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私の好きな文章の話。

「またおいしいものか面白いものあったらあそんで〜」

これは私がある友達と遊んだ日、ばいばいした後送られてきたメッセージの抜粋。実際はもう少し長い。
眠すぎたらしく、メッセージは4行もあったのに句読点は1つもなかった。

私は、友達には申し訳ないけれど、このメッセージを思わずスクショしてしまった。なんとも言えない脱力感と、優しさがあって、そして眠気を誘う文章だなと思って、なんだかとても好きだなと思ったから。

以前、どこかの物書きさんが、「お疲れ様」の表記の揺れに悩まれていたことがあって。「おつかれさま」と「お疲れ様」を、どう統一していくか、という話。

お疲れ様はちょっぴりかしこまっていて、かっこよくて、少し堂々としているのに対して、おつかれさまはふわふわあたたかくて、可愛らしい感じがする。だから、登場人物事に表記を区別させていた。なるほどなと思った。

私はこんな感じの、日本語の表記から連想されるイメージを感じ取ったり、イメージにあう表現を熟考して使ってみたりするのがかなり好き。だから人の文章からなんとも言えない素敵なイメージが得られると、「敵わないな〜」とつい感心してしまいます。
冒頭の「またあそんで」メッセージは、そんな私のフェチに刺さった。過去貰ってきたメッセージをかき集めても、ここまで好きと感じたものは無いんじゃないかなとまで思えたのです。

実際に喋ってて楽しいとか、話が面白いとか、センスがいいとか、顔が良いとか、無言でもつらくないとか、やさしい、かわいい、かっこいい、賢い…

友人やパートナーに求める条件は人それぞれありますが、その友人と仲良くなってやりとりを重ねるにつれ、私のその条件の中に「文章が好き」が確実に含まれるのでは…?と気づきました。

この人のことばは心地がいいな、こういうことばが書けるようになりたいや、と思ってしまった人とは、ずっと仲良くしていたいな、なんて思います。

冒頭のメッセージを受信した時、というか、この人からのメッセージを受信した時に、少し心が柔らかくなって何故かほっとする、この感覚は忘れずに。そしてその感覚を私も誰かにそっと渡せるように。
今日も文章がんばります。

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