自分の中にある固定概念を洗い出してる。
そして、「これって本当?そうでもなくない?」と問いかける。もはや自分カウンセリング作業状態😂
そうやって、「自分のことを客観的に見るもう一人の自分」を心の中に飼うことで、毎日がかなり楽になる気がする。
ーーー
こういう発想に至れたのは、数週間なーんにもせずのんびり過ごせて、考え方が良い意味でフラットになったおかげだと思う。
週5仕事することの一番のデメリットは、
「職場にいる時間が長すぎて、思考が仕事中心になること」
「思考回路が偏った上にワンパターンになること」だなあとつくづく思った。
(これも固定概念か…。笑)
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