理由?いい訳?…とにかく前へ
堅い仕事の父と、地味な専業主婦の母のもと、私は一人っ子として産まれた。産まれて間もなく心臓病であることが発覚。いつか手術が必要で、
「できるだけ体に負担をかけない為、風邪をひかせないよう、あまり走らせないようにしてください」とお医者様に言われたそうだ。
その為、小さいうちは、保育園には行かせず、年長ぐらいになってから、入れたとのこと。
一人っ子なので一人遊びで絵本でも読ませていたのだろう。うちには絵本がたくさんあった気はする。
近くに、同い年の子がいたので、そこによく遊びにいっていたそうだ。
その同い年の子には、少し知的しょうがいが、あったそうで、コミュニケーションが時に難しく、「○○ちゃんに、話しかけても返事してくれんの。」と、よく泣きながら、家に帰ってきていたらしい。
私は、心臓病を持っていた為、定期的に病院通いをしなければならず、幼少期に手術をした。大学病院の同室の子は、小児がんの子で、副作用で髪の毛がなかった。
当時、私は病気で闘う子供たちの世界の中にいた。
(病気を持つ子供の親の方に、病気だった私が少し伝えられる事があるとするなら、
母親が熱心に私の世話をして愛情をもってくれているのがわかっていたし嬉しかったし、そこで、もし私が死んでいたとしても、不幸でも可哀想でもなかったという事だ。たったひとつの愛でも、たくさんの人の愛なんてなくても、ちゃんと愛してくれる人が1人いれば十分すぎる幸せだ。大きな意味だ。
病気だから不幸な子だと決めつけず、愛していたら、もうそれだけでもいいと思う。)
そして、手術が終わって、今度は、元気な子供たちの、小学校の世界に、いた。
その頃の私は、といえば…
子供同士の、人付きあいの仕方がよくわからず、人に嫌われるのもこわく、しかも運動能力がなく、
いじめられるわ、どんくさいわ、かけ足は遅いわ、女の子なのに体にキズがあるわで(笑)
自分はダメ!と思った。
ずいぶんと、完全に大人になって、「幼少期、人に接していなかった事、走らせないようにしていた事、手術は命の為に、やむを得ない選択であった事」などを
母から、説明されたところで、
でも、すっかり人格形成は終わっていて、
結構、もう、手遅れだよーーーーーぅ!!!(笑)
人には、掘り下げれば、それなりの理由があるものだ。という
一つの教訓を得たくらいの事だ。
理由のようないい訳にような話では、ある。
私という人の、人格形成の基礎は、すっかり構築が終わってしまったけれど、でも、人生はまだまだ続いていく。
前へ、進むのみだ。
この先の人生で、幼少期に、つまずいた。傷ついた。自信を失った。泣いた。
うちの何か、たったひとつでもいい。克服できていったら、
幸せかな。
本当は、思うだけじゃなく…動かなきゃだね…。がんばりましょ☆
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