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【旅日記】祇園祭から帰ってきて(24/07/18)


京都祇園祭も担い手不足が深刻化

祇園祭の余韻を引きずりながら京都から帰ってきました。
宵々山から3日間滞在していて良かったと思います。山鉾巡行をどう見学するかという課題は残りましたが、またそのうちに行くことにしましょう。

ところで、祇園祭のハイライトとなる山鉾巡行もその担い手不足に苦労されているようです。下記の読売新聞の記事は、そのあたりがよくまとめられています。
特に先頭の長刀鉾を支える町内には住民はひとりもいなくて、町内にある企業が人を出して伝統を守っているということ、他の鉾でも市内の大学生が保存会などに参加していること、京都飲みならず全国に散らばる保存会メンバーが手弁当で準備し、当日の巡行も支えていることなど目から鱗でした。
全国的に地域の祭りの担い手不足が伝えられていますが、まさか京都祇園祭でもそんなことになっているとは思いもよりませんでした。
確かに宵山で山車を見ながら歩いていると、沿道は低層のマンションなども増えてきていて昔からの地域社会を維持するのは難しくなってきているのかもしれません。

今回京都に滞在していて感じたのは、昨年10月や今年の5月よりもインバウンドの方々が少ないのではということ。もちろんたくさんいらっしゃってますし、祇園祭期間中は地元の方を始め日本人が増えるので全体的に薄まったと感じる部分はあるのかもしれませんが、往復の新幹線とか夜の先斗町とかは明らかに少なかったです。
もしかしたら、京都の夏、もしくは日本の夏は暑い、というのが浸透してきているのでしょうか。日本に旅行するなら7-8月は避けるべきなんてTIPS/ノウハウがSNSなどで流れているのかもしれません。

京都から鎌倉へ。町の規模の違いに思いを寄せる

京都から帰って一息ついて今度は鎌倉へ。観光ではなく地域活性化活動の予定があったので行ったのですが、気がつけば京都から鎌倉へという、時代のバトンタッチ的な移動となりました。
でも京都の町と鎌倉の町では、スケールというか規模が何十倍も違いますよね。よくこんな小さな鎌倉が約150年もの間日本の政治の中心地だったものです。
京都を歩いていると、御所や二条城はもちろんのこと、ひとつひとつの寺社の敷地の大きさに驚かされます。天皇を中心とした貴族と、支え支えられていた寺社の本来の権力・財力・様々な勢力からの寄進の巨大さというものを実感することができます。
鎌倉って禅の発祥的なところではありますが、ほんと質素ですよね。鎌倉五山と呼ばれる建長寺・円覚寺などはそれなりの敷地を持っていますが、京都の大徳寺、仁和寺、南禅寺などの広大な敷地とは比べ物になりません。

鎌倉・建長寺

このあたり、京都と鎌倉の比較と分析しているものがあれば読んでみたい気がします。そもそも政治機能ってそんなに小さな役所で足りたんですかね。いや、足りてないから鎌倉幕府ってほぼ機能してなかったのか。。いや、あまり適当なことを言うのはやめておきましょう。何かまた知識を習得したら書くことにします。



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