休まないほうが良い不調と「あと少し症候群」の話
昨日ごろからどうも調子が悪かった。
最後に1cmだけ残ったシャーペンの芯がフスッと頼りなく縮こまるときの。
あとひと巻きもないトイレットペーパーがペリッと予期せず離れるときの。
洗濯バサミがもうないのに、ハンガーから洋服がスルスル滑り落ちるときの。
あの出鼻をくじかれるというんだか拍子抜けするというんだか肩透かしを食うというんだか。
不完全燃焼でもやもやくしゃくしゃとした気持ちが渦巻く。
いつもだと何とも思わないことに、ちょびっとだけイラッとする。
いっそのこと怒り狂うくらいまでボルテージが上がれば良いものを。
切り捨てられるような1に満たないモヤモヤが蓄積する。
そんな感じ。
「感じ」とタイプして「漢字」に変換されたのにエンターキーを押してしまうのもそれ。
高校生の頃から、ときどきこんな日がある。
今日は15時くらいまでずっと「あー、もう寝よう、あー、めんどくさい、あーやだやだ」と思い続けていた。
毎日前向きに頑張っているわたしの足を引っ張るなってんだ。
だから、今日はちっちゃな贅沢をたくさんした。
かなり前に買って、あと少しを使うのがもったいなかった紅茶を飲んだのもそう。
引っ越し挨拶のために買ったけど1個だけ余ってしまってずっと食べていなかったクッキーを食べたのもそう。
きんぴらにするためにためておいた大根の皮を一気に使ったのもそう。
全部わたしにとってちっちゃくて大きな贅沢だ。
子どもの頃から、「あと少し」という状況を延長したがるくせがある。
お菓子は必ず2個だけ残して、「まだあるな」と思いたがる。
ごはんはすべての皿に一口ずつだけ残して、話に夢中になる。
ジャムは瓶の壁についたものを掬わないまま冷蔵庫に残しておく。
意識的でやっているつもりはなかったので、同居人に言われてようやく認識できた。
3年くらい前に指摘された癖だけど、いまだに同居人に「まーたやってるよ!リスちゃん!」と言われる。
直す気のない癖らしい。
ちなみに「あと少し」を延長しすぎて状態が悪くなることもよくある。
腐らせてしまって食べられなくなることもあるし、カピカピになっておいしくないこともよくある。
「あと少し」が腐ってしまったときには、いつも悲しくて泣きそうになる(本当に泣くこともしばしば)。
それなのに「あと少し」を家の中にたくさん残しておくのだから、わたしは「あと少し症候群」だと診断されても良いと思う。
たまに贅沢をしたいとき、家の中のあと少しを見つけてきては消費する。
「あと少し症候群」でない人には理解されないだろうが、いつも「ええい!」みたいな気持ちで使う。
高い買い物をするときと同じ気持ちである。
清水の舞台から飛び降りる心持ちで「あと少し」を使う。
たった今も、あと2つだけ残っていたLotusのビスケットを1つ手に取った。
「こんなもの、賞味期限がないも同然だしな…あと2ヶ月後でも食べられるけど…」と思いながら「ええい!」と袋を開ける。
ほんの少しさびしくて、ほんの少し満たされる。
今日の朝からわたしの行動力を奪っていた、あのくしゃくしゃな気持ちは、いつのまにかなくなっていた。
いつもなら「今日はだめな日だわ。たまにあるのよねぇ」と言い聞かせてベッドに戻り、スマホ三昧の1日を過ごすのに。
今日は、いやいやながらもルーティンをこなしたり、何度か清水の舞台から飛び降りたりして、ちゃんと自分の機嫌を自分で取れた。
ベッドで一日過ごしても回復はするのだけど、ちゃんと起きていつもどおり過ごす方が回復が早い気がした。
夜には完全に回復して、『篤姫』を観ながら料理をしたり、ごはんを食べながら『海街チャチャチャ』の最終回を観るなど。
筋トレもいつもどおりできて「わたしったらやるなぁ」と感心した。
休んだほうが良い不調と休まないほうが良い不調。
29年間生きていても、いまだに区別ができていない。
だけど、今日のなんとも言えないむしゃくしゃとした不調は、休まないほうが良い不調だとわかった。
今日の朝、ベッドで「わーん、やだよー、起きたくないよー」と駄々をこねるわたしを無理やり起こしてくれたのは同居人だ。
同居人の方がわたしをよくわかっていて、不思議だなぁ、と思う。
本当は他に書きたいことがあったのだけど、うまく言葉にできなかった。
大事な感情ほど「掬えるかたさ」にするのが難しい。
そちらはもう少しぐつぐつと煮込んでとろみを出すことにする。
もしもくしゃくしゃな感情が続いていたら「あぁnoteも書けない。もうだめだ。noteなんてやめてしまおう」と思っていただろうから、潔く諦めて他のことを書いたのは、本当にもやもやから抜け出した証拠なのだろう。
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