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ゼロ年代、10年代、その先のインターネットとともに生きる藤田祥平 『手を伸ばせ、そしてコマンドを入力しろ』 感想

※ネタバレ注意。




インターネットとリアルは多くの小説では(暗喩的にはともかく)別々に語られてきた。

インターネットを「卒業」してリアルに戻る。インターネットは通過儀礼にすぎない ーー。 綿矢りさの『インストール』では、不登校の主人公は風俗チャットにのめり込むも、最後は「すぐに行き過ぎてしまわない、生身の人間達に沢山会って、その人たちを大切にしたい」「努力しなさいよ。私も学校行くから。何も変われてないけど」という風に、インターネットは「生身でない人間がいるところ」であり「学校こそがリアルの場」とされている。この小説が出版されたのが2001年、綿矢りさは1984年生まれ。時代背景を考えると、小説はこの結末が丸いのだろう。

藤田祥平とは

藤田祥平氏について、現代ビジネスの日本が中国に完敗した今、26歳の私が全てのオッサンに言いたいことで目にしたことがある人もいるのではないか。勢いのある文体や酔いそうになる言葉の選び方も重なり、バズった記事である。

私はバブル崩壊の暗雲立ちこめる1991年に生まれた、失われた世代の寵児である。年齢は26歳。両親は大阪府のベッドタウンでそれなりに大きな中古車販売店を営んでいて、子供のころは金持ちだったが、いまは零落した。

藤田祥平は1991年生まれで、インターネット黎明期から現在まで、インターネットとともに育ってきた世代だ。本書『手を伸ばせ、そしてコマンドを入力しろ』は、彼の生い立ちを想像と妄想(?)混じりで小説化したものである。


ゼロ年代のインターネットよ、永遠なれ

ポケモンゲーム初代のOPの主人公のお母さんの台詞「おとこのこは いつか たびにでるものなのよ」から小説がはじまり、藤田少年はゲームに夢中な、当時ならそこらへんによくいる子どもである。しかし、そのうちに自室に引きこもり、オンラインゲームに夢中になったかと思えば、学校に行く意味を見い出せなくなり、また、ゲームに集中するために高校を中退してしまう。その一連の描写の中でたまにゼロ年代のインターネットを回顧する文があるが、じつにあの年代のラノベ、ゲーム、インターネットなど、オタクカルチャーの雰囲気が描かれている。

高校を中退したとはいえ、インターネットは罪悪感とか脱リアルとか、そういう雰囲気では描かれておらず、むしろリアルの一部として生活に組み込まれている。この小説は、ゼロ年代〜10年代のリアルフィクションを、独創的な感覚と文体で形にした、現代の感性の小説の結実点なのではないかと思う。

世の中のある種の人間が、大学受験のための一連の勉強に熱心に打ち込むことができる理由を、私はおぼろげに理解することができた。たしかにあの勉強をやっていれば、世の中は理路整然としていて、あらゆる謎は解かれたあとであり、気持ちよく整備された並木道のような秩序がこれからもずっと続いていくのだ、と思い込むことができるだろう。


藤田氏はその後、高卒資格を取り大学に進むが、ネトゲ廃人だからといって現実生活が送れないということはもちろんない(むしろ充実した大学生活を過ごす)が、母親の自殺などもあり、再びオンラインゲームに戻ってくる。

個人的には前半のゼロ年代インターネッツが一番面白かったが、大学卒業後も、就職、退職、ゲームの原稿の執筆、編集者に認められて本書の執筆へ......など、職業作家としての道を歩みはじめるまでもグイグイ文章のうまさで読ませられる。藤田氏は、小説の末尾で、インターネットが現実の写し鏡となったことにより自分自身の現実とインターネットの人格がひとつになれたと述べ、インターネットの発展に感謝の意を表している。

現代の天才小説家

この小説を読んで、もし、歴代の文豪がこの時代の人だったらインターネットにのめり込む小説を書いていたのかもしれないし、藤田氏は現代の天才小説家なのかもしれないと思った。そのくらい絶賛するほどに、彼の筆力に引き込まれたのは、私も同じくゼロ年代のインターネットに人生で大きく影響を受けた共感が重なったのかもしれない。そして同時に、藤田氏と比べて凡庸な感性の持ち主であり、大学受験の勉強に意味があると信じていたうちのひとりだった私は、彼の才能や生き方が純粋にうらやましいと思った。

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